帰ってきたモササウルス
流れる白雲、白い砂浜、陽射しを浴びて輝く海――
三年の月日が経った――僕はお菓子を買いに行くため、自転車で海沿いの道を走っていた。海から吹き寄せる湿った風が磯の香りを運んでくる。地上を焼き焦がさんばかりの夏の陽射しに当てられて、僕の体はすっかり汗にまみれてしまった。
本来であれば、今頃僕は友達と海で泳いでいるはずだった。その予定が狂ってしまったのは、砂浜に立っている、白地に赤い文字で「遊泳禁止! モササウルス注意!」と書かれた看板が言外に語っている。
そう、この年に、またしてもモササウルスが現れたのだ。
十歳の夏を最後に、僕は優佳里さんと会っていない。彼女は古生物研究のために必死で勉強して、遠くの国立大学へと進学したらしい。お盆も正月も実家に帰らず、研究に没頭しているそうだ。
……もしかしたら、彼女を熱狂させ、古生物学への進路を取らせたのは、僕らの町の海岸に現れたあのモササウルスなのではないだろうか……僕は時折、そのようなことを考える。敬愛する従姉を、あいつが連れ去ってしまったのだ……そう思うと、僕は悔しいやら悲しいやら、そんな気持ちにさせられた。
三年前に発見されたモササウルスは十七メートル。それに対して今回の個体は二十メートルを超えるそうだ。七年前と同じ個体がこの海域に帰ってきたのか、それとも別の個体なのかは分からない。
三年の月日というのは、僕に古生物への興味関心を失わせるのに十分な時間であった。暇な時間があれば友達と一緒にゲームの中で獰猛なモンスターたちを狩ったりしているけれども、現実世界を闊歩する
寄せては返す波の音が、ざざーん、ざざーんと聞こえている。そこに海鳥の喧しい声が混じるのが海の音色だ。たまにグエーッという潰れたような鳴き声が聞こえるのは、海鳥に混じって翼竜が飛んでいるからで、僕らの町で見られるのは、ディモルフォドンというジュラ紀の翼竜らしい。全長は一メートルほどで、海鳥と同じように魚を好んで食べているそうだ。
けれども今日はいつも以上に、車のエンジン音が海の音色に混じってくる。自衛隊による捕獲作戦が始まるとあって、オリーブドラブの車両が海岸沿いに集結していて、迷彩服を着た大人たちの歩く姿がよく見られた。砂浜の外縁には規制線が敷かれていて、そこから先は関係者以外立ち入り禁止となっている。
コンビニの駐輪所に自転車を停めた僕は、足早にコンビニの中に入った。真夏の太陽によってじりじり熱せられた体は、砂漠でオアシスを探すかのように涼を求めていた。エアコンの利いたコンビニ内の快適さは、まさに救いの神である。
あまりにも暑いので、アイスが食べたい気分になった。外ではすぐに溶けてしまうから、イートインで食べようか……そう思って、僕は冷凍ケースの方へと向かった。
「おーい」
ふと、出入り口の方から声が聞こえた。女性の声だ。聞き覚えがあるような、ないような……そんな声だ。少なくとも、常日頃会っている相手のものではない。けれども、その親しげな呼び声から、以前に顔を合わせたことのある相手のはずだ。
もしかして……僕は期待をもって声のする方を振り向いた。
僕の目の前には、つばの広い麦わら帽子をかぶった優佳里さんが立っていた。
「久しぶり。覚えてるかな? 私のこと」
忘れるはずもない。少しばかり大人びてはいるが、長いまつ毛や少し垂れ気味の目尻、モデルのように長い脚といった特徴は、まさに記憶の中の従姉そのものだ。
「もしかして、優佳里さん?」
「随分と大きくなったねぇ、私もそろそろ抜かされちゃうかな?」
「いや、そんなまだまだ……」
それにしても、何で今になって帰ってきたんだろう……そうした疑問を抱いた僕に対して、優佳里さんはまるで先回りするかのように語った。
「モササウルスがまた来たっていうから見に来たんだよね。しばらく実家にいるから、またよろしく」
あの日、優佳里さんを連れ去った海の巨獣は、再び彼女を連れて帰ってきてくれた。これまでうっすらと憎み、恨んでいたモササウルスに、今の僕は頭が上がらない。
「あ、そうだ
「い、行きたい!」
「それじゃあ決まりだね」
フタバスズキリュウ……その名を口にする優佳里さんは、本当に喜びに満ちている。好きなものを無邪気に追い続ける従姉の変わらない姿が、僕の目には眩しく映った。
その後、車で水族館――アクアマリンふくしまに向かった僕と優佳里さんは、頭突きでソメイヨシノをへし折るパキケファロサウルスを発見してしまうのだが、それはまた別のお話……
モササウルスとの夏休み ~憧れの従姉と古生物~ 武州人也 @hagachi-hm
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