第4話

 地下水路の出口は池だった。

 町外れの再開発途中の寂れた空き地だ。投げやりにつくられ、忘れられたマンションと見捨てられた林と放棄された田畑が入り混じっている。


 水流が水と共に大きな塊を排出する。排水口にたむろしていた魚たちがぱっと散る。まきあげられた泥と共に、大きな影がゆっくりと、水面に浮かび上がる。


 歪んだ双眸は、明けていこうとしている柔らかな夜空をぼんやり映している。薄く開いた唇に不揃いな歯が見える。笑っているかのような。


 しばしザクロ女は静寂を聞き、生ぬるい水の感触を味わった。脳裏に閃く光景は消えていたが、不思議な響きの声はまだ、耳の奥にあった。

 その響きが遠く聞こえ、次第に近づいてくるような気がした。


 目の前の空で、青い光がくるりと弧を描いた。

 身を起こす間もなく、鋭い痛みが二度、三度と襲い、よろめいて水中へ半ば沈む。水を通してカラスの声がくぐもった音になって聞こえてくる。


 なんとか水を掻き浮き上がると、無数のカラスがザクロ女を取り囲み、飛び交わしながら激しく鳴き始めた。

 カラス達の向こうから、一際大きな影が一直線にくる。


 ザクロ女は身を水中へ沈めた。頭上を大きな鉤爪がかすめる。

 水底を蹴り、それと反対の方向へ浮き上がると再びカラス達に取り囲まれた。彼らは体すれすれに飛んでくるが、はっきりとぶつかりはしない。嘲るように、嘴と爪で髪や皮膚をかすめ、毟り取ろうとする。

 追いかけ払おうにも空中では埒が明かない。振り下ろす手が飛沫を上げるばかりだ。歯ぎしりをしつつ、ザクロ女は再び水中へ潜った。


 群れの少し上空でカラス女は動向を見ていたが、ザクロ女が水中に潜ると同時にその影の目指す方向へ旋回した。群れは浅瀬へ獲物を追い立てている。

 獲物の体が水面に現れた時、カラス女は急降下し、鉤爪が肉を裂いた。


 と、巨大な手が素早くその足を掴む。カラス女は水に叩きつけられた。広げた羽が激しく水面を打ち飛沫を上げる。


 よろめきながら立ち上がったザクロ女は一撃を加えようと手を上げたが、そこへカラス達が群がってきた。ザクロ女はぬかるみに足を取られつつ、無闇に両手を振り下ろす。立て続けに泥が跳ね上がり、カラスがひらりひらりと旋回する。


 ようやく身を起こしたカラス女は翼で水面を叩き、宙へ飛び上がった。それを合図にカラス達がザクロ女からぱっと離れた。

 すかさず濡れた羽をザクロ女の顔面に振り下ろし、たじろいだ所で嘴を叩き込む。


 ぐさりと突き刺さる感触があった。

 口腔に甘酸っぱく苦い味が微かに広がり、眼前で何かが弾けてぬるりと跳ね返ってきた。

 勢い余って泥の上に転げながら、カラス女は振り返った。ザクロ女は顔を抑えつつ膝をついた。


 仕留めたか、とカラス女は思った。しかし、相手の様子が妙だ。

 爆ぜた頭が更に広がり、赤黒い液体がどくどくと湧き出している。傷口から腐った果実のような甘ったるい臭気が音を立てて噴き出す。古い扉が開く軋みのような咆哮と、ふつふつと何かが湧き出す音。

 大きな手がぐいと傷口を更に広げた。奥から幾つもの赤い種子が溢れ出す。


 そして、日が昇る直前の張り詰めたような空へ、種子は勢いよく弾け、四方の彼方へと散らばっていった。残された肉体は単なる抜け殻で、液体と共に溶け出し泥と一体になって消えてしまった。


 日が昇る頃には、臭いさえも残らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る