第2話

 さてここで、香川県の終焉から大西氏の就任、そして現在までの経緯を整理したいと思う。周知の事実ばかりで恐縮だが、全四回の連載の一回目であるから、触れることにする。


 四国の北東に位置する香川県は、二〇一九年にゲーム条例を制定した。非科学的、非民主的などと非難を浴びつつも、条例は速やかに可決された。青少年の健全な成長を目的としたと言われる本条例に基づき、県下でゲーム・ネットへの規制がなされていった。


 けれども、施行後数年が経過しても、青少年の学力、体力は施行以前と何ら変わらなかった。県内外ではゲーム・ネットとの関連性に対し再度疑問の声が高まるも、県議会は「一日一時間という努力目標が長すぎたせいである」として、移行期間を含めた全面規制に踏み切った。審議と採決合わせて二日間という、異例のスピードであった。時を同じくして「昔へ帰ろう 大前進教育」のスローガンが県下の至る所に掲げられた。ゲーム・ネットなどといった有害な文化機器がなかった古き良き時代の生活習慣に戻すことで、健全かつ優秀な子どもを育成するという輝かしい政策である。これは多くの年配層や一定の保護者層から支持を集めた。近代国家としては異例の積極策であり大きな議論が起こったものの、施行翌年から学力テストの結果が目覚ましい向上を見せたことから、国家としてはこれを近い将来全国に展開する方針を採った。全国展開に先立って香川県を新時代の教育モデルとするべく、香川県に独自の行政権を付与することが決定した。即ち、サヌキ特別行政区への転換である。


 もっとも、ここには伝統的家族観の再興を目論む意向が日本政府内にあったことも確かである。本誌でも既に何度かお伝えした通り、与党内にはバブル以前の価値観を善しとする声が根強く、その復権の希望を香川県に託したとする関係者の証言が多数得られている。


 特別行政区への転換から二年後、香川県──以降サヌキと呼ぶ──は他地域との旅客輸送を停止した。瀬戸大橋や高松空港を中心とした玄関口には検問所が設けられ、これらの建造物は専ら貨物輸送もしくは他地域からの観光客・移住者輸送にのみ用いられることとなった。区民の他地域への移動を全面禁止した理由は、無論ゲーム・ネットの全面規制により加速した人口流出を食い止めるためである。規制が決定されて以降、自立した若者は凄まじい勢いで他地域へ流出していき、サヌキの将来が急速に危うくなった。もっとも、これは当初から十分に予測可能だったとする向きもある。


 区内に残ったのは壮年・老年世代と高校生以下であり、選挙において他地域との旅客輸送の停止に反対する候補者が当選することは稀であった。議会は「家族、地域の絆」を合言葉にバブル以降の日本社会を否定し、サヌキはそれ以前の社会へと変えられていった。ゲームやネットは完全に使用禁止となり、携帯電話すらも電波がろくに通じなくなった。稀に何かの弾みでネットが使えたとしても、酷くのろのろとした通信速度であった。その遅さは我々外部の人間の想像を遥かに超える劣悪なものであるらしく、自由な通信環境に慣れ親しんだ世代の間では、通信速度の単位としてアベヒロシが使われるほどである。氏のサイトを開くのに何秒かかったか、という意味だ。

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