第23話 割れた小瓶(前編)
ノートを読み進めているうちに俺は寝てしまったらしい。気がつけば俺は石畳に横になっていた。
ノートは昨日開いたページのままだった。コンピュータの方は弄った形跡がある。
アルスの奴、夢中になると懲りないな。
明刻になるのを待って出発する。
今回の神殿は壁に文字は一切刻まれていず、綺麗に磨かれた石の壁が続いているだけだった。
文字だらけの部屋や特別な物が埋め込まれた部屋もない。
一応広めの部屋に出た時に部屋中をくまなく調べたが、埃一つ見つからなかった。
ここまで何もないと逆に不気味だ。星の神殿にはアーラの秘宝すらないんじゃないかとさえ思えてくる。
明刻が終わる一時間前、俺達は行き止まりの広い空間に出た。
底冷えのするような部屋の中心に祭壇があり、棒状の物が祭られていた。
あれ、どう見てもドアノブだよな。あんな部品が秘宝だなんて、キツネに抓まれた気分だ……。
秘宝が何なのかわかっていないフロースはさっさと祭壇の元に辿り着き、妖獣を呼び出した。
頭の二つある奇妙なゾウが現れ、大きな鼻を振り回しながら突進してきた。
俺は懐中電灯で相手の位置を教えてあげながらフロースと一緒に戦った。フロースの戦い方は相変わらず力任せで戦略性に欠けていた。相手の体力がこれまでとは比べ物にならないほど高く、ほぼノーダメージだというのに同じ攻撃を続けている。
もう少し頭を使えと、俺は力に頼らず簡単な魔法で氷の剣山やイバラのトゲをまいた。こうすることで体重の重さの分だけダメージを与えられた。
更に酸の水をまいて傷口に浸透させたり、二つの鼻をツタで結ぶことで二つの頭の動きを固定してちょっとしたパニックに陥れたりしているうちに相手は自滅した。
フロースが自分の見せ場がなかったと言って八つ当たりしてきたのは軽く受け流しておいた。
「試験は終わりだ。約束どおり、秘宝を授けよう」
妖獣は霧に形状を変え、秘宝の上に君臨した。
「その前に、例の質問タイムか?」
「そんなに冷めた態度を取らないでもらいたい。これは試験を突破した者にしか課さない大切な質問なのだから」
「で、今回の質問は?」
「人に激しく恋い焦がれる気持ち、果たしてそれは愛か狂気か」
「……それはさすがに愛だろう?」
「さて、それはどうだろう?」
妖獣は不気味な笑い声を上げて姿を消した。
まあ、こんな質問なんて今はどうでもいい。問題は秘宝だ。
手に取って見てみてもただのドアノブでしかない。強いて言うなら翼をイメージした凝ったデザインであるということだけ。
フロースのペンダントに隠れていたペンナが急に姿を現し、ウサギ跳びで奥へと進んだ。部屋の隅に着地し、壁を前足でカリカリと引っかく。
ペンナの所へ行ってみると、壁にうっすらと四角い切れ目が走っているのに気づいた。
人一人がちょうどは入れそうな大きさだ。加えて、手の高さの位置に四角い穴があった。ドアノブを差し込めばドアになりそうだ。
ちょうど手の高さに四角い穴が開いているのを見つけたので、向きを合わせてドアノブを差し込んでみた。切れ目にそって壁が奥に開いた。
半開きの状態でペンナがスルリと抜け、あっという間に奥まで行ってしまった。
この奥にアーラの秘宝が?
禍々しい妖気を感じないので、危険はなさそうだ。
それでも念には念を、いつでも戦えるように身構えてドアを完全に開けた。
中を見て俺は言葉を失った。
部屋の中には広い街が広がっていた。それもリアロバイトのような茶色い街並みではなく、色彩豊かな街。
ウィーンという独特な音を上げながら、銀色の車が路上を走っていく。自転車もいる。道の両脇には大きなコンクリートのビルが整然と並んでいた。
空は青く、真っ白な飛行機が直進していた。その先にあるのは、眩い〈
一台のオートバイが俺とフロースのすぐそばを走り抜けていった。
「い、今の、何?」
「見えるのか?」
「ええ。おかしいわね。懐中電灯は向けてないのに」
間違いない。これは一万年前のテラだ。
最後のアーラの秘宝は時空を超える力だったのか。
って感動してる場合じゃない。一万年前に行ってしまったら、誰が魔神カエルムを止めるんだ?
引き返そうと思った時、扉がおもむろに閉まった。
手遅れだ。こちら側にはドアノブはないのだから、開ける術がない。
「どうするの?」
「進むしかない。見たところ街は平和だし、危険ってことはないだろう」
俺が歩き出したのに、フロースは突っ立ったままだった。
そうか。こっちの光でこんなにも色々な物が見えるのが初めてで、何が何だかわかっていないんだ。
俺はそっと肩を抱き寄せ、歩調を合わせて歩いた。ゆっくり、ゆっくり、地面の感触を確かめるように。
「ねえ、あれは何?」
歩きながらフロースは正面のビルを指さした。ビルなんて言葉はコンコルディア語に存在していない。どう答えたらいいものか迷ってしまう。
「建物だよ。って言っても家じゃなくて、色んな会社が中に入っているんだ。会社っていうのは仕事場のこと。仕事場の集まった場所って考えればいい」
「じゃあ、あれは?」
「花屋だ。ワコクには魔法がなかったから、花も売り物だったんだ」
「その隣は?」
「喫茶店。コーヒーっていう茶色い飲み物が飲める」
「あっちは?」
「コンビニ。食べ物も本も文房具も、なんでも売ってるお店」
説明しながら、俺は段々気持ち悪さを覚えていった。
どうしてこんなにワコクのことを知っている? ここは一万年前の世界なんじゃないのか? 俺にもサノーみたいな考古学を研究する趣味があったとか?
いや、どう考えても有り得ない。
「あの丸いマークの建物は?」
フロースが得意げに指をさして聞いてきた。形がわかるようになったのか。
俺がいない間にサノーと特訓をしていたんだろうな。少し嬉しくなった。
「アイス屋だ」
「アイス?」
「甘いクリームを凍らせて作るんだ。食べたことないか?」
「ないわ。冷たいの?」
「そりゃあ、凍らせてるから」
しまった。こいつ、極端に冷たい物と熱い物が好物なのを忘れてた。
ルビーの目がギラギラに光り始める。俺の背中をズンと押し、ついでにブーツで蹴飛ばされた。
「買ってきて!」
「この時代のお金を持ってるわけないだろう」
「なんとかしなさい。でなきゃ小瓶を割るわよ!」
だから記憶をだしにするのはやめろよ。
仕方ない。行ってみるだけ行ってみるか。
それで売り切れだったとか適当な理由をつけて買えなかったことにしよう。
「いらっしゃいませー」
店内に入った瞬間、俺は驚きのあまり固まった。
聖女がアイスの並んだガラス張りの冷凍室に肘をつき、ニッコリ微笑んでいたんだ。
顔は全く同じなのにイリスとは随分雰囲気が違う。
弾けるような笑顔と声。腰まで伸びた髪も緩くカールしていて、柔らかい雰囲気をより引き立てているように思った。
どこにでもいそうな少女そのものだ。全身が紫色をしていることを除けば。
「そんなに驚いてどうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いいや。まさか、神霊がいると思ってなくて」
「ウフフ。私の名前はウェントス・アーラ・デア」
「知ってるよ。ペンナなんだろう?」
「あら、ばれてたの。ペンナって名前も結構気に入ってるから、呼び名はどっとでも。アイスが欲しいんでしょ? 何味がいい?」
「ごめん。買いに来たわけじゃないんだ。ここのお金は持ってないから」
「お金なんて要らないよ。ここが本当にワコクだったら妖獣の私はレジに立てないし」
「ワコクじゃないのか?」
「ワコクだったら道はもっと人で溢れかえっているわ」
ペンナはフレーバーのリストを出してくれた。
全部平仮名か片仮名で書かれていたので、俺でも読むことが出来た。
なんでこんなにスラスラ読めるのか……。気持ち悪さを押しこめて、俺はチョコ味を選んだ。
ペンナは冷凍庫を開け、専用のスプーンみたいな物で硬いクリームを引っかき始めた。
「ここはツバサが生まれ育った街。このアイス店はツバサのお気に入りで、よく学校帰りに買いに来てた」
「どうしてこんな所に一万年前のワコクが?」
「〈
覚えて? 知らない、ではなく?
「電気虫の遺伝子を抽出して作られるもので、記憶させた色や形を投影し続ける特徴を持っている。その昔は電子機器に記憶した映像を再生することしか出来なかったんだけど、ニューロンの回路を読み取る技術が進化して見た映像をそのまま外に出せるようになったの。悠久の時を生きて、暇だったから〈
逆三角形のコーンにアイスを乗せ、ペンナは一つ目を渡してくれた。
「〈
「どうしてそれを?」
「風の力を持っていると、見ただけで誰にどんな記憶があるのかわかるの。たとえ本人が覚えていなくてもね」
「俺はこの街とどういう関係があるんだ?」
「それは、まだ言えないかな」
「なあ、頼む、知ってるなら教えてくれ。自分で自分の記憶が気持ち悪いんだ。ワコク語を勉強してたこととか、明らかに不自然な記憶があるんだよ」
「別に不自然でも何でもないけど。そのうち全部思い出すんだし、急がなくたっていいじゃない」
所詮他人事だと思って! 実際、他人事なんだろうけど。
「そうそう。ここのアーラの秘宝はこの景色と、ツバサの家にある天使の絵よ。〈
「なんでアルスが?」
「聞けばわかる。そうだ。どこにあるか場所わかんないよね。ちょっと耳貸して」
ペンナが手招きするので、右耳を傾けた。
何か囁くのかと思いきや、ペンナはフウと息を吹きかけてきた。
くすぐったいな!
ペンナは悪戯っぽく舌を出している。何をしたんだと文句を言おうとしたが、例の悪寒が襲ってきて出来なかった。
栗鼠のアグリコラが体から抜け、大きなフサフサの尻尾が抜け落ちた。
記憶が? そうか。風ウサギは記憶を操ると言っていたな。
だが瓶を飲んだ時みたいな記憶が花開いた感じはしなかった。何の記憶を渡されたんだ?
二つ目のアイスを盛りつけ、俺に渡してくる。
ショーウィンドウに肘をつき、ペンナは微笑んだ。誘うような上目遣いに俺は少し警戒した。
「記憶のことを教えてくれないなら、なんで俺達についてきたのかくらいは訊いてもいいだろう?」
「貴方達なら私の長年の疑問を解決してくれそうな気がしたの。ステラもそうよ」
「ステラ?」
「ステラ・アーラ・デア。星ウサギとも呼ばれている。前に魔神カエルムがどうして死なないのか話していたよね。それ、彼に鉄槌を下すのがイリスじゃなくてステラだからなの。カエルムは呪いから解放されたわけではない。精神を差し出すことで、命は砕かれずに済んだだけ」
「精神を差し出した? あんなに残虐非道になってしまったのは、やっぱりアーラの秘術を使ったせいなのか?」
「うん、そう。あ、サノーがその説を言ってたんだっけね? さすがにここまでは考えが及んでなささそうだから忠告しておく。ステラの狙いはカエルムではなく貴方達。元々成長するまで見守って、それからことを起こす魂胆だった」
「なんで俺達が狙われるんだ?」
「そこまでネタをばらすにはまだ早いかな。いいじゃない。これからの、お・た・の・し・み、で」
なんだよ、もう。じらすところじゃないだろ。
「そろそろフロースのところに戻ってあげたら? 怒らせると大変よ?」
外を見ると険しい顔でフロースが俺を睨みつけていた。確かに、もう戻らないと小瓶を割られかねない。
三歩進むと自動ドアが開いた。しかし、そこから先にまだ足を踏み出す気になれなかった。
「どうかした?」
「あんたの長年の疑問って何?」
「懲りない人ねえ……。知ってるでしょ。『ここに命を測れる天秤がある。観測対象の君を左皿に乗せたとする。天秤を釣り合わせるためには、右皿には何を乗せればいいか。但し、観測者は俺とする』」
「それってユウヤがツバサに出した問題」
「ツバサは遂にこの問題の答えを見つけられなかった。だから、私が引き継ぐことにしたの。風ウサギの天秤、釣り合わせるには何を乗せればいいか。貴方にはわかる?」
「わかるわけないだろう。きっと傾動天秤理論っていうのが関わってくるんだろうけど、あれ正直よくわかんないし」
「そうよね。この質問は忘れて。どうせ呪いを解くには必要ない問題だから。さあ、お喋りはもうお終い。フロースの元に帰ってあげて」
ペンナは手を振ると店の奥に姿を消した。
もっと話を聞きたかったのに。行ってしまったのなら仕方ない。帰るか。
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