第5話 神殿と秘宝(前編)
テラと呼ばれる惑星には広大な海が広がり、無数の島が散らばっているという。
かつてはそれぞれの島にも人が住んでいたらしいが、今は俺達のいるコンコルディア大陸だけになっている。
大陸の西はテッサを首都とする〈
〈
神殿の奥は禍々しい迷宮に繋がっており、どこかにアーラの秘宝を祀る祭壇があるとフロースは説明した。
「着いた?」
「うん、多分」
巨大化させた野鳥に乗って半日飛び、俺達は紫色の荘厳な建物の前に来ていた。
「それじゃあ、早速中に入ってお参りしましょ」
「お参り?」
「神殿に来たんだから決まってんでしょ? ここは神域よ? 文句言う前にさっさと歩く歩く。あ、そうだ。確か神殿の前って階段になってたわよね? ここからは私を負ぶって進んで。落としそうになったら許さないからね」
この緊張感の無さ。俺は一体何をしているんだろうとやるせない気持ちになる。
何かの計画のために記憶を抜き取られた俺。俺はフロースが持っている記憶を取り戻すために彼女と一緒にアーラの秘宝を手に入れることにしたわけだが……。
フロースを背負ってやると、彼女は背中で楽しそうに鼻歌を歌った。お気楽なのは羨ましい限りだ。
神殿の入り口は重々しい石の扉で固く閉ざされていた。しかし俺が最後の段を上り終えた時、招き入れるように扉がひとりでに開いた。中に入ると扉が大きな音を立てて閉まった。
音にびっくりしたのか、フロースがヒシと肩にしがみつき、それからゆっくり降りた。
「聖女像はどこかしら?」
「翼の生えた女の像なら正面にある。連れていこうか?」
「いいわ。中に入ったなら自分で歩けるもの」
フロースは鏡の光を振りながら歩いていった。ペンナが姿を現し、その足元にじゃれつくようにしてついていった。
俺も隣に控えると、フロースは鏡をしまい、両手で大きく弧を描くように振ると、ひざまずくようにお辞儀した。
おぼろげに覚えている。あの手の振りは、大きな翼を表しているんだ。
「聖女アーラ様、我らはこれより風の深奥へ参ります。どうか深い慈愛で我らをお守りください」
このまま棒立ちしているのもいかがなものかと思い、俺もフロースに倣って祈りを捧げた。
こんなものだろうと顔を上げると、フロースはまだ固く目を閉じ、深々と頭を下げていた。
もう一分は経ったように思う。
さすがに長すぎるんじゃないか? それとも俺が短すぎたのか?
もう一度祈ろうと思って屈むと、唐突にフロースが立ち上がり、懐中時計を取り出した。
「五時五十分。明刻まであと十分ね。待ちましょう」
「深奥へはどうやって行くんだ?」
「質問厳禁って言ったでしょう。待っていればわかるから」
フロースは立ち上がり、魔導書に鏡を当てて内容を読み始めた。
記憶喪失による混乱が収まってきて、少しずつ思い出したことがある。
魔族は手首の辺りに感光点という第二の目を持ち、お陰で魔導書に注視しなくても目的のページを探り当てることが出来る。
失明したフロースもこの感光点は正常に機能するようだ。
歩く時、手鏡を使っているのは手鏡の軸を感光点に押しつけることで今鏡に写っているものが感じ取れるから。
かなり広義に解釈するなら、見えていると言っても差し支えないんだろう。
ただ、鏡の大きさから考えるに、とんでもなく狭い視野なんだと思う。
時計の長針がまもなく真上を指そうとしている。
フロースは本を閉じ、俺に向き直った。
「後で文句言われるのは嫌だから先に言っておく。この奥には小さな部屋が無数にあって、宵刻になるとその間が全て硬い石壁で閉ざされるの。つまり、明刻の間しか進めないし、出られない」
「明刻の十二時間の間に全てを調べ終えなければならないということか」
「というより、調査が終わってもタイミングが悪ければ帰ることが出来ないってことよ」
フロースの時計がカチリと音を立てる。時計盤の中央の丸が黄緑色から黄土色に変わった。明刻になったようだ。
神殿の中で重々しい鐘の音が反響する。
不吉な音だな。俺の胸、大蛇の鱗の下で心臓が高鳴るのがわかった。
すすり泣くような笑い声が聞こえた。聖女像に不気味な光が差す。陰影で邪悪な笑みを浮かべているように見えた。
『秘宝を求める者よ、私の試練を受けなさい。風の薫りに託された女の過去を記憶に刻みなさい』
聖女の瞳が紫色に輝き始める。その光が涙となって落ちた。
硬いはずの石畳に波紋が広がり、穴が現れた。穴の先には紫色の光に照らされた怪しげなフロアが広がっている。
「さあ、行くわよ」
先に俺が降り、フロースを抱き下ろした。
このフロア、おどろおどろしい妖気が充満している。
きっと戦闘になるんだろうと俺はいつでもレグルスを呼べるよう心の準備をした。
予想した通り、妖気の淀みから二つの白い光が浮かび上がり、のっそり立ち上がった。妖獣だ。一羽現れると立て続けに湧き出し、気がつけば周囲を薄汚いハイエナが取り囲んでいた。
「倒せばいいのか?」
「全力を出すのはやめてよ。明刻の間は倒しても倒しても出てくるって話だから」
先頭にいた一羽がグルグルと唸る。太い牙が見えて心が折れそうになった。
負けるな。俺は戦いが好きな男なんだ。いつまでも戦っていいっていうんなら、むしろ喜んでもいいくらいなんじゃないのか?
「状況を教えて。相手は何羽? どこにいる?」
「十羽はいる。場所は、正面と右と左」
「アバウトな説明ね。狙いが定まらないじゃない」
フロースは魔導書を開いた。
フロースが魔力を送ると魔導書は冷気を纏って浮き上がり、パラパラとページを送り始めた。
「求めるは、大河に眠る麗女の牙」
魔導書があるページでピタリと止まる。手鏡を掲げ、フロースはその文字をハイエナ達に当てた。
戦闘が開始したと解釈したのか、ハイエナ達が一斉に襲いかかってきた。正面を見据えるフロースの瞳の中で、青白い炎が揺れるのが見えた。
「氷よ、貫け」
頭上に無数の氷の槍が現れ、フロースの合図とともに一気に放たれた。雨のように降り注ぐ攻撃に半数の妖獣達が阻まれ、見えない霧に帰した。
フロースもフロースで結構なやり手のようだ。しかし、問題は……。
「来る? 来てる? やだ。来ないで。嫌だってば、あっち行って!」
数が多ければ闇雲に撃っても当たるものが、少数になった途端に功を奏さなくなることだ。俺は鳥の妖霊ディーバを呼び出し、怪鳥の金切り声で撃退した。
残りも追い払おうとした時、フロースが肩を掴み、ポカポカと拳を叩きつけてきた。
「煩い! ちょっと、聴覚だけが頼りの人の前で音魔法なんてやめてくれる?」
「ごめん。気をつける」
耳の大きな相手には音魔法が最も効果的なんだが、違う手を使うしかないか。
胸に手を当て、体の中の妖霊達に問いかける。この状況でどう戦えばいいのか、助言を乞う。
すると一羽、動きの速い相手なら任せろと名乗り出た者がいた。その名を呼び、命令する。
「偽龍よ、彼のもの達を撃て!」
俺の手の中で雷が炸裂し、翼と角を持った爬虫類のような妖霊が現れた。偽龍のウンプラだ。
その姿が細長くなり、俺の腕の長さほどの銃へと変化する。これを使えということか。
直感に従って構えて、次々と飛びかかってくるハイエナ達に照準を合わせる。銃を扱った経験などないはずなのに、雷で出来た魔法の銃弾は面白いほどに命中した。
しかも威力が高いらしく、殆どの妖獣が一撃で姿を保てなくなった。
しかし、何度やっても数が減らない。よく見てみると倒した数だけ新しい妖獣が無から飛び出してきていた。これではいつまで経っても進めないじゃないか。
「ねえ、まだ片づかないの?」
気がつけばフロースは隅で呑気にも手鏡を磨いていた。
「人に戦わせておいてそれは無いんじゃないか?」
「妖気が循環してることくらいは気づいてるんでしょう? 進みたい方向の気の流れを寸断しないと先には進めないわよ」
「そういうことなら先に言ってくれ。今までの頑張りが無意味じゃないか」
「は? 妖族のくせにそんなこともわからなかったわけ? もういいわ。あんたは私に邪魔が入らないように攻撃を防ぎ続けて」
フロースは再び魔導書を開いた。
魔導書が再び浮かび上がり、目的のページを示した。
「吹雪よ、踊れ。氷の彫像を我に見せよ」
魔導書の輝きが手鏡に移り、一気に放たれる。
急に空気が冷え込み、真っ白な嵐が吹きつけた。
雪に逃げ場を奪われ、妖獣達が次々と氷漬けになっていった。
これは、かなりの大魔法だ。
呆気にとられている俺の横で、一件落着とフロースが口笛を吹いた。
「で、どっちの方向に進めばいいんだ?」
「盲人に訊かないでくれる? あと、疲れたからおぶって」
「今ので魔力を使い果たしたのかよ……」
「ちょっと休めば回復するわよ。大体、文句言う資格ないでしょ。私は調査要員であって、戦闘要員ではないの。次からはちゃんとしてよ」
俺、この人についてきて正解だったのかな……。
アーラの呪いを受けた時に同情した自分が恥ずかしくなってきた。
行き先は氷の彫像のせいで捜しにくかった。
どうにかしてボス格のハイエナの奥に通路が伸びているのを見つけ、フロースを背負って進んだ。
暫くすれば氷も解けてしまうかもしれないので、俺は大蛇ウィールスの石化眼で彼らの妖力をせき止めてから進まなければならなかった。
狭い通路を進んでいる間にもどこからともなく様々な形態の妖獣達が出現し、一羽一羽倒していかなければならなかった。
やれやれ、フロースが戦えないのはしょうがないとして、一人で全てを相手しなければならないのは大変だ。
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