第6話 神殿と秘宝(中編)

 暫く細い通路が続いている。よく見れば通路の壁や地面には細かな模様が刻まれていた。

 何かの文字のようだが、俺には読むことが出来なかった。

 しかし、少し進んでみると文字の形が変わり、俺の知っているコンコルディア語に変わっていった。


 永遠、重さ、揺れ、翼、ウサギ、軽い、天秤……。


 子供が言葉を覚えようと書き殴ったように、断片的な単語が並んでいた。それらも次第に纏まっていき、最終的にきちんとした文章になった。まともに歩いたら頭をぶつけそうな、低い天井にも文章は刻まれていた。


『アナタから大切な日々を奪ったことは過ちだったのだろうか? 答えを見出だせないまま、私はアナタを受け入れることにした。もはや記憶だけの存在となった私。辛い記憶はあんなにあるのに、どうして一緒にいて嫌な気持ちにならないのか。きっと私の胸の中にはもう、心というものがないのだろう』


 文章はそれだけだった。

 一応周りを調べたが、私やアナタに当たる人物の名前は明記されていない。

 そもそもこの文章は誰が誰に向けて書いたんだろう? 気になる。


「何してるの?」

「いや、なんでもない。行こう」


 通路を抜けると広い空間に出た。見たところ妖獣が集まりそうな気配はない。フロースも安全だと判断したらしく、おもむろに背中から下りた。


「少し休みましょう。疲れたわ」


 魔法で草の柔らかい絨毯を作り、その上に座る。

 ペンナも姿を現し、寄り添うように丸くなった。

 疲れたって、俺の方がずっと大変な思いしてるんだけど……。呆れる気持ちを押し込め、俺は絨毯の隅に座った。


「ところで、俺とフロースってどんな関係なんだ?」

「質問厳禁なんだけど」

「友達なのか敵対する仲なのか、それくらいは知ってもいいだろう」

「そうねえ……。強いて言うなら、魂の契りを結んだ仲って感じかしら?」

「それって俺とレグルスの関係と同じことになるんだけど」

「ま、腐れ縁って意味よ。それ以上は教えられない」


 一瞬答えが得られたような気がしたが、よくよく考えたら全く答えになっていない。全く、そこまで頑なに隠す必要もないだろうに。


 俺達はその後、会話らしい会話もせず、ただボーっと座りこんでいた。

 フロースは瞑想するように視線を落としている。

 キラリと胸元で何かが光った。よく見ればそれは片翼の形をしたペンダントだった。

 羽と羽の間に七色に光る石が埋め込まれている。見るからに高級そうだ。

 あれ、昨日からつけていたんだろうか? 色々とありすぎてよく覚えていない。

 フロースに気づかれないことをいいことに、俺は暫くペンダントをしげしげと観察していた。十分ほど経って、フロースは猫のように伸びをすると立ち上がった。


「そろそろ行きましょう」


 静寂の広間を出て、次の部屋へ。

 途中、細い路地が二手に分かれ、どちらに進むべきか決断を迫られた。

 フロースに相談してもどっちでもいいと他力本願な答えしか返ってこなかったので、俺は右の道を選ぶことにした。

 随分と長い間、狭い路地が続いた。次の部屋が見えてくるまで、妖獣の妨害もなくすんなり進めたとしても一時間はかかっただろうというくらい距離があった。


「もうすぐ次の部屋に着きそうだ」

「妖力の濃度が濃くなってきたわね。多分混戦になるから、気をつけて。あ、気をつけてっていうのは私に攻撃を当てるなって意味だからね」


 もう、何も言い返すまい。


 フロースが言ったとおり、部屋の入り口をくぐると闘牛の姿をした妖獣達が一気に押し寄せてきた。地面が振動するほどの足音にフロースが身を縮める。この数は雷の銃では間に合わない。もっと広範囲に放てる強い魔法を撃ちたい。


「レグルス、俺は他にどんな魔法が使えるんだ?」

「あんた馬鹿じゃないの? 魔族がいる前では妖霊は現れないのよ」

「なんだって?」

「宿主に命令されて魔法を使う時以外はね、そういうしきたりらしいわ。大体、使える魔法くらい自分で考えなさいよ。妖族でしょう?」


 どうりで今朝出発してから一羽も姿を見せないわけだ。

 闘牛が一羽猛進してくる。身をひるがえした時にバランスを崩し、フロースを落としてしまった。


「ごめん」

「……リスの忘れ物から芽吹いた狂薔薇の毒の棘、それで一掃出来るわよ」


 怒るかと思っていたが、逆に助言してくれた。意外だった。


「ありがとう。芽鼠よ、種をまけ。麗しの薔薇を咲かせよ!」


 俺の体から桃色のリスが現れ、体と同じ色の霧をまき散らした。

 霧に包まれた地面から薔薇が伸び、絡み合い、床一面に網を作った。

 棘が伸び、鎌のように先が鋭利になっていく。お構いなしに突き進んできた闘牛達は次々に腹を刺され、毒による痛みに悶え苦しんだ。

 更に網が独りでに丸くなり始め、闘牛達をひとまとめに縛り上げる。どんなに怪力でも、棘が深く刺さった体では薔薇の網を破ることは出来なかった。

 自分の力だとわかっていても恐ろしい威力だな。


「大蛇よ睨め、邪気を封じよ」


 今度は大蛇の力を解放した。妖獣が石となり、粉々の砂が地面に散らばる。

 呪いが解けるまでは元の姿に戻れなくなったはずだ。


「フロース、終わった」


 部屋を見回して気づいた。

 この部屋、入り口が一つしかない。行き止まりのようだ。

 さっきの分岐点で反対側の道に進むべきだったか。無駄に体力を消耗してしまった。


「ちょっと待って。ここに文字が書いてあるみたいだから」


 フロースは地面に手鏡を向けていた。確かに所狭しと文字が彫られているようだ。

 この量、とてもじゃないがそんな短時間で読めるものではなさそうだぞ。


「妖気生命体はその多くが動物の形を取り……。ここでもない。どこから始まってるのかしら?」


 俺はアルスの力を借り、石畳に掘られた文字が遠くからでも読めるように細い溝に光を注入した。


「『〈太陽ソル〉、それはかつて私達の住むテラを照らす眩い光だった。しかし、マグナ・クレピタスと呼ばれる現象で〈太陽ソル〉が爆発し、〈太陽ソル〉はこの世界から永遠に失われてしまった』」

「急に何語り出してるの?」

「床の文字を読んでるだけだよ」


 フロースが腫物を見るような顔をする。

 石畳に向けていた手鏡を俺に向け、ギラギラとした反射光を全身に当ててきた。


「な、なんだよ?」

「あんた、字、読めるの?」

「字が読めないって、どこぞの貧民だよ。俺だって読み書きくらいは出来るって」

「ふーん、そう。それならちょうどいいわ。最初から全部読み上げて」


 なんで読めないなんて思ったんだよ。失礼な人だな。


「『〈太陽ソル〉がなくなったことにより、我々からは昼と夜という概念が失われた。元々時を告げるのは〈太陽ソル〉だったが、今ではその役目は〈ルナ〉が引き継いでいる。光源となる〈太陽ソル〉がないので肉眼では〈ルナ〉を観測することは出来ないが、微弱な電磁波の変化から逆算して位置を測定出来るようになっているので時計は合わせられるという寸法だ。時間の表現も変わった。〈太陽ソル〉が昇り始めた時間を朝、すっかり昇った時間を昼、沈む頃を夕方、沈みきった時間を夜と呼んでいたが、今では明刻と宵刻だけに集約されている。ちなみに、午前六時から午後六時を明刻、残りの半分を宵刻と呼ぶ。

 マグナ・クレピタスが起こったのはある一人の人間が〈太陽ソル〉のコアに傷をつけたことがきっかけと言われている。マグナ・クレピタスにより人類は甚大な被害を受け、人口は一パーセント以下にまで減少してしまった。この時、生き残った人間達の多くはラテン語派の言葉を話していたため、世界共通語としてラテン語をルーツとするコンコルディア語が話されるようになった。光のない世界で物を見ることが出来なくなった人間は、視力を得るために血の滲む努力をし、妖族あるいは魔族に転身することで遂に光を取り戻した。

 地上に降り注いだ〈太陽ソル〉のエネルギー。その正体はダークマターを含んだ放射性物質だった。X線、ガンマ線……いずれの生物も見ることの出来なかった短波長の光線が知覚出来るようになった人間。しかし、新しい『目』で見える世界は元々私達が見ていたものとはかなり違ったものだ。元の世界を知らない人間にはなんともないのだろうが、私には青い空が茶色に変わった時点で奇妙に感じられた。私は二度と、気持ちよく空を見上げることは出来ない』」


 ここでもまた『私』が出てきた。

 〈太陽ソル〉が失われたのは一万年前だったか。ということはこの文章も一万年前に書かれたものなのだろう。


「他には何も書いてないの?」

「壁にも天井にも所狭しと書かれている。部屋全体が本の一ページになっているみたいだ」

「だったらそっちも読み上げて。折角こんな危険な場所に来たのに常識しか見つかりませんでしたじゃあシャレにならないわ」

「常識? 今のが?」

「あ、うん……常識だったんだな、今の……」


 ガタンと大きな音を立てて入り口に石壁が下りた。気づいた時にはもう遅かった。

 石壁は分厚く、どんなに強力な魔法を撃っても力で押してもビクともしなかった。

 フロースが落ち着きなさいよと俺を制した。手招きするので隣に座ると、俺の鼻に時計を押しつけてきた。


「六時?」

「そう。宵刻になったのよ。宵刻の間は全ての道が寸断されるって言ったでしょう? 扉が閉まったことでこの部屋にもすっかり妖力が流れてこなくなったわ。ゆっくり寝ても平気そうね」


 閉じ込められた部屋が文字だらけの部屋でよかったのかもしれないと思った。

 今なら妖獣の襲撃も心配せずに文字の解読に打ち込めるんだ。


「『一万年前、人類は遺伝子の塩基配列を全て読み解けるようになり、また酵素による制御で自由自在に配列を操作出来るようになっていた。その技術は遺伝子組み換えやクローン技術の分野だけでなく、コンピュータシステムの基盤にも適用された。演算をするために生み出された人工生物を電気虫、コンピュータを生物コンピュータという。電気虫は人間と同等の遺伝子長を持つハエが元となっており、テロメアの長さが一切短くならないように酵素を配合することで不老化している。従来の電子回路に頼った演算よりも一億倍の速度での計算が実現されたが、不老化したはずのハエはある一定期間を迎えると遺伝子が原因不明の破壊を起こし、機能を停止してしまうことがわかった。死は遺伝子プログラムによるアポトーシスのみが原因ではなかったと証明された瞬間だった。そこで並行して研究されたのが〈命源ポエンティア〉分野。〈命源ポエンティア〉は生命動力とも呼ばれ、星の周りを循環するエネルギーの一つだった。誕生する前の生命には蓄積され、誕生後は徐々に放出されていく性質を持つ。この〈命源ポエンティア〉は遺伝子を保つのに必要なものであり、不老化したハエに断続的に投与した結果、遂に遺伝子の破壊は起こらなくなった。こうして、電気虫による超スーパーコンピュータが開発され、全ての情報は遺伝子に記録されるようになった。

 それらの情報の殆どはある事件によって破壊された。後にマグナ・クレピタスと呼ばれる、〈太陽ソル〉の死である。〈太陽ソル〉の死は時空ワープ技術により〈太陽ソル〉の核が地球にばらまかれたことで生じた。核となる物質が雨のように降り注ぎ、電気虫の〈命源ポエンティア〉が根こそぎ吸い取られ、遺伝子が破壊されてしまった。こうして科学技術の蓄積データが失われ、人類の文化レベルは大きく後退した』」


 このブロックはここで終わっていた。

 読んでいて全く意味がわからない。難解な言葉の数々に頭が思考停止する。

 フロースにはわかったのだろうかと振り返ってみると、予想していた通りペンナを抱いて眠ってしまっていた。

 人に読ませておいて、本当に酷い人だな。

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