第9話 アイスとホット

 約束の時間より10分早く「さくら」に到着した。店内に入って席を一通り確認してみるが約束の相手はまだ来ていないようだ。あの男が来てから注文をしようかと一瞬思ったがなにも注文せずに店に居座るもの後ろめたさがあったためいつも通りアイスコーヒーを注文することにした。小吉はいつものアイスカフェラテ、もといアイスカフェオレを注文していた。前回はコーヒーだったのに、やはりカフェオレを飲まないと落ち着かないのだろうか。少しでも平静を装うつもりの注文なのだろうと僕は勝手に思っていた。如何せんこんな経験はないのだ。友人や家族との待ち合わせならこれまで何度もあったが、あのような男との待ち合わせは初めての経験だ。

 

さらにいえば僕はここにくるつもりはなかった。賀茂も来た途端に「あれ?」という表情を浮かべるのではないかと今更ながら居づらい気持ちになってくる。しかしもう肚は括った。小吉に言わせれば僕は小吉以上の何かがあるらしい。出会って1週間ほどの男と小吉では、考えるまでもなく小吉の方が僕のことをわかってくれているはずだ。その小吉がいうのだから、少しくらい乗ってやってもいいだろう。それに


「1人だけとは言われていない」僕はアイスコーヒーをストローでゆっくり混ぜながらそう呟いた。

 小吉はなにも言わなかったが間違いなく聞こえていただろう。もう小吉も覚悟を決めているのだ。言葉は無粋と判断したのか、席についてから一度も口を開いていない。


 結局賀茂という男は5分遅れて10時35分に「さくら」にやってきた。相変わらずどこにでもいそうなサラリーマンのような服装をしている。そういえば、この暑い中律儀にジャケットまで羽織っているのは暑いはずなのだが、この男はいつも涼しい顔をしている。見ようによってはロボットのようだ。暗い時間にしか会っていなかったからか気付かなかったが、この男、背が高く眉目秀麗だ。2枚目というのはこういう人を指すのだろうなどと思っていると、男がこちらに気付いてやってくる。

「いや、申し訳ない、この喫茶店の裏にある旧校舎の脇に生えている木があるだろう?その木の青葉が妙に綺麗でね、見入っていたら遅くなってしまった。」

 嘘とも本当とも受け取りづらい理由に少々辟易としてしまったが、確かに旧校舎の裏には木があるため信じることにしよう。

「あ、マスター、ホットコーヒー」この暑いのにそんな暑い格好をしているのにさらにあんな暑いものを頼むのか、と内心で驚いたが顔には出さなかった。


「さて、それじゃあ早速だけど、返事を聞かせてもらおうか、小吉君」

 僕がいることは確実に気付いているだろうが、あくまで小吉にしか興味がないような口ぶりだ。僕は少しドキッとする。


「はい、あんたのお誘い、ありがたくお受けすることにします。ただ、そうは言ってもなにがなんだがわからない。まずは試させてください。」

 小吉が最大限の敬語を交えてそう返事をした。「あんた」という呼び方も小吉の中でこの男に対する信用度に敵うよう、最大限譲歩した呼び方なのだろう。

「そうか、それは」

「あと、条件があります」

 賀茂の言葉を遮って小吉が続ける。僕は固唾を飲む。

「大治、こいつも連れて行きます。これは譲れない条件です。」


「ほう、彼も一緒に?」賀茂はある程度予想できていたのか特に驚く様子もなく確認する。

「そうです。こいつには俺以上の力があります。あんたが俺を評価してくれんのはありがたいけど、俺はそれ以上にこいつを評価しています。だからこいつも一緒でないなら、俺はいきません」ここにきてから一言も喋っていなかったのが充電時間であったかのように流暢に言葉を並べる。僕は自分よりもはるかに大人の相手にこんなに堂々と喋ることができるだろうか。


「ふむ、そうか。いいよ、君も一緒に来たまえ」

賀茂があっさり承諾していたのを他所に、僕は「ふむ」なんて会話で使う人が実際にいるんだという感想を抱いていた。そのせいで反応するのが遅れてしまった。


「え、いいんですか」僕はここにきて初めて賀茂に言葉を返した。

「あぁ、いいよ。小吉君がそこまでいうんだ、是非とも来てくれ。それに小吉君

も自分で言っていたが、まだ右も左も分からない君たちになにも期待してはいないから、安心してくれ」

 そう言われて素直に安心できる人が世の中にどれだけいるだろうか、複雑な感情になる。どうやら僕の心配は杞憂に終わったようだ。人間はどうでもいいことを心配して気に病む。大抵のことは起こらないのに。それを再確認することができて心が少し楽になった。


「それで、これから俺たちはどうすればいいんですか」

「そうだね、とりあえず、我々の事務所に行こうか、このホットコーヒーを飲み干したら、ね」


 そういうと賀茂はコーヒーの入っているマグカップを左手の人差し指と親指で持ち上げ、口に運んだ。窓から陽光が差し込んでいて、僕たちを照らしている。それにしても絵になる男だ。どこかの絵画のモデルになっていてもおかしくないと、素直にそう思ってしまった。


 賀茂はコーヒーを飲み干すと

「さて、行こうか」と一言だけ僕たちに断りを入れ、立ち上がって伝票を左手の人差し指と中指で挟んでヒラヒラさせながら持っていった。はて、この光景、前にも見たことがあるような、そんなことを思いながら僕たちも後に続いた。



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