第8話 バナナとおにぎり

 朝7時にセットした目覚まし時計の耳障りな音に目を覚まさせられる。スマホのアラーム機能もあるのだが子供の頃から使っているこの喧しい目覚まし時計を使ってしまう。上体を起こし、腕をあげて思いきり伸びをしてベッドから出た。この季節はひんやりとしたシーツにタオルケット1枚で就寝しているためベッドから出る、という表現はふさわしいのかどうかよくわからないが、ベッドから出た。カーテンを開け朝日を部屋に通す。本当は太陽の光を浴びて眠りから覚めたいのだがそんなことをしていると遅刻常習犯まっしぐらなのでまだやめておこう。

 

 洗面所に向かい髭を剃り、顔を洗い、歯を磨く。朝のルーティンというやつだ、洗面所といっても独立洗面台があるだけのチープな洗面所だ。一人暮らしの部屋に独立した洗面所があるのは贅沢なのだろうが、慣れというのは恐ろしいものだ。今となってはなにも感じない。居間に戻り机の上に置かれたバナナを一房千切って皮をむいて一口かじる。朝ご飯はご飯派、パン派などという派閥はよく聞く話だが僕にそのこだわりはない。その日の気分によって決まる。だから今日のようにどちらでもないような日もある。バナナの糖分はちょうどいい。甘過ぎず、それでいてちゃんと甘味も感じる。しばらく経つとお腹にもたまるし実に効率的な果物だ。それとマグカップに冷蔵庫から取り出した牛乳を半分くらい注ぎ一気に流し込んだ。


 蒼いシャツに黒のスキニーパンツという普段通りの服装に着替え、玄関に向かいスニーカーを履いて扉を開けた。時刻はまだ7時45分をさしていた。


「なんだよ、手ぶらできたのかよ」そういう小吉も特にいつもと変わったところは見受けられない。

「いいだろ、逆になにが必要なのかさっぱりわからないよ」僕は少しの不安がいまだ拭い切れずにいたが小吉と話すとその不安が少しずつ溶けていくような気がした。

「それもそうだな。それに、今日返事をしたとして今日すぐにどこかに向かうかどうかもわからないしな」

「それどころか、やっぱりこの話はなかったことにしてくれって恬淡と言われるだけ言われてその場を去っていってしまうかもしれないしな」

「その時は一発殴る」小吉は相変わらずあの男のことが好きではないようだ。どれだけ時間が経過したとしても仲良くなることはないのかもしれない。


 僕たちは第二の溜まり場と言っても過言ではないコンビニの駐車場で落ち合っていた。賀茂と約束した時間まではまだしばらくあるが、その前に会っておきたかった。事前に打ち合わせるような内容も特にないのだが、家にいても落ち着かないような気がしたので僕が提案した。こうして小吉となんでもない話をしている方が気を揉むことができた。僕の提案に小吉は二つ返事で「いいよいいよ」と即答してくれた。外見からはあまり心情が読めない無表情な男だが、付き合いが長いからか、それとも仲間を見つけたかっただけなのかわからないが、小吉が落ち着いていないように僕には見えた。


「そういえば、2週間後には試験があるけど、こんなことしていて大丈夫なのかな」

「特に期間は提示されていないのだから、やりたい時にやればいいんじゃないか?」

「でも、始めたら最後、厄介な事件に巻き込まれて、試験どころじゃなくなってしまったり」

「それならそれで貴重な経験だよ」小吉は雲ひとつない真っ青な空を見上げながら言った。

「本当にそう思っているところがタチが悪いよな、お前は」

 僕は皮肉を垂れていたが、小吉は満足げな顔を浮かべていた。


 時刻は9時になろうとしていた。約束の時間まであと1時間半、移動時間を含めてもまだ1時間はここにいることになりそうだ。

「さすがに暑くなってきたな・・・」

「そうだな」

 夏の暑さが本格的になるのは8月のイメージではあるが、7月も暑い。家を出た時はそれほど感じなかったが時間が経つに連れて気温が上がっていくのを確かに感じる。手持ち無沙汰になったのと、暑さを緩和させるためにコンビニでミネラルウォーターを買った。小吉は朝ごはんを食べていなかったらしく、昆布おにぎりと緑茶を買っていた。小吉は朝ごはんはご飯派なのだろうか、そういえば聞いたことはなかった。


「小吉って朝はご飯派なのかい?」

「いや、俺は1日ごとにご飯とパンを変えているんだ。交互に食べている。」

 なるほど、これもまた珍しい嗜好だ。実に小吉らしい。少し笑ってしまった。


「じゃあ、昨日はパンだったのかい?」

「もちろん、昨日は食パンにマーマレードジャムをつけて食したさ」

「なんか、似合わないな」

「マーマレードが似合うと言われても、嬉しくないけどな」

 昆布おにぎりを食べながらマーマレードを想像すると複雑な味がしそうだと思いながらミネラルウォーターを口にした。約束の時間まで、あと1時間だ。




 


 

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