第3話 サボる理由
翌日、僕と小吉は2限の講義「社会学概論」をサボって、行きつけの喫茶店「さくら」に来ていた。「さくら」は大学の旧校舎とそれに連なる外壁を挟んですぐの場所に店を構えているそこにでもありそうな普通の茶店だ。こんなところにあるからだろうが客のほとんどが学生でいついってもそれほど混んでいないため僕たちの行きつけになっていた。それにしても、社会学ですら曖昧で大きな分野なのにさらに概ねに論じるなんて、核心に迫れない物語を永遠に読まされているような気分になる。そんな話を聞くくらいなら僕はもっと有意義な時間を過ごしたいと思ってしまう。僕らがどんな有意義な時間を過ごしているかと言うと・・・
「いやだから、俺はカフェラテを頼んだんだ。なのに、あの店員は、カフェオレでございます、なんて宣いやがった。これはいかがなものかと思う。」
「そんなこと気にするのは小吉くらいだと思うけど。大体いつの話してるんだよ。ここに初めて来たときの話だろ、それ」
「いいや、あいつらはちゃんとそれぞれ独立した別の飲み物として世の中に存在しているんだ、ちゃんと区別して使わないとあいつらにも失礼だろう。何度だって言ってやる。忘れられるわけがないだろう。」
「それはそうかもしれないけど、小吉の場合、勝手に自分の頼んだメニューを変えられたような気がして腹立たしいだけで実際そいつらのことなんて考えていないだろう?大体この店にはカフェオレはないんだよ、その店員はきっといちいち当店にはカフェラテはございませんが、カフェオレならございます、と言うことわりをあえて言わずに気を使ってくれたんだよ。って毎回言ってる気がするんだけど。」
「誰が気を使ってくれなんて頼んだ。それは店員のエゴに過ぎないじゃないか。俺も毎回言ってる。」
「あー、はいはいそうだね。でも、小吉は大体カフェラテを頼んでもミルク一つとガムシロップを二つ入れるんだから元が何でもたいして変わらないだろう」
「そんなことはないぞ、ミルクの質や量が元々違うと、その完成形も違ってくるんだ」
ガムシロップを注ぎながら小吉は口を尖らせる。
「でも、結局それを飲むんだろう?それなら…」
僕は表情一つ変えずに淡々と彼に尋ねる。
「それはそうさ、せっかく買ったのだから」
何当たり前のことを言っているんだ、と後に続きそうな口ぶりで小吉は私の言葉を制する。
「講義、受ければよかったかな」
カフェオレに溶けていくガムシロップを眺めながら僕はふとつぶやいた。
「どう選択して生きたって多かれ少なかれ後悔はするんだ。だからそんな些細なことをいちいち気にしない方がいいぞ」
小吉がグラスの中の氷をカラカラとストローで回しながら諭してきた。
ふと窓を見やると、見覚えのある人物がちょうど通り過ぎていった。
「あの人は・・・すみれ」
「え・・・?何だって?」
「いや、違う、確か、中也だ」
昨晩と全く同じ格好をした、たしか賀茂中也と名乗っていた人物が小さな後悔をした直後の私の視界を通り過ぎていった。小吉は「またあの男か、妙だな」とさほど興味もなさそうにぼやいている。
「あの人、本当に探偵なのかな・・・」
講義をサボらなければここであの人を見かけることはなかっただろう。昨晩だけの記憶ならたいして印象に残らなかったが二日も連続で見てしまったらいやでも彼のこと少しは覚えてしまう。というより、気になってしまう。
「そろそろ2限が終わってしまうな、大学に戻ろうか」
「そうだね、3限の講義は面白いし」
「俺は大治とは取っている講義は違うのだが、サボるのは2限までと決めているんだ」
「何でだよ」
「3限からはサボる理由が見当たらないからだよ。2限までは寝坊で何とかなるだろう?」
「いや、2限も寝坊にしては寝すぎなんだけどね」
小吉はこういう人間だ、今更何も思わない。自分の中にいくつものルールや縛りがありそれを破ることはない。その意志があるなら講義くらいサボらずにくることができると思うのだが、ていうかここに来てるんだから、大学まできてるようなもんだし。
「小吉、今日は何限まで?」
「2限」
「あれ、僕とは違う講義をとっているんじゃないのかい?」
「今日とは言っていないだろう」
「じゃあ何で大学に戻るんだよ」
「調査だよ」
「・・・え?」
そういうと小吉は伝票を人差し指と中指で挟んで立ち上がった。伝票をヒラヒラさせながら会計へ向かう。その時僕は小吉の姿がどこかの誰かと重なった。
「あれは・・・確か、すみれ・・・?」
はて、そういえば有意義な時間とは何だっただろうか。
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