第2話 夏の夜の大中小

 昼の間にあれだけけたたましく響いていたセミの声も夜になるとしんと静まって、聞こえるのは僕が履いている革靴とアスファルトが呼応する音と、小吉が履いている下駄が奏でる小気味よいカラカラという規則的な音のみだった。いや、どこかで一度猫が鳴いたような気がした。

「夜って静かだよな」

「確かに、そのイメージはあるな」

「ていうことは暗さと騒がしさは比例する、ということになるよな」

「いや、ならないでしょ」

「そうなんだよなぁ」

「何が言いたいわけ・・・?」

「いや、子供の頃、親戚の家に遊びに行ったことがあってさ」

「それくらいの経験は誰しもしてるよね」

「お前、それはよくないぞ。誰しもに親戚がいると思ったら」

「それで、その時に何かあったのか」

「そこにいとこがいたんだけどさ、ある時、いとこの部屋に入ったら真っ暗でさ、最初誰もいないのかと思って」

「ほう、それで」

「電気をつけてみたらいとこが普通に勉強机に座ってたんだよ」

「何だよそれ」

「それで、何してんのって聞いたわけ」

「そりゃそうなるわな、純粋かつ何ともつまらない疑問だ」

「そしたら、暗い方が静かだなっていうんだよ」

「それで・・・お前はなんて返したんだ」

「いや、それが覚えていないんだよ」

「そんなことだろうとは思ったけど」

「いまだにその時のいとこの真意はわからないけどさ、ただ・・・」

「ただ?」

「いとこは暗くてもいいから、静かなところへ行きたかったんだなって思って・・・」

「なるほど、今のお前が好みそうな考え方だな」

「バカにしてる?」

「いいや、小馬鹿にしてる」

「俺には何でも小さいってつけとけばいいと思ってんだろ」

「そんなことないよ、ていうか小吉、ただでさえでかいんだから下駄なんか履くなよ」

「大治こそ、小さいんだからお前に合うサイズの革靴なんてないだろ、無理するなって」


 気がづけば、お互いの足音も、どこかで聞いたかもしれない猫の声も全く気にならなくなっていて、静かな夜の街に僕たち2人だけが取り残されているような、これまた誰もが経験したことがあるような感覚に陥っていた。


 が、その時間は一瞬で壊されてしまった。


「キーッ、ガシャン!」という音が響き、「どわっ!」という漫画のギャグシーンで登場人物が発するような声がした。

 塀で囲まれた一軒家が軒を連ねる住宅地を抜け、踏切へと繋がる交差点の前で待っていた僕たちの前に突然自転車に乗った人物が現れ、いや、倒れ込んできた。


「はぁ・・・これだから拾った自転車は・・・」

「あのぅ、大丈夫ですか・・・?」

「え、あぁ、何?見てた?」

「見てたというか、目に入ってきたというか」

「そうか、じゃあ、君たちは何も悪くないな」

 突然倒れ込んできたその人物は長身細身で、黒のスーツに白シャツというどこにでもいそうなサラリーマンのような格好をしていた。背丈だけでいうと小吉といい勝負だ。ただ真夏なのに黒いネクタイをしっかりと襟元まで締めているところに微かな違和感を覚えた。


僕と小吉は一瞬お互いの顔を窺う。


「みっともないところを見せてしまった、いや何、仕事中でね、ちょっと不慣れなことをしてしまっただけだよ」

「自転車に乗ることが不慣れなんですか」

「いや、自転車自体は慣れ親しんでいるのだが、この自転車は私が拾い集めたガラクタで作ったものでね、実はまだ後輪がうまく取り付けられていないのだよ」


僕と小吉は再び、お互いの顔を窺う。


「お仕事中って・・・何してたんですか」

「ん?あぁ、とある調査をな」

「調査?」

「あぁ、私はこういうものだ」

 その人物から渡された名刺には「喫茶マルシェ 店長 大西すみれ」と書かれていた。

「え!?女性!?」思わず私は声をあげた。

「あ、それは最近私のお気に入りの喫茶店のお姉さんだ。失敬。こっちだ。」


僕と小吉は三度、お互いの顔を窺う。


「縁の下探偵事務所 賀茂中也」


「かも、さん?でいいんですか」

「あぁ、いかにも、私は賀茂だ。だが呼ぶ時には中也と呼んでくれてくれた方が喜ぶぞ」

「ちゅうや、さん・・・」

 今この場に大中小が揃っていることに小吉は気付いているのだろうか・・・まあ、そんなことはどうでもいいか。


「って、え、探偵?」思わず僕の声量が再び大きくなる。

「あぁ、私はとある探偵事務所で探偵をしている」

「探偵って本当にいるんだな」小吉が珍しく頭を使わずに素の感情をさらけ出している。

「あぁ、だがひょっとしたら、君たちが思い描いているような探偵ではないかもしれないが」

 探偵といえば、浮気調査や紛失物の調査、時として少し事件性の強い案件を扱っているようなイメージもあるが、確かに実際のところは測り知ることはできない。

「探偵って書くくらいだから、人のことをさぐったり物探したりするのでは?違うのなら探偵という字を改めるべきだ」

 いつの間にかいつもの面倒くさい、だが僕にとっては安心する小吉に戻っていた。


「君はなかなか面白いことを言う、だがそれは間違っちゃいない。確かに我々は人のことを探るし物も探す。ただ、それだけじゃない。」

「それだけじゃない?」

 間が悪く、その時に中也と呼べなどという男の懐から振動音が聞こえた。

「あー、はいはい、もしもし、中也ですう、え、あ、そすか。もう捕まえましたか、は〜い、戻りますわ〜」

「なんていうか、気の抜けた人だね」小吉にひっそりと伝える。

「あぁ、でも、こういう人が1番油断したらダメなんだよ。」小吉はその男に敵対心に見え、羨望にも見える眼差しを向けていた。


「あぁ、すまんすまん、事務所に戻らなくてはならない。見たところ君たちは学生かな?」

「はあ、まあ」

「学生が我々のような日陰者を頼ることはないだろうが、もし何かあったら、連絡してみたら、面白いかもしれないよ、それじゃ」

「あの」

「ん?どうした?」

 颯爽と去っていこうとする中也と名乗る男に僕たちは声を揃えて言った。

「壊れた自転車、忘れてますよ」


 中也とかいう男は「しまった」と言いたげなうな垂れた表情を一瞬みせ

「すまないが、もういらないからその辺のゴミ捨て場にでも放っといてくれ、その代わりもし何かあったら無料で話を聞いてあげるからさ」


 僕と小吉はお互いの顔を窺った、4度目だった。


 夏の夜はこんなに静かで、暗かっただろうか。



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