花にひれ伏せ
キヅカズ
花にひれ伏せ、少女たち
日が照った暑い夏の日であった。
ギラギラと光る陽光がアスファルトを火のように当て付け、歩く者をうんざりさせる、夏の日常としては別に違和感は感じられない日。
いつも通り高校に登校し、席について、下敷きで扇ぎながら適当に暑さを乗り切るつもりだった。
「小田巻さんって小説家やってるんだよね?」
何だこの女は。
それが小田巻ゆづきの率直な感想であった。
ゆづきの机の前で、目を輝かせてそう質問してくるクラスメイトであろう少女。
はて、名前は何だったかーーと少し考えてから思い出した。
確か百合野あずさとかいう名前だった気がする。
あずさは黒目がちな大きな瞳に、フワフワの髪を腰辺りまで伸ばす美少女だ。
反対にゆづきは鋭い猫目に肩でばっさりと切った黒髪が特徴的な、刺々しい雰囲気の少女である。
明らかに絡む相手が違うだろうとゆづきはこっそりとため息を吐いたが、別に質問の内容は間違ってはいないので肯定しておく。
「そうだけど」
「キャー! すっごぉい! ねえ、今度家に行ってもいい? 私も小説家になりたいと思ってて」
あずさの言うことに思わずゆづきは内心舌を出した。
冗談ではない。
何故こんな不躾な女を自分の領域たる敷地に入れねばならないのか。
しかしそんなことを考えているとは気取られるわけにはいかないので、ゆづきはにっこりと最大限口角を上げて微笑んだ。
「ええと、百合野さん。私そういうの今ちょっと」
「ねえお願い。あ、だったら私が書いた小説見てよ」
話をまるで聞かない様子で、あずさはスクールバックから取り出した紙束をゆづきに押し付ける。
クリップで挟まれたそれは相当な分厚さで、これにはゆづきも少しばかり驚いた。
「これだけ書いたの」
「うん」
「何日で」
「一週間!」
一週間でここまで書けるのなら上出来だろう。
自分が感化するまでもない。
ゆづきはそう思って紙束を突き返そうとするが、運の悪いことにチャイムが鳴って妨害してきた。
「チャイム鳴ったし座るね。絶対見てね、絶対よ!」
「ちょっと」
さっさと自分の席に戻っていったあずさを止める暇はなく、ゆづきは結局紙束を受け取ってしまった。
ゆづき達の高校は宗教校で、朝から宗教歌を歌わされるのが日課だ。
担任の教師がやってきたので席を立ち宗教歌をボソボソと口ずさむが、誰も真面目に歌っていないのでゆづきの声はそこそこ大きく聞こえる。
教卓の前にいる教師も、眠たそうに突っ立っている生徒も、この宗教歌の意味なんて考えたこともないんだろう。
ゆづきも同じだ。別に考える必要など微塵も感じていない。
昔は言葉の意味を熱心に調べていたものだが、あの時間は非効率だったと思える。
ホームルームが終わって、一限の数学の時間となった。
黒板に書かれた問題を解き終えたが周りの生徒は苦戦しているらしく、教師が答えを書くまでゆづきはすることがない。
ふとそこで紙束の存在を思い出した。
やることもないし、暇潰しだと思って紙束に目を通す。
「ここどうやるの?」
「今日カラオケ行かね」
「マジで暑い~」
授業中の喧騒などまるで耳を傾けずにゆづきは文字列を追った。
いてもたってもいられなくなり筆箱から赤ペンを取り出して、チェックを入れていく。
シャープペンを使って机に押し込んであったルーズリーフに要点を書き出すが、かす、と途中でペン先本体が紙に擦れる音がした。
芯が詰まったことに気づいたのでノックを無我夢中で連打していると、気の抜けた号令が耳に届く。
「きりーつ」
そこでゆづきははっと我に帰る。
どうやらそうこうしている内に授業が終わっていたようだ。
慌てて黒板を見て答えを確認していると、あずさがゆづきの机にまたやってきた。
「私の見てくれてたよね? 後ろで見てた」
「まあ、うん」
問題は全て正解だったのでほっとする。
前を向けば、あずさがゆづきの書いた要点という名のダメ出しに目を通していた。
「はー、ここはこういう考え方なんだね。勉強になるな」
「……偉そうとか思わないの?」
「何で? 確認してって言ったの私だし、寧ろ凄い嬉しいけど」
意味がわからない、とばかりにあずさは首を傾げた。
あどけない表情を眺め、ゆづきは尋ねる。
「百合野さんは、何で小説家になりたいって思ったの?」
「え、う~ん」
しばらく唸った後、あずさは笑顔で答えた。
「楽そうって思ったから! ライトノベルなら私も書けそうかなって!」
ピキリとゆづきが浮かべていた笑顔に亀裂が入った。
「……百合野さん」
ドスの効いた低い声でゆづきは続ける。
「あんた小説家向いてないわ」
◆ ◆ ◆
「ごめんって。何でそんなに怒ってるの?」
「………」
学校からの帰り道、無視を続けるゆづきにあずさはひたすら纏わりついた。
ゆづきの辺りをちょこまかと走り回り、焦りからなのか早口で捲し立ててくる。
いい加減我慢できなくなったゆづきが立ち止まって怒鳴った。
「もうやめてよ! 迷惑、来ないで」
「あ……」
あずさの泣きそうな顔に、言い過ぎたかとゆづきに反省が生まれる。
しかしこれ以上あずさに付き纏われても迷惑なだけだ。
そのまま硬直したあずさの横を過ぎ、ゆづきは大股で歩き出した。
苛立ちは到底収まりそうにない。
肩で風を切るように歩いていると、いつもより早めに家についた。
「ただいま」
「あら、おかえりゆづき。後ろの子友達?」
「は?」
理解が及ばず後ろを振り向く。
そこには大泣きしているあずさがいた。
泣きすぎて目がウサギのように真っ赤になっている。
「ごめぇん……! 謝るがら、怒んないで……!」
本当に何なんだコイツ。
眩暈を感じたが、ゆづきは目頭をゆっくりと揉むことで何とか誤魔化した。
あずさは生粋の変人に違いない。
「まあまあそんなに泣いちゃって。ささ、上がって」
「ママ!?」
「わぁい! ありがとうございます!」
先程の様子がまるで嘘のようにあずさは笑顔になった。
丁寧に靴を揃えて、ゆづきの母に案内されるままゆづきの部屋へと向かっていく。
「ちょっと、勝手にしないで! 第一友達なんかじゃーー」
「ごめんね、部屋汚いと思うけど」
「気にしません!」
結局あずさに部屋に上がられてしまった。
ゆづきも部屋に押し込み、「ごゆっくり」と母はリビングに消えていった。
「………」
「……出てって」
「ご、ごめん。でも嫌!」
「ほんと、マジで、何なの……」
項垂れるゆづきにあずさは首を横に振った。
人に対する礼儀というものが成っていない。
一刻も早く帰って欲しかったゆづきは、リビングに行ってお茶を注いでくることにする。
お茶を飲み終わったら帰ってもらおう。
「私お茶取ってくる」
「ありがとう!」
お礼だけは完璧だ。
返事をすることなくリビングに向かえば、上機嫌で洗濯物を畳む母がそこにいた。
「ママ。何で勝手に上げたの」
「やぁねえ。ゆづきの友達よ。失礼のないようにしないと」
「だから友達じゃないって」
あずさの量はわざと少なめにしたお茶を入れ、自分の部屋に戻ろうとするゆづきに母は諭すように言う。
「あんまり友達を突き放しちゃダメよ。わかる?」
「……わかってる」
肯定の返しのはずがその声はあまりに小さくて、ゆづきの不満がはっきりと全面に押し出されていた。
拒絶するようにリビングのドアを勢いよく閉めて自分の部屋に戻ると、あずさが何かを持っていることに気づく。
あずさが手に取っていたのはゆづきの原稿であった。
「見ないでよ」
「すっ、凄い……私なんかと全然違う、本物みたい!」
「本物だし」
お茶を渡すと、あずさは有り難そうに受け取って飲み出す。
コップを置いたので全部飲んだことを期待したが、僅かながらに中身が残ってしまっていた。
「やっぱり本物は違うんだね。私がどれくらいできないかわかるよ」
素直に自分の実力不足を認めるあずさであったが、ゆづきはあずさの言動に違和感を感じた。
「学校で楽そうって言ってたじゃん」
「ああ、うん。確かに言ったね」
「どの辺をそう思ったの?」
「だって、できないところを直していくだけだよ。それだったら簡単でしょ?」
楽観的すぎる意見にゆづきは深いため息を吐いた。
ライトノベルなら簡単とかいうふざけた奴はいくらでも見てきた。
あずさも例外でないことに呆れつつ、ゆづきはあずさに向き直る。
夢を諦めさせたいわけではないが、ここはちゃんと言ってやらねばならないのかもしれない。
「あのね……小説はそんなに簡単なものじゃない。才能が必要な世界なの。しかも才能がある人全てが報われるわけじゃない。血の滲むような努力がいる。あとデビューが決まったとしてもその後が大変。改稿とか校正とか、締め切り以内で終わらせなきゃならないの」
「頑張る!」
「だから、努力だけじゃどうにもならないって」
「だって私、なりたいの。小説家に!」
どれだけ言ってもあずさの意見は揺らがない。
それどころかゆづきに詰め寄ってくる。
「これの他に何か書いてないの? もっと読みたい!」
「……書いてない。それは仕事だからやってるだけ」
ゆづきの淡々とした声音に、あずさはつまらなそうな顔をした。
もう放っておいてほしい。
関わられることを苦手としているゆづきからすれば、あずさは煩わしいの一言である。
「才能が必要って言ったけどさ、私の文章からは才能感じなかった? 一ミリも?」
あずさが畳み掛けるように尋ねてくる。
正直に言えば、才能を感じなかったわけではない。
文脈や言葉の意味は無茶苦茶だが、場面の切り替えやキャラクターの心情はよく表現できていると思う。
「……あんまり」
「うぅ」
しかし認めるのが悔しかったので、ゆづきは思っていることとは違うことを言った。
あずさは残念そうにしたが、やはり切り替えが早いのかゆづきに頼み込んでくる。
「次の小説の応募がネットであるの。作品書くの手伝ってくれないかな」
「いや無理。忙しいし」
「手伝ってくれなきゃ毎日机の前で駄々捏ねるよ」
所詮出まかせだろうと断ろうとしたが、ふと思い留まる。
もしやあずさは本気で駄々を捏ねようとしてはいないかと。
家にまで図々しく上がり込んでくる奴だ、そうに違いない。
そうなってはゆづきの日常生活に支障をきたすし、迷惑極まりない。
忙しいとは言ってみたものの今ゆづきが取り組んでいる原稿は編集側の確認待ちで、正直暇である。
手伝うくらい造作もないことだ。
「………わかった」
「!」
「ただし、手伝うのは応募が終わるまでだから」
「うん!」
あずさが頷いたので、次の応募まで我慢するかとゆづきは考えた。
適当にやっておけば何とかなるだろうと。
茹だるような暑さの中、そんなゆづきの心情をつゆ知らずあずさは元気良く飛び跳ねて喜んでいた。
◆ ◆ ◆
次の日でも学校で休み時間になると、あずさがゆづきに話しかけてきた。
話していても別に面白くないだろうに、よく飽きないものだ。
よくわからない雑談を長々されるくらいならと、ゆづきは先日の話へ移る。
「応募するところは決まってるの?」
「うん。丸野社って所」
「丸野社って……あと二週間後じゃない!」
思っていた以上に短期間の期限で、ゆづきは驚愕のあまり叫んだ。
先日渡された紙束を思い出す。
あの量を一週間で書き上げたと言っていたし、行けなくはないのかもしれない。
「ちなみに……長編と短編どっち」
「長編!」
自信満々に宣言したあずさが笑った。
笑顔を浮かべた際のえくぼが眩しかったが、それどころではない。
丸野社の長編といったら、最低でも七万文字は必要なはずだ。
基本的にゆづきの契約している会社が一冊分の本を出すには十三万文字必要であり、それには及ばないものの膨大な文章量に不安が募る。
「ほ、本気? 丸野社って文章量凄いし、大手じゃない。プロにアマチュア問わず、大人まで参戦してる世界よ? できるの? 後悔しない?」
「しない。挑戦はしたいの!」
「何があっても知らないからね」
言い切るあずさに責任を背負いたくないので念を押しておくが、あずさは激しく頷くばかりで本当にわかっているか気がかりだ。
まあ応募するのは自分ではないしいいか、とゆづきが思っていると、あずさにクラスメイトが声をかける。
「あずさー。昨日の課題なんだけどさー……」
そこでゆづきと話していることに気がついたらしく、あからさまにクラスメイトの表情が硬くなった。
「ええと……あずさと小田巻さんって仲良かったっけ」
「いや、」
「仲良くなったの!」
否定しようとしたが、あずさが大声で割り込んでくる。
ゆづきが眉を顰めるのを見て、クラスメイトはそそくさとその場を離れていった。
「意外。小田巻さんとあずさって仲良かったんだ」
「小田巻さんって頭良いよね」
「何考えてるかわからないけど」
クラスの隅で行われる会話に嫌気が差す。
頭が良いと言うが、ここは高校。
同じような学力の生徒が集う中、ゆづきは勉強に時間を割いているだけだ。
他の人達が寝ている間に勉強をしているので、できて当然なだけである。
それを「頭が良い」の一言で片付けられることが不快で堪らない。
「小説のテーマ考えてきたんだけど!」
ゆづきの負の感情を打ち消すように、あずさが声を張り上げた。
あずさが持っているのは設定を纏めたノートである。
それを昨日の紙束のように受け取って、事細かに確認していく。
「……矛盾とか色々言いたいことはあるけど、厨二病発症し過ぎ。見てて痒くなる」
「ええ? ライトノベルなんて厨二病なんぼじゃん。小田巻さんだってライトノベル書いてるでしょ?」
「今時のラノベは現実味も求められるの。そんなの出せば「二番煎じお疲れ」とか「もうこの展開飽きた」とか、「薄っぺらい」とか返されるわよ」
「言葉の重みが半端ない」
設定にアドバイスというかダメ出しを食らったあずさはそれでもめげないらしい。
ボールペンでノートに斜線を引き、新たな案を練り直している。
その姿はかつて小説を書き出したばかりのゆづきと重なって見えた。
「………」
「これとかどうかな?」
文字が見えないくらいの至近距離でノートを見せられ、ゆづきは思わず椅子ごと体を後ろに下げる。
ノートを確認すれば、先程の夢見がちな内容より遥かに向上したものが書かれていた。
ゴテゴテの魔法ものから現実世界にシフトしたものに変えられている。
「病気の少年が少女に恋する話ね……ありがちだけど、それ故の良さもあるんじゃないかしら」
「だよね、私もそう思ってた!」
ようやくゆづきに褒められ、あずさの顔は晴れやかになる。
浮き足立つほど気分が高揚しているようで、褒め言葉一つでここまで嬉しそうにされればゆづきも嬉しくないわけではない。
「……そういえば、何で私が小説家やってるってわかったわけ? 有名ってほどじゃないと思うんだけど」
「えっと、友達が言ってた」
その友達はきっとゆづきと同じ中学の者だろう。
受験での面接の際に、自分の経歴をアピールするために小説家をやっていることは口にした覚えがある。
同じ現場に居合わせた者から広まったのなら納得できた。
「あ、今日も家に行っていい? お母様に挨拶もしたし」
「彼氏か」
「彼氏でーす! なんちゃって」
この軽快なやり取りもネタとして使えるのではないだろうか。
すっかり小説モードに切り替わってしまった頭に、ゆづきは呆れて小さく吹き出した。
自分の脳が単純過ぎて愉快になってくる。
「まあ家のほうが作業しやすいしいいわよ」
「やった! 今日もお願いね」
そこでゆづきは自分を客観視して、あずさのペースに呑まれていることに気づいた。
いけない。期待し過ぎると痛い目見るのは自分なのだ。
線引きはきちんとせねばならない。
気を引き締めるように頬を叩き、深呼吸をする。
それでも楽しいという一時の迷いは消えなかった。
◆ ◆ ◆
「ここ、ヒロインが軽率過ぎる。病気のことをこんなに明るく聞くなんて、そういう軽いキャラとしか見られない」
「表現がなってない。もっとオシャレに……こんなのとか」
「こんなに早く成就してたら人生気楽よ。もっと障害を持たせなきゃ文章量も足りない」
それから毎日、二人はゆづきの部屋で作業することになった。
ゆづきは遠慮なしに何度もダメ出ししている。
これで心が折れてもう小説を書かないというのならそれでよし。
書くのなら甘ったれた考えを捨ててもらわねばならない。
あずさは自分の文章を否定されることに落ち込みはしたものの、決してゆづきに悪態をつくことはなかった。
寧ろここまでしてもらえて嬉しい、と毎日のように言っている。
すぐに諦めるだろうと考えていたゆづきであったがこれは想定外で、そのまま滞りなく作業を続けていた。
「小説っていうのは、起承転結がしっかりしてなきゃいけないの。あんたのは起結もしくは転結」
「中身すっからかんじゃん」
「そういうこと」
説明もなしにこうなった、とかああなった、とか言われても、読者は納得などしてくれない。
そこを叩かれ潰れるのがオチだ。
「本はね、何かを得るために読んでるの。時間が取られる分満足できる文章書かなきゃいけないの」
「はぇ~、現代小説家は訳が違いますなぁ」
わざとらしい口調で頷くあずさを横目に、ゆづきはあずさの文章を見直し続けている。
これはひょっとしたら、万が一の可能性で、いいものが出来るのではないだろうか。
それこそ、何かしらの賞が狙えるくらい。
あくまで本当にまぐれのような確率だろうが。
「ゆづきが書いた本見せてくれない?」
線引きを、とか考えていた癖に、ゆづきとあずさはもう互いの下の名を呼び合うほどには仲が深まっていた。
しかし、その要求はゆづきにとっての地雷である。
「……嫌」
「何で? 本屋とかでも売られてるんでしょう?」
「でも、嫌」
「そっか。じゃあせめてペンネーム教えて。自分で調べるから」
「無理」
ゆづきが小説家であることは知られているが、ペンネームまでは知られていない。
俯くゆづきにあずさはこれ以上食い下がることはなかった。
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「……あーっ、文章量が足りなぁい!」
そこであずさが場の空気を誤魔化すみたいに叫んだので、すかさずゆづきは便乗することにした。
「ネタがないわね」
誤魔化すといってもこれは事実であり、締め切りまで四日を切った所でとうとうネタが切れた。
これまでの文章は約六万八千文字。
最低量である七万にはもう届くが、それだけではならないのだ。
こういった応募ものには、指定の量ギリギリで書いて深みを出したほうが良いとゆづきは考えている。
どうやらそれはあずさも同じらしく、もっと書きたいとは思っているが何しろ書く話題が尽きていた。
ちなみにこれは完全に個人の思い込みである。
「お菓子持ってきたわよ~」
「ありがとうございます!」
「あずさちゃんは可愛いわねぇ」
菓子を持ってきたゆづきの母に、あずさが飛び付かんばかりに駆け寄る。
そんな様子を微笑ましく思ってなのか、母はあずさにニコニコと笑いかけた。
あずさはゆづきから見ても可愛げがあり、クラスの人気者だ。
小説という接点がなければ一生関わらないような人種であろう。
「そういえばゆづき。遊園地のペアチケットが余っちゃったのよね。あずさちゃんと行ってきたら?」
母がそんな提案と共にペアチケットを差し出してくる。
締め切りまで時間がないし断ろうと思ったが、遊園地という絶好のネタに気が付きチケットをむしりとる勢いで受け取っていた。
「ありがとうママ!」
「え、ええ……? そんなに喜ぶとは思ってなかったけど」
「あずさ! ネタ、できた!」
「やったね!」
喜ぶゆづき達を見て母はようやく事情が呑み込めたようで、静かに微笑んだ。
◆ ◆ ◆
あずさの小説のテーマは恋愛だ。
病気の少年が、同じ病院に祖母が入院しているという少女と出会って恋に落ちる。
所謂両片思いとかいうやつで障害を作り、最終的に付き合うーーというところまで持っていけばいい。
遊園地デートなんて格好のイベント、今まで何故思い付かなかったのか。
それほどまでに文章量を増やすには大助かりの出来事だった。
久々に行く遊園地に適当に服を見繕っていくと、待ち合わせの場所にあずさが立っている。
どうやら待たせてしまったらしい。
ここでお決まりの「ごめん、待った?」の展開だが、果たしてあずさはどう返すのだろうか。
「ごめん、待たせた」
「おはようゆづき。とりあえずこれ」
あずさはゆづきが来たのを確認すると、ゆづきに何かを被せてきた。
頭から取ってみればそれは帽子だった。
「あげる! 暑いから気をつけないと。今時帽子なんて三百円ショップで売ってるんだよね、知ってた?」
予想の斜め上の回答にゆづきは「あ、うん」と返事するしかなかった。
そういえばあずさは変人であった。
「じゃあ、ジェットコースター行こう」
「待って。病気の少年は心臓が弱いんでしょ? そういうアトラクションは……」
「少女が乗って、代わりに感想を伝えるの。それがいいよ!」
ゆづきの手を取りあずさはジェットコースターの列に並んだ。
ジェットコースターは人気で混んでおり、長蛇の列に暑い中並ぶのはなかなかの苦行である。
あずさの持ってきてくれた帽子がなければダウンしていたかもしれない。
やはりなんだかんだ言って、あずさはゆづきのことをよく考えていた。
ジェットコースターが自分達の番になると、席に座って安全バーを下ろす。
ジェットコースターはゆっくりとスタートし、最初の急降下のために車体を急激に斜めにして進んでいった。
そこであずさが、ゆづきに向かってポツリと言う。
「ゆづき。今だから言うけど」
「なに?」
「私ジェットコースター苦手」
「……は?」
「だからジェットコースターの感想はゆづきに任せた」
ちょっと待て、と言おうとした矢先に、ジェットコースターが唸りを上げて降り出した。
風圧のあまり反射的に叫ぶ。
感想と言われても、速い、内臓がフワッとする、怖いの三本立てしか思いつかない。
久しぶりに乗るためゆづきも頭を働かせる余裕などなかった。
ジェットコースターが止まり横を見れば、あずさは顔面を蒼白にして「やっと終わった……」と呟いていた。
「どうだった」
「……こわかった」
苦労して乗った割には薄過ぎる感想である。
仕方ないので後で思い出して感想を捏ねくり回しておこう、とゆづきは思った。
「乗れる乗り物行こうよ。感想すらまともに書けないのはダメでしょ」
「うう……そうだね。そうしよう」
「そもそも苦手なのに何でジェットコースター乗ったわけ?」
「王道だと思いまして……」
「随分と体を張った王道ね」
結局その後は絶叫系の乗り物ではなく、メリーゴーランドや観覧車に乗って遊園地を楽しむことになった。
こうしてあずさが横で楽しげに笑っていると、ゆづきも自然に浮かれてくる。
あまり関わらないようにと決めていたことが嘘のようだ。
そして日が沈みカラスが鳴き始める頃、最後に3D水族館に行くことにする。
テレビでも紹介されていた、魚の絵を描いて職員に提出すれば、その絵の中の魚が泳ぎ出すというもの。
職員から手渡された紙を持って、誰もいないテーブルへ向かう。
子供が使った後なのだろう。
テーブルの上には、ぐちゃぐちゃになった色とりどりのクレヨンが放置されていた。
「タコ描いてよ。タコ」
「タコ?」
「なるべく可愛く」
ゆづきはあずさがタコが好きなのかと思ったが、どうやら単にその場の気分で言っているだけのようだった。
ちなみにゆづきは絵が下手だ。
不慣れな絵を描き終えれば、あずさは腹を抱えて笑った。
「変なの! これタコじゃなくてクリーチャーでしょ」
「文句言わないで」
「ごめんって」
正直こんな絵がたくさんの人に見られると考えると、とても恥ずかしい。
絵を隠そうとするが、あずさは職員に渡して読み込んでくることを催促してくる。
ゆづきの中でぐわんぐわんと天秤が揺れた。
自分の羞恥心か、あずさのお願いか。
ーー後者のほうが重かったらしい。
ゆづきの天秤は呆気なく傾いた。
「これ、お願いします」
不恰好なタコの絵を差し出すと、職員は笑顔でそれを専門の機械で読み取った。
3D水族館へ入り、貰った3Dメガネを装着する。
そこには本当に生きているかのような絵の魚達が、所狭しと並んで泳いでいた。
「わあ、凄い! あ、ゆづきのタコ。やっぱ目立つね」
あずさが泳ぎ出したゆづきの描いたタコを指差してケラケラと笑う。
ゆづきは何も返事をせずに、あずさとそのタコをスマホのカメラに収めた。
不覚にも、笑うあずさが可愛いと思った。
「これさ……少女と病気の少年のやり取りに使わない?」
「流石ゆづき! よく考えてる!」
適当に褒められたが、ゆづきの心情は穏やかだ。
ネタが見つかったことの安心と、遊園地で遊んだ楽しさがゆづきの心を安定させたのである。
「よっしゃ、最後頑張るぞ!」
「……うん」
この子となら、この先も上手くやれるかもしれない。
ゆづきがそう思った矢先に、脳裏に過去の出来事が掠る。
『ゆづきさ、スカしててウザくない?』
『分かる! 偉そうっていうかさ』
『嫌だよね』
「…………」
「どうしたの?」
急に黙り込んだゆづきに、あずさが声をかける。
「何でもない」と返したが、それはあまりに平坦な返事であった。
◆ ◆ ◆
遊園地に行った次の日、二人は再び作業へ戻った。
先日の出来事をできるだけ思い出して書き進める中、ゆづきがアイスを買ってくると部屋を出て行く。
部屋にはあずさのみが残されたので、ゆづきが取ったメモを見つつひたすら文を書いていた。
「待って、さっきのどこにやったっけ」
ゆづきが取ったメモは複数あったのだが、他の紙に埋もれてしまったらしい。
適当に紙の山を漁っていると、立ち上がった拍子にうっかり転んでしまった。
「うわっ」
転んだ際に棚に頭を思い切りぶつけ、痛みのあまり蹲る。
背後から重いものが落ちる音と、紙が擦れる音が耳に届いた。
「え、やっちゃった」
振り向けば、棚に置かれていたのだろうクリップでとめられた紙束が、床に乱雑に散らばっていた。
ゆづきが帰ってくるまでに直さねば、と紙束を拾い始めるが、そこであずさは気づく。
「駄作……?」
どれもこれも紙束の最初に「駄作」と書かれている。
何故か酷く動揺した。
駄作と書かれていないものはないかと探すが、どれも「駄作」「駄作」「駄作」……といくつもの物語が駄作認定されている。
紙を捲ればそこには短いながらも簡潔で、爽やかさを感じさせる文が並んでいた。
夢中になってひたすら読む。
そして最後の物語を読み終えた後、あずさは静かに紙束を元の位置に戻した。
ゆづきが最初怒った理由がわかった気がする。
ライトノベルが楽そう。どの口が言うのか。
これだけの良作が駄作とされてしまうのなら、物語達はただの紙の残骸になるしかない。
「私、何やってるんだろ」
もしかしたら遊び半分で取り組んでいたのかもしれない。
ゆづきと文を書くのが楽しくて、物語の本質を忘れていた。
真剣に文に向き合わねば良い作品はできないのだ。
「アイス買ってきたわよ」
ゆづきがそこで戻ってくる。
あずさはゆづきに向かって宣言した。
「私、やり切るから」
「え? うん」
何が何だかわからぬ様子のゆづきが、あずさの宣言を雑に取り合う。
しかしあずさはそれでもよかった。
いずれ自分の本気が伝わってくれるはずだと思ったから。
◆ ◆ ◆
その後、ネットでの応募のため、紙に書いた文章を訂正しつつゆっくりとパソコンに打ち込んでいった。
間違いのないように一字一句確かめながら打ち、それはとうとう最終日の夕方に終わりを告げる。
「やった! 終わった!」
「うん、後はこれを応募に出してーー」
そこで事件は起きた。
「……あれ?」
カチ、カチ、とあずさがパソコンのマウスを押す音が何度も響く。
あずさは困惑しているようで、ゆづきにも嫌な予感が走る。
「どうしたの」
「パソコン……動かない」
まさか、と思いパソコンの操作を代わってもらうが、パソコンはうんともすんとも言わない。
出鱈目に文字を打ち込んだり、再起動してみるが、決してゆづきの意思通りに動いたりはしない。
ーー故障。
その二文字がゆづきの頭に踊る。
手が震えてまともにマウスが掴めず、冷や汗が背筋を伝った。
「あ、あずさ」
「っ」
途端何を思ったか、あずさはゆづきの部屋を飛び出した。
突然の出来事にゆづきはポカンと阿呆のように口を開いて見ているしかなかったが、しばらくしてあずさが部屋に戻ってきた。
その手にはパソコンがある。
「打ち直す!」
「え、あずさ!?」
動かなくなったパソコンと持ってきたパソコンを変えて電源を立ち上げる。
恐らくそれはゆづきの母のパソコンであろう。
頼んで持ってきたに違いない。
今まで使っていたのはあずさのパソコンである。
「無理でしょ! ただでさえ訂正に二日かかったのに……紙版は直してないんだよ!?」
打ち込む際に直していたので、紙への下書きはほとんど手付かずだ。
おまけに大幅に下書きと変更した点もあり、今日中に打ち直すのは不可能である。
しかしあずさは聞く耳を持っていない。
「絶対、絶対やる! 間に合うかなんて、やってみなきゃわかんないじゃない……!」
カタカタとパソコンのキーボードを叩き出したあずさが、ゆづきに向かって叫ぶ。
別にゆづきに分かってもらおうとはしていないのだろう。
反対されてもやるつもりだ。
鬼気迫る様子で打ち続けるあずさに、ゆづきは理解が出来ず尋ねる。
「どうして……? もう、間に合わないの分かるよね。間に合ったとしても下書きだけじゃ無理だよ……次、頑張ればいいじゃん。今回は運が悪かったってことで」
「無理じゃない!」
ゆづきの言葉を遮ってあずさが吠える。
一時たりともパソコンから目を離さず、操作を続けながら嗚咽混じりにゆづきに訴えた。
「諦めたくなんてないよ……! あんだけ、あんだけ頑張ったもん」
「うん」
それはゆづきが誰よりも知っている。
ダメ出しにもめげずに、あずさが努力していたことを。
抑えられなくなったのか、あずさの大きな瞳からボロボロ涙が溢れた。
「それにっ、それにっ……ゆづきがっ、一緒に、やってくれたもん……」
「………」
「完成させる、絶対」
驚きを通し越して、最早放心状態となったゆづきに一瞥もくれることなく、あずさは涙を拭って作業に戻った。
あまりの必死さに、ゆづきは最初にした質問と同じ質問をする。
「あずさは……何で小説家になりたいって、思ったの?」
あずさは最初とは違い、迷う素振りも見せず即座に答えた。
「楽そうだからって言ったけど……本当は、書くのが楽しいから。楽しいから書いていたいの」
書くのが楽しい。
ゆづきにはーー否、今のゆづきには小説を書くことに楽しさを感じられていない。
あずさには、何度も昔の自分が重なって見えた。
その度に過去を思い出してしまう。
ゆづきだって最初は、楽しいから小説を書いていたのだ。
楽しいし、ネットで書けば誰かが評価してくれる。
それがまた人気となって形に表れるのが、たまらなく気分が良い。
ゆづきが小説を書き始めたのは、スマートフォンに数多くあるアプリの中の一つからだ。
最初にアプリ内で人気ランキングの一位を取ったのは、書籍化した作品とはまた別のものであった。
その頃のゆづきはまだ中学生で、文章力なんて育めてもいない。
恐らく中学生なりの斬新な切り込みが人気を呼んだのだろう。
一位を取った時には凄く嬉しかったし、貰える感想がどっと増えたのを覚えている。
しかし、ある時を境にーー否定的なコメントが溢れた。
「矛盾しすぎ」「主人公が気に食わない」「ウザい」などで満たされ、それからコメントを読むのをやめた。
読者がついているのはわかっていたが、それは一種のトラウマとなったのだ。
それから書籍化となる作品を投稿した。
こちらも人気を獲得し、前回の反省を生かしてそこそこのペースで進めていくと、アプリの運営会社側から書籍化の声がかかった。
その時は本気で喜んだし、夢が叶ったと思ったものだ。
しかし本一冊を作るのは苦難の連続であった。
改稿案を渡されて絶句したし、自分と編集側の意見の擦り合わせも欠かせない。
辛いこともあったが、自分の小説にプロのイラストがつくと興奮のあまり友達に見せびらかした。
そうして発売された一巻はそこそこの売り上げを記録したが、小説のせいというのか、自業自得と言うべきなのか、ゆづきの日常は一変する。
当初は調子に乗っていたところも、天狗になっていたところもあったのだろう。
周りに小説家になったことを言ったし、凄いと褒められることで悦に浸っていた。
それがマズかった。悪手だった。
ゆづきは周りの人間から距離を置かれるようになった。
近づいてくるにしろ、ゆづきを「小説家」として見てくるようになったのだ。
ゆづきをゆづきとして見てくる人間はほとんどいなくなった。
そのことに気づいた途端、どうしようもなく気持ちが悪くて、えづいた。
周りの人間の自慢の種になるために食い潰されて終わっていくのだと、そこで悟った。
誰もゆづきのことなんて本気で見ていないし、小説家であることを面白がっているだけ。
もしくは小説家と繋がりを持ちたいだけ。
ゆづきは自分から周りの人との関わりを断った。
心の拠り所にしていた小説も、巻数を重ねていくうちにあまり売れなくなり打ち切りの話が出た。
所詮はこんなものか、というのが素直な感想。
この才能の世界では、才能がない者が蹴落とされ終わっていく。
もちろんゆづきが蹴落とした人間もいたのだろう。
しかしゆづきも特別才能がある訳ではなく、運の良い人間として這い上がっただけ。
今では感想を見ることも怖いし、小説のことを話題に出されることも辛い。
ゆづきは傲慢だ。
一度の経験でこうも驕り、偉ぶり、あずさに小説とはなんたるかを説いた。
自分はネットで晒し者にされたような気分となり、小説から逃げ出したのにも関わらずだ。
もう終わるものとして小説と事務的に向き合っていたゆづきに、楽しいという感情は欠落していたはずだ。
しかしあずさの姿が、ゆづきの心を大きく揺さぶった。
「…………待って」
「なに!?」
「直してく」
ゆづきは机に押し込んでいた白紙の束を取り出し、下書きを横に置いた。
下書きを見て訂正しながら打つのは時間がかかり過ぎる。
それなら、ゆづきが直していけばいい。
「……でも、私の介入がほとんど入る。私が違和感感じた所、許可取ることなく全部直してく。それでもいい?」
これはあずさの作品だ。
ゆづきはあくまで手伝いであり、参加者ではない。
ゆづきが直すならこれはあずさだけでの物語ではなくなる。
どのような返事が来るか、ゆづきが身構えた。
「……なら、協力作品ってことだね! そうしよう! 私達二人の作品だよ!」
しかしあずさはあっさりと頷き、ゆづきに頼んだ。
「お願いゆづき」
「………わかった」
そこからゆづきとあずさは一言も喋らなかった。
完成させるために極度の集中力でタイピングをするあずさと、文章を直していくゆづき。
時間内に間に合わせるために高速だ。
誤字があってもおかしくないし、ゆづきの直した内容にあずさが意見する暇もない。
ひたすら打ち続け、滑り込むように作品を応募する頃にはーー締め切りの深夜0時の三分前となっていた。
『応募が完了しました』
この文を読み上げ、二人は安心のあまり脱力する。
そういえば必死になっていたためあずさは我が家に遅くなる許可を取っていなかった。
深夜0時前は流石にマズい。
焦る二人だったが、そこにゆづきの母がやってきた。
「あんまりに集中してたみたいだから、あずさちゃんのお母さんに連絡入れておいたわ。今日は泊まっていきなさい」
今の二人には有り難すぎるフォローであった。
ひとまず母に礼を言い、寝る準備を済ませた後押し入れから布団を引っ張り出す。
「今日はこれで寝て」
「うん、ありがとう」
布団を二人仲良く並べ、電気を消す。
しかし先程の緊張が抜けきらず、ゆづきに眠気はやってきていない。
「……ゆづき、起きてる?」
「まあ」
それはあずさも同じであったらしい。
声をかけてきたので、ゆづきは短い返答をする。
あずさは一句一句噛み締めるようにして喉から言葉を押し出した。
「本当に、応募、できたよね……」
「………」
不安が一気に押し寄せた。
電気をつけ、いそいそと二人でスマホを起動し、応募が完了していることを確認する。
そこにはきちんと『応募完了』の文字があるというのに、二人の気持ちは一向に落ち着かなかった。
◆ ◆ ◆
それから五ヶ月後、結果発表の日となった。
二人で見ようと約束していたゆづき達は、学校が終わると駆け足で下校する。
ゆづきの部屋へ慌ただしく上がるとスマホを持った。
スマホを見るだけなのにも関わらず、何故かきちんと正座だ。
あずさがゆづきに期待を隠せない声音で尋ねる。
「……いい? 開いちゃっていい?」
「待って、まだ現実見たくない」
「開けるよ?」
「待ってって」
「あ、開けちゃった」
「きゃーっ」
ゆづきの言うことはやはり聞かず、あずさが応募結果の発表欄を立ち上げた。
大賞、副賞、特別賞、奨励賞と確認していく。
「………」
「……………」
残念ながら、二人の書き上げた作品はそこには乗っていなかった。
「駄目だったかー」
「まあ惜しい惜しい! 来年頑張ろう」
「来年ねえ」
随分と先のことに思考を巡らせていると、あずさが元気づけるようにゆづきの手を握った。
しかし明るく振る舞う割にはあずさは落胆を隠しきれていない。
まあこんなものだ。
しかしやり切ったので後悔はない。
あそこで諦めなくてよかったと本気で思う。
そこでゆづきの母がいつも通りお菓子を持ってきた。
「ゆづき、あずさちゃん。お菓子」
「ありがとうございます!」
「ありがと……」
あずさとゆづきが陰鬱とした表情だったので、ゆづきの母は疑問を口にした。
「やぁねえ。どうしたの辛気臭い雰囲気して。せっかく賞取れたって言うのに」
「あのね、傷ついてる娘に……待って、今なんて」
「賞、取れてたでしょう?」
「は!?」
震える手で先程の画面を立ち上げ、再び上から下へスクロールしていく。
しかし何度見直そうが二人の作品名はない。
「ないって。からかわないでよ」
「よく見なさい。ほら」
しかし母が指差したのはその更に下であった。
そこには『今年特別に儲けた賞です』の文と共に、ゆづきとあずさの作品名が載っている。
「…………期待、賞……」
「~っ、やった、やったんだよ、やったんだよゆづき!」
「嘘でしょ」
未だに信じることが出来ず何度も目を擦るゆづきに、あずさはピョンと飛びついた。
支えきれずに二人まとめて倒れ込むと、馬鹿みたいに笑い出す。
「あははは」
「うははははは!」
そこから二人はずっと笑っていた。
腹が痛くなるほど笑っていた。
やがて笑い疲れて立ち上がる頃、二人は向き合って再び画面の文字列を追う。
「『今回は本当に素晴らしい作品が多かった為、新たに賞を構えさせていただきました』だって!」
「取れちゃった、取れちゃった?」
「うん!」
そこからまた「きゃーっ」と歓声を上げた。
近所迷惑などこの際気にしていられない。
するとあずさがゆづきに向き直って、何を思ったか頭を下げた。
「ちょっと、あずさ? 何してるの?」
「これからも、私と小説書いてくれませんか」
あずさはゆづきに向かって、床に頭を擦り付けるすれすれで頼み込んだ。
ご丁寧に三つ指までついている。
「……いいよ」
「!」
「ただし、条件が一つ」
「えぇ」
許可を貰えた嬉しさから一転して、あずさの眉が下がる。
そんなあずさにゆづきは一冊の本を差し出した。
「これって」
「私の本。読んで欲しい」
「……っ、うん、うんっ」
あずさは何度も頷いた。
感動のあまり、泣いているようだった。
涙脆い奴だとゆづきは思ったが、そんなゆづきも泣いていた。
母は二人のそんな様子を微笑ましく思い、スマホのシャッターを切る。
それが二人に気づかれ消すように懇願されるのは後何秒後か。
少なくとも今の二人にはどうでも良いことだった。
花にひれ伏せ キヅカズ @yukizukayuzu
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