第6話:ほら、あたくし、もう厚化粧じゃなくってよ!(その6)

「ここは…? ここが、ラフロイグさんの夢の中…。よく考えたら、お人形さんの夢の中なんて初めてですわ…。人間の夢と大差ありませんのね…。でも、ここはどこですの? 暗くて、何も見えない…。いえ…薄っすらと、何かが見えてきましたわ…あれは…ここは…。あっ! ここは、お父様のお屋敷の来賓用の寝室ですわ! あたくし…今、クローゼットの中にいるんですの…? 扉の隙間から、部屋の中が覗けますわね…。でも、不思議ですわ。なぜ、ラフロイグさんの夢に、この部屋がでてくるのかしら…。外は…夜ですのね…。暗がりでも部屋の中が見えるのは、月明かりですの? …あっ! 誰か部屋に入ってきましたわ…。あれは…女の子? やたらとコソコソしていますのね…。もしかして、泥棒さん…? あ…ベッドの方に寄っていきましたわ…。ベッドに寝ているのはもしかして…ああ! だめ!!」

「な、なに…? クローゼットに、誰かいるの!?」

「あなたは…そんな…そんなことが…!」

「おねえちゃん、だあれ? もしかして、どろぼうさん…?」

「あたくしは…あたくしは、あなたですわ…」

「おねえちゃんは…わたし…?」

「…ねえ、こんな夜に、コソコソ入ってきて…アイラちゃん、あなたは何をしようとしていたんですの…?」

「え!? …ええと…ええっと…」

「あそこに寝ているのは…どなたですの?」

「ええとね…あそこにねているのは、おりょうりのお姉さん…」

「お料理のお姉さん…。やっぱり、ですの…」

「やっぱり…?」

「ねえアイラちゃん、あなたもしかして、そのお姉さんの夢の中に入って、お料理の秘密を盗もうとしているのではなくって?」

「え!? なんでわたしのスキルのことをしっているの…?」

「…ねえ、それは、関心できることではなくってよ…。あなたが特別なスキルを持っているからと言って、それを悪い事につかうのは、いけないことですのよ…」

「わるいこと…だよね、やっぱり…」

「そうね…。アイラちゃんは、いい子ですのね…我ながら…。わかってくれたなら、自分のお部屋に戻ってお休みなさい」

「う、うん…。そうする…。ありがとう、おねえちゃん」

「…出て行きましたわね…。まさか、ラフロイグさんの夢の中で、この場面に出くわすとは思いませんでしたわ…。これ、本当にラフロイグさんの夢の中ですわよね…? あたくしが、あたくし自身の夢の中に入ってしまったなんて…あり得るのかしら…。ううん。それはありません。それはありませんわ。さあ、早く、女神の夢の中に入らなければ。ええっと…大丈夫。よく寝てらっしゃいますわ。でも、なんで料理のお姉さんの代わりに、ここに女神が寝ているんですの…? 夢の中とは、時に不条理な設定を生み出しますのね…。両目の下のほくろ…間違いありませんわね…。ここにはゴブおじもキルホーマンもいない…。もしあたくしが、女神の夢の中でトラブルに巻き込まれても、誰もあたくしを起こしてはくれない…。夢の中の夢の中で迷子になれば、あたくしは一生夢の中から出られないかもしれない…。でも、あたくしはやらなければなりませんわ…。女神を目覚めさせて、子供のころからのあたくしの罪と決別するためにも…」



「ほう、ようやく来たか。待ちわびたぞ、厚化粧」

「なんですって? どういう事ですの? ラフロイグさん、もう女神の体に乗り移ったんですの? そ…その姿と、その艶やかな女性の声で、その口調は、大変違和感がありますわ…」

「そう思うか。ならば、滑稽と言わざるをえまい」

「滑稽? それは…なぜですの?」

「お前が、この姿でこの口調の俺と出会うのは、これが初めてではない、という事だ」

「ええっと…。理解できませんわ。あたくしがラフロイグさんと出会ったのは、あの祠が初めてのはずですわよね…」

「なるほど。人間の記憶の欠如というものは、時には便利なものだ」

「説明していただけます?」

「いいだろう。まず、なぜ俺が、俺の夢の中に女神を登場させる事を前提にお前にスキルを使わせたか、から話さねばなるまい。俺は、人形の体になってから、ほぼ毎晩、この夢を見ている。つまり、夢の中で、俺は女神の体で動いている。なぜなら、この体はもともと俺の体だからだ」

「そんな…。ラフロイグさんが…女神だった?」

「念のために言っておく。この体を勝手に女神と呼んでいるのはお前たちだ。実際のところ、ただの人間の女の体に過ぎん」

「ラフロイグさんは…元々、女性の方でいらっしたの…?」

「ほう、いつから俺が男だと錯覚していた?」

「だって…その口調と、あの低い声を聞いたら、誰だって…」

「なるほど。だが、お前にはもうひとつ、事実を知って驚いてもらわなければなるまい」

「事実…ですの?」

「何のことはない。お前が子供のころに殺した『料理家の女』は、他ならぬ『女神』だった、という事だ」

「料理のお姉さんと女神が…同一人物…。それは…つまり…」

「気づいたか。お前が殺した料理家の女とは、つまり俺だ」

「ラフロイグさんが…料理のお姉さん…」

「夢の中でお前に殺されて、俺は死んだと思った。だが、目が覚めた。そして、本来の体を失った俺は、人形だった。それは、お前の部屋にあった人形だったんじゃないのか」

「そんな…そんな…」

「混乱したか。今回ばかりは同情してやろう。だが、俺は死んじゃいない。お前のスキルのバグかしらんが、人形の体で生き延びた。そして、さあ、俺はいま、女神の体の中だ。あとは、お前が俺を夢の中から現実に連れ戻すだけだ」

「ど…どうやって戻ればいいんですの…」

「ほう、それを俺に訊く理由を、俺はお前に問わねばなるまい」

「…ゴブおじが揺り起こしてくだされば…。いいえ、夢の中の夢の中にいるのに、現実から揺り起こされてしまえば、あたくしはきっと夢の中で迷子になってしまいますわ…。自分の力で、まずはこの夢からでなければ…。できますわ…。いつもの通り、やればいいんですもの…」

「独り言は、そのくらいで充分か?」

「ええ、充分ですわ。さあ、まずは、この夢から覚めますわよ。ラフロイグさん、あたくしの手を握ってくださる?」

「手をつなぐのは性に合わん。そもそも、人と手をつなぐなんて、何年ぶりかすらわからん」

「あら、丁度よかったではないですの。さあ、目を閉じて、じっとしてくださる? いきますわよ!」



「ここは…よかったですわ。お父様のお屋敷の寝室…。まだ、夢の中にいますのね。人形のラフロイグさんの夢の中に。いえ…今は入れ替わっているはず…女神の体の夢の中のはずですわね…」

「とりあえず成功したのか?」

「ええ、今のところは。でも、もう一度、この夢から抜け出さなければなりませんの」

「そうか。それは難儀だ。だが、その前に、泣いているその小娘をなんとかしなければなるまい」

「小娘…? あっ! アイラちゃん! 部屋から出てお休みなさい、って言ったではありませんの」

「だって、だって…わたし、りょうりのお姉さんのことを、ころしちゃったんだもの…」

「なんて事ですの…。こんな小さな女の子が、そんな悲惨な哀しみを背負っているなんて…。かわいそうに…」

「おい、厚化粧。勘違いするな。それは、お前自身だ。お前が俺を殺した時の、お前自身以外の何者でもない。その小娘が背負った悲哀は、お前自身が、同じ子供の頃に背負い、そしてたった今まで、背負い続けてきた悲哀だ。それを忘れるな」

「あたくしの…。あたくし…の…。アイラちゃん、こっちへいらっしゃいな」

「う…うん…」

「ほら…抱きしめてさしあげますわ…。ほら…ぎゅうぅぅぅ…」

「う…うぅ…アイラおねえちゃん、アイラおねえちゃああん! ふえぇええん! えぇええん!」

「アイラちゃん…ごめんなさい…。ごめんなさいね…あたくしのせいで…こんなにつらい目にあわせてしまって…」 

「えぇええん! えぇええん! こわかったよぉぉおおお!」

「アイラちゃん…アイラちゃん! う…うぅ…! ぅううぅうううう!」

「ふえぇええん! えぇええん!」

「あ…あぁああん! ああああああああん! ふえぇえぇえええええん!」



「落ち着いたか」

「…ええ。アイラちゃんは泣き止みましたし…あたくしも、大丈夫ですわ。お見苦しいところを…」

「夢の中だ。気にする事はあるまい。それよりも、厚化粧、夢から覚める前にやっておくことがある。こっちに顔を向けろ」

「顔を…ですの?」

「ふっ。涙で化粧が崩壊してまるでピエロだな。安心しろ。俺がいまから、お前の子供の頃からの罪を背負い続けた人生が、まさにピエロだったと証明してやる」

「それは、どういう…ぶっ! ちょっと、急にあたくしの顔を拭かないでくださる? な、なんですの? あ、額の化粧だけは…」

「今更気にする事はない。そもそも、俺はお前の罪人の印には気づいていた。これ以上苦しむ事はなかろう。俺はこの通り元の体を手に入れた。お前は、今までの罪を負った人生を受け入れ、赦した。であれば、この印がここに鎮座している論理的理由はあるまい」

「それは…そうかもしれませんけれど…」

「少し痛いぞ。我慢しろ」

「な…なにを…あ…い、痛い! 痛いですわ! ゆ、夢の中なのに…」

「よし。終わった。さあ、現実に帰るぞ」

「ラ、ラフロイグさん、一体何を…」

「目が覚めたら、鏡でも見てみるんだな」

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