第5話『ポトフ』

 ポトフを見て、紗奈ちゃんと落合さんが、何かを思い出したのか、ほぼ同時に『スン……スン……』と鼻を鳴らして泣き始めた……。


 ポトフ……『サン・クリスタおばさんのスープ』の第1話に登場した記念すべきスープだ。



 ……20XX年……パンデミックにより、人類の20%が死滅した。


 ……最愛の家族を亡くし、絶望した男性が、人生を終えるつもりで外出した。


 自暴自棄になりマスクを外してしまった彼の鼻腔に、食欲をそそる香りが届けられた。 その香りに誘われて歩みを進めると、ちっぽけな可愛らしいお店……スープ専門店『サン・クリスタ』があった。


 ……そこは、ふっくらとした物静かなおばあさんが一人で切り盛りしているお店だった。


 ……常に、家族の元に逝く事ばかりを考えていた男性だが、そのスープを一口食べたと同時に、その『美味しさ』に魅了され、たちまち平らげ、それと同時に生きる気力を取り戻していた。


 ……実は、おばあさんが作るスープは、『太陽サン』のような『救世クリスタ』の力を宿していたのだ。 


 その男性は、とある製薬会社の研究員だった。


 何度失敗しても諦めず、研究に研究を重ねて、ついにパンデミックの原因ウィルスを死滅させる特効薬を開発し、世界を救ったのだった。


 ……彼が食べたスープこそ『ポトフ』だった。



「私……前に失恋して、死んじゃいたいくらい落ち込んだ時があったんです。 ……そんな私を慰めようと、野華ひろかさんがこちらに招いてくれて、こうやってポトフを作ってご馳走してくれました。 ……それが美味しくて美味しくて! 落ち込んでいた気持ちが何処どこかへ飛んで行っちゃったんです! 命を救われた気がしました。 ……その時に、綺麗な妙齢の女性が『ポトフ』の力で世界を救う『サン・クリスタ女史のポトフ』……っていうストーリーを思い付いたんです」……と落合さんが言って、袖でそっと涙を拭いた。


 野華さんが……「私、その時、初めて真子ちゃんが小説を書くって知ってびっくりしちゃって……。 その上、私をモデルにした小説を書きたい……なんて言うものだから、もう恥ずかしくて恥ずかしくて……」と言って、頬を赤らめた。


 続けて落合さんが……「野華さんが『お願いだから、主人公を変えて欲しい! じゃないと、恥ずかしくて読めない!』って必死に言うものだから……主人公をふっくらとしたおばさんに変えて『サン・クリスタおばさん』が生まれたんです」


 へえぇ〜……もし野華さんが主人公のままだったら、物語はどうなってたかな。 ちょっと知りたい気がした。


 それより何より、野華さんの遠慮深さはマリワナ海溝より深いんだな〜! ……そうなると、主人公がずっと照れてて、話が進まないかもね(笑)


 紗奈ちゃんが「私は、さっきも言った通り『すめらぎ宇宙軍』から読み始めたので、すっかり楽しい冒険の話が得意な先生だとばかり思っていたから、ストーリーの重さに驚きました。 ……あんなに切ない、感動のストーリーも書けるなんて、コマイ先生って本当にスゴいと思いました!」……と言って、ティッシュを鼻に当てた。


 「私は、才能も何も無い、平凡な人間です。 凄いのは、お料理のチカラで人々に生きる希望を与えられる、野華さんみたいな女性ひとですよ……」落合さんが野華さんを見ながら言った。


「真子ちゃん……私は、レシピを見て作っているだけ。 本当に偉いのは、こんなに美味しくて、皆に元気や希望を与えてくれるお料理を考えてくれた人達よ……」……と、野華さんが笑顔で、祈るように言った。


 ……本当に……神々しい笑顔とは、まさにこれだ……! 世知辛いこの時代に、自らの功名を望まない人達が、こんなに集うなんて……


 ……と、こちらまで何だか高尚な人間になれたような気分に浸っていると……


「こんなに美味しそうな料理を前に、手も出さす、口も出さず……ひたすら耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでいるあたしが『一番偉い』と言ってくれる人は居らぬのか!?」……とユイがボソッと言った。


「あ! ユイちゃん! ごめんなさい! さあ、食べましょ食べましょ!」……と野華さんがお皿を並べ、お野菜とソーセージがたっぷり入ったポトフを盛ってくれた。


 ……ユイの一言で静まり返った空気が、またまた明るく、笑顔溢れる空間に変わった。さすがは司令官に登り詰めただけの事はある……良〜いタイミングだったぜぇ!

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