第5話 噂はゆっくりと転がり始める
その数日後、社交界にはこんな噂が流れ始めていた。
「なぁ知ってるか? 社交界デビューの日、オルトガン伯爵家の息子が許可なく王族に対して口を開いたらしい」
「それはまた……で、処分は?」
「それが何でも『お咎めは何も無し』らしいぞ。しかし失態は失態だ、やらかしたな」
代々他と隔絶する頭の出来の良さを誇るオルトガン伯爵家の血筋といえど、やはり所詮は子供という事か。
そんな空気が社交界には流れていた。
伯爵家はその頭脳明晰さで噛み付いてくる他貴族に今まで度々しっぺ返しをお見舞いしてきた。
そのため伯爵家の事をよく思っていない人間も、一定数存在する。
そんなヤツらにとってこれは、やっと現れた揚げ足だ。
声を大にしない筈はない。
お陰でこの噂はすぐさま広まり「社交界ではもう知らない者など1人も居ない」という所まで行き着いた。
そしてその噂には、こんな疑問がつきまとう。
「しかし何故王族は、オルトガンの息子に『不敬罪』を適用しなかったんだろう?」
「それが、どうやら息子は『まるでハルバーナのようだ』って言ったらしくてな」
ハルバーナ。
それが褒め言葉である事は社交界では常識だ。
そして。
「おいおい、何だそれ。もしそれが息子の本音なら、伯爵は一体どういう育て方をしてきたんだ?」
そんな風に、思わず鼻で笑ってバカにする。
伯爵と王弟の仲が悪い事は、社交界では既に周知の事実だ。
となれば、その息子が友好的どころか自らの命を危うくしてまで称賛した事がひどく滑稽なものに見えるのは、至極当たり前の事である。
そんな息子の行いに焦ったのだろうか、それとも腹を立てたのか。
その答えは分からない。
が。
「どちらにしても、その時の伯爵の顔はさぞ見物だったろうな」
どうしたって、人というものは他人の不幸を蜜の味に感じてしまう。
そんな風に伯爵の事を嗤った者は非常に多かった。
――しかし、じきに噂はゆっくりとシフトしていく。
「あ、『ハルバーナ』といえばさ、お前は知っているか? 先日の学術調査でどうやらハルバーナの生態が新たに解明されたらしい」
それは『ハルバーナ』という言葉からその事実を思い出した誰かさんから始まった。
「あぁ、それなら俺も知っている。確か『ハルバーナは一度に5、6匹の子供を産むが、育てるのは一番屈強な1匹のみ。他はすぐに育児放棄をして見捨てる』っていうやつだろう。ハルバーナは皆雄々しく屈強な個体ばかりだが、その謎が今回解けたっていう訳だ」
今まではそもそも屈強な種だと思われていたハルバーナ、しかしその強さは厳しい環境下によって作られたものだった。
そんな新事実が呼んだのは、何も答えへの納得や研究者への称賛だけではない。
「しかし幾ら弱い子供だからといっても、育児放棄までする事はないだろうに。切り捨てられた側からすると、た堪ったものではないよな」
そんな同情の声が上がったのだ。
因みに、この研究成果は王宮直轄の調査隊によるものだった。
情報源としては、これ以上になく信用確度が高い。
それもあり、この成果に疑いを持つ者は誰一人として居なかった。
そして、だからこそ。
「なぁところでさ、ちょうど今思い至ったんだが……もし屈強なその1匹が子孫を残す前に死んだりする事は無いのんだろうか?」
「そりゃぁ奴らも野生動物、アクシデントはあるだろうさ。例えば、もし飢饉や疫病なんかの『どうしようもない系』の災害が蔓延したら。そんなの獣になんて成す術は無いだろうしな」
「そうなると……」
「行き着く先は『絶滅』しかないんじゃないか? まぁそれも自業自得だがな」
そんな声が社交場の端で囁かれた。
噂話が変容するのは、必定だ。
しかしその方向性を定めるのは難しい。
だって、噂には沢山の人間の思惑や感情が介在するのだ。
そんな不特定多数の思考を制御し一つの道筋を守らせるなど、そんなの容易な事ではない。
しかし、容易ではなくとも決して不可能などではなく、寧ろそこに1パーセントでも可能性があれば必ずやってのけてしまえるのが『オルトガン・クオリティー』だった。
こうして誰もが予想だにしていなかった方向へと、噂はゆっくり転がり始める。
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