第3話 賞賛で、罠を張る
それとほぼ同時と言っていいくらいのタイミングで、別の声が「おい、やめんか」と言葉を発した。
先程聞いたばかりの声だ、おそらくこちらが王だろう。
となれば、最初の声を発したのはおそらく先の話に出た王弟その人なのだろう。
潜める様に告げられた咎めの声は、しかし残念ながら強制力を持つ音にならなかった。
否、おそらく最初からその気が全くなかったのだろう。
でなければ一国の王の窘めがあんな声になどなりはしない。
つまり、だ。
(これは『一度は止めた』というポーズだきっと)
結局彼らは、自尊心と対外的評価が気になるだけの人間なのだ。
そんな風に思わずにはいられない。
そして案の定、王の声は結果的にも静止の効果を果たさなかった。
「なぁ。今日はすることももう無いだろうし、帰るか? ……あぁ、喋ってもよいぞ? レグルム」
頭を下げた体制のため、ワルターには相手の表情が全く見えない。
しかしその声色や言葉から、相手がひどくニヤついてこちらをバカにしている事だけはよく分かった。
そんな彼の言葉を受けて、レグルムが口を開く。
「左様にございますね。この場に私が挨拶すべき方は、ただの1人もおりません。ですから殿下の御言葉に甘えてさせて頂いて、この後は速やかに会場からお暇させていただきましょう」
そう言った父に、ワルターは思わず心の中で「上手い」と唸った。
父は元々社交場に興味がない。
どちらかと言えば苦手にしているくらいだし、そのお陰であまり贔屓にしている人も居ない。
王弟が言った通り必要があるのはその1人だけなので今退いた所で誰に無礼になるという事もないし、中々皮肉が効いている。
あちらが気付いているのかは分からないが、おそらく「ただの1人も」というのの中に王族も入っているのだろうし、そもそもこちらを困らせようとして言った言葉をすんなり飲み込まれてしまえば腹立って立つだろう。
しかし表向きには王族の名に従っただけ、そこに難癖をつけるのも難しい。
つまりこれは一種の種返しという訳だった。
しかし、だ。
(そんな事よりも)
そうワルターは、思考を回す。
ここまでのやり取りでワルターには一つ、どうしても引っ掛かった事があった。
王弟が言った「飢饉の『お陰で』」という言葉だ。
お陰で、とは何だろう。
否、本当は分かっている。
飢饉があったお陰でレグルムを揶揄する理由が出来て嬉しい。
そういう意味なのだろうという事は。
(でも、何だよそれ)
だからこそ腹が立つ。
だってそこには被災した国民と対処に駆けずり回っている領主に対する悲哀や慈愛の念が、全くと言っていいほど感じられなかったのだから。
グーメルン領の飢餓については、父の詳しい調査結果が書庫にあった。
国の西で起きた干ばつ。
そのせいで現在食糧難が発生しているのが、グーメルン領だ。
その飢饉に対して、国が一定額の助成をしている形跡は確かにあった。
しかし飢餓の状態が想定以上に酷く、そのせいで折角もらった助成金もどうやら『焼け石に水』状態らしい。
そうなればグーメルン伯爵が領民の命を守るためにすぐさま行う事は一つ、更なる助成の求めである。
しかし実際にそうした伯爵に対し、国は「元々領で備えはしてある筈だろう。国庫も無限ではない。備蓄が足りないなら、それはお前の怠慢だ」と回答したのだ。
そしてそれ以降、伯爵からの再三の求めにも全く取り合おうとしない。
伯爵領は、定期的に干ばつが起きる場所なので災害対策の為の食料備蓄は年々きちんと行っている。
実際に以前までの規模なら十分に補えるだけの備蓄を伯爵はちゃんと行っていたのだが、今回はそれでは足りない規模だったのだ。
だから今までなら足りていた備蓄を全てはたいても、残念ながら全く需要に追いついていない。
そういう背景が見えていないのか、それとも見えないふりをしているだけなのか。
どちらにしても国に配慮が足りないことは間違いない。
そうした調査の結果、父は「国は全くあてにならない」と国へと早々に見切りをつけ、すぐさまオルトガン伯爵領からグーメルン伯爵領への現物支給による食料援助を決定した。
お陰で伯爵領はどうにかなっていると聞くが、それでも国への不信感が消えたわけではない。
グーメルン伯爵は勿論そうだろうし父だっておそらく同じだろうが、ワルターだってそうなのである。
だから。
(民をも守らずして、何のための国や王族なのか)
そんな風に憤ったあの時の感情が先の王弟の言葉で再燃したとしても、何ら不思議はないだろう。
貴族が領民の為に在る様に、王は国民の為に在るべきだ。
それが、ワルターの考える『ふさわしい姿』だ。
なのに彼は『お陰』と言った。
そんな言葉が出てくるのだ、やはり父の言う通りこの者たちは本当に「背負う権力に見合わない」ヤツ等だと見える。
ワルターは、スッと思わず目を細めた。
最敬礼の為に顔は伏せられている。
だからその時のワルターが浮かべた表情を覚えている者は誰も居なかっただろうが、彼が告げた次の言葉は半永久的に人々の脳裏へと深く刻まれる事になる。
「王族の方々は、まるで『ハルバーナ』の様ですね」
それは決して大きな声などでは無かった。
しかし嫌によく通る声だった。
『ハルバーナ』。
それは森の王者とも呼ばれている、大変獰猛な肉食獣の名だ。
そしてその名は同時に『雄々しい様』の比喩として、貴族界ではよく使われる言葉でもある。
そう、つまりワルターは気に食わない相手に対して称賛の言葉を告げた事になるのだ。
――少なくとも、表向きには。
そんな言葉を告げた彼に「……ワルター」と、父が咎めるように嗜める。
ワルターの発した言葉自体は、決して無礼ではなかった。
では何が問題だったのかというと、王族から許可を得ずに彼らに対して発言した事である。
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