第32話 再実験

 それから、どれほどの時を経たのか。

 うっすらと、カナデは瞼を持ち上げた。


 ずきずき、身体中が痛む。その痛みが、目を開けてもなお、漫然としていた意識を、次第にはっきりとさせていく。


 目に入るのは、無骨な灰色のコンクリート作りの天井。どうやら自分は、見知らぬ部屋のベッドに寝かされているようだ。そして身体を動かそうとして、自分の手足が頑丈な拘束具にて、ベッドに縛り付けられていることに気付く。


「よお、お目覚めかね。ご機嫌麗しゅう、カナデ・ハーン」


 嘲りの色も露わな声の方向に視線を投げれば、そこには、またしても、クオがいた。


 そうであった、自分はアイリーンを殴りつけたレベッカに立ち向かった挙句、完膚なきまでに叩きのめされて、意識を失ったのであった。その容赦ない攻撃を思い出してカナデは、身震いした。


 ――よくも、まあ、あれだけの殴打を受けて、自分は生き延びられたものだ。


 すると、クオが、そのカナデの自問自答を見透かしたように、言葉を放ってくる。


「さっすが、ターンを起こした強靱な身体能力を持つだけはあるな。あれだけ痛めつけても、死にもせず、一昼夜で意識を回復させるとは」


 そのクオの言に、カナデは、自分の身体をすっかりと変貌させてしまったターンの薬のおかげで、なんとか死を免れたことを認識する。


 ――まったくもって、なんて皮肉なことだろう。


 カナデはわずかに動く掌を動かして、きつく拳を握った。そのくらいしか、今の彼女には、この無念を現わす手段はなかった。その自分の無力さが、またなんとも腹立たしい。

 だが、続いてのクオの台詞は、カナデのその心情をさらに刺激するものだった。


「たしかに、我がユーラシア革命軍が総力を挙げて開発した薬の効能だけはある」

「我が、ユーラシア革命軍……」


 カナデは思わず、クオの言葉を繰り返す。そして、クオを睨み付けて、鋭く問うた。


「こんな非道な実験をしていることを、ユーラシア革命軍政府の上層部は知っているの?」


 するとクオは意外そうな視線をカナデに投げる。そして、数瞬の後、高らかに嗤い声を上げた。


「知っているもなにも、この一連の実験は上からの、そう、俺の直属の上官であるタハ将軍からの直々の命令だよ。俺はそれに従っているに過ぎないさ」

「……タハ。そんな」

「ああ、建国の祖でもある、あの偉大なるセルジオ・タハ将軍からの、な。どうだ、光栄だろう? カナデ・ハーン。あんたみたいながお国のためになれる、ってのはさ」


 クオの嘲りに突き動かされるように、カナデは唇を開いた。確固たる意志と怒りをその声にこめて。


「タハに会わせて」

「は? 何、おかしなことを言い出す? カナデ・ハーン? 気でも狂ったか? 将軍がお前みたいな難民に目を向けるわけ、ないだろうが」


 クオは昏い笑いを吹き出しながらカナデを再び嘲った。しかし、カナデは怯まない。


「私を、タハに会わせて!」


 だが、カナデの必死の訴えに、クオが耳を貸すはずもない。

 彼は、ベッドに横たわったカナデをさも面白げに一瞥したのち、ひとつ咳をして、表情を引き締めた。


「戯れ言はそこまでだ。俺がここに来たのは、そんな気の違ったお前の言葉を聞くためではないからな。おい、入れ」


 クオの言葉に、室内に白衣の男女が数人、扉を開けて入室してくる。その光景に言葉を失ったカナデをよそに、クオは彼らに向き直った。


「この女が例の被験体だ。いまのところ一番完全なターンを引き起こしている被験体だからな、せいぜい丁重に扱えよ。ちょっと気が強いのが欠点だがな」

「了解です。ケセネス准佐」


 ひとりの男がそう言うや、研究員たちは、カナデのベッドを取り巻き、ぐるり、と彼女を囲む。そしてそのなかのひとりの女が、一瞬の躊躇もなく、カナデの腕を手にとる。

 その女のそのもう一方の手に、なにやら得体の知れない液体が入ったアンプルと注射針が握られているのを目にして、カナデは底知れぬ恐怖に打ち震えながら、クオに向かって叫んだ。


「私に、なにをするの!」

「なにをするも、なにも、実験に決まっているだろうが。お前のこの先の運命は、被験体としての未来しかないんだからな」

「やめなさい! もう、やめて! これ以上、私を弄ばないで! そのくらいなら、いっそ、私を殺してからにしなさい!」

「そうは問屋が卸さないさ、カナデ・ハーン。そんなことを、いま言い出すくらいなら、そもそも、あの優男と、月から逃げ出さねば良かったじゃねえか。おかげで、余計な恥を俺にかかせやがって」


 クオはカナデを忌々しげに見やる。そして、吐き捨てるように言った。


「これは俺に手間を掛けさせやがった分の、罰とでも、思ってもらおうか。……おい、手早くやれ」

「やめて!」


 カナデは必死に、拘束され動かぬ身体を捩って、研究員たちの手から逃れようとした。だが、それも叶わず、ほどなくカナデの全身は押さえつけられ、腕には注射針が突きつけられる。

 そして、一旦、押さえつけられてしまえば、その針を通して、なにものとも知れぬ試薬が、再びカナデの体内に注入されるのに、そう時間はかからなかった。


「いや、いやっ!」

「ふん、せいぜい意識があるうちに泣き叫べばいいさ。再び目が覚めることがあったらな、また、楽しい話をしようぜ、なあ、カナデ・ハーン」


 叫びながらも、カナデは、自分の意識が急速に朦朧としていくのを感じ取る。彼女はそのなかで、最後の気力を振り絞って、唇を動かした。


「……お、願い……おねがい……」

「なんだ、この期に及んで、まだ、話したいことがあるのか?」

「アイ、ちゃん……には、なに、も、しないで……おね、が……」


 カナデの言葉はそこで途絶えた。

 勢いよく、だらり、とその腕がぶら下がる。クオはその光景を目にするや、昏いひかりをその瞳に閃かせ、ひとしきり高く嗤い転げた。そして、研究員たちに問いかける。


「おい、あの小娘はどうした? ジーン・カナハラの娘だ」

「あの子どもなら、別室にて監禁しておりますが」

「あれもせっかくの狩りの獲物だ。ここに連れてこい」

「被験体として扱うのですか?」

「もちろんだ。だが、まずは、カナデ・ハーンと、それとへの再実験の結果を見てからだがな」

「了解です。それでは、あちらの被験体への再実験も急がないといけませんな」

「そうだな。いまの俺たちにとって、時間は金よりも貴重だからな。ではそれも早速、進めるとしよう」


 クオはそこで語を区切ると、軍服の胸元のポケットからテレフォンを取り出した。そして、自らの私室の番号を入力すると、機械越しにに語りかける。


「レベッカか? お前がまた役に立つ時が来た。すぐ来るんだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る