第34話 同族嫌悪

「この偽善者が!」

「……おとーさん?」


 堪らず白い床に崩れ落ちるジーンに向かって、クオは唾を吐きかけながら怒鳴った。

 転げて目を覚ましたアイリーンが瞼をぱちぱちと瞬かせ、ついで、隣に倒れた父親に目を留め、必死にしがみつく。その光景を忌々しげに見て、クオはまたしてもジーンに唾を吐きかける。


「命、だと? 人間、だと? いいさ、俺の出自を教えてやるよ。俺の母親は被験体さ。例によって戦争難民だった俺の親はなあ、お約束の如く人体実験に使われたのさ。そのとき産み落とされた赤ん坊が、俺さ。母親は産後、あっけなく、死んだ。そして、多胎児だった俺以外の、母親の腹からも出てこれずにいた奴らはなあ、いまは月の研究所にて、ホルマリンの中にぷかぷか浮いているのさ!」


 そう叫ぶや、クオは我を忘れて、ジーンを再び蹴りとばす。憎々しげに、この世の全てを憎悪するような視線をジーンにぶつけながら。


「だから、俺はなぁ、お前らみたいな、いい奴面して、そのくせ内心で苦しんで見せて、っていう度胸も覚悟も足りない奴らが、大嫌いなんだよ!」


 クオの罵声は止まらない。

 床に蹲りつつ唖然とするジーンと、ドアに寄りかかりなんとか体勢を保っているカナデに向かい、彼は怒号をさらにぶちまける。


「そうさ、ドロシーも同じだ。俺は、彼女の、そんなところは大嫌いだったよ! だが、そのほかは俺の好みだった。そうだよ、ああ、俺は俺なりにドロシーが大好きだったさ! だが、彼女は俺の気持ちをこれっぽっちも受け入れようとしなかった。これっぽっちも、な!」


 そして、クオの次の言葉に、ジーンは耳を疑った。


「だから俺はドロシーを殺した。月の収容所ごとな!」


 クオの激白に、ジーンは、その身を震わしながら彼を見上げた。


「……クオ、お前は、彼女ひとりが憎くて、そのためだけに、収容所を殲滅したというのか?」

「ああ、そうだよ、そのとおりだよ! 俺は長いこと研究員としてあの月の収容所に潜り込んでいたが、あそこにいた奴らはどいつもこいつも、胸糞な奴らばかりだったさ。俺はいつの日か、ここをこいつらごとぶっ壊してやる、と思うようになったよ。だけど、だ!」


 その時、クオの脳裏には、いつの頃からか彼にとって憧憬の対象であった、ドロシーの面影が浮かんでいた。だが、クオにとってその残像は、いまや、激しい憎悪の的でしかない。


「そこでドロシーが俺の女になっていれば、まだ話は違ったのさ! だけどドロシーは俺を拒みやがった。どこまでも、拒み続けやがった。そうだ、俺の気持ちなど虫けら同然に扱いやがった。だから、俺は地球に嘘の通報をしてやったのさ。反乱分子がターンの情報を盗もうと狙っている、と、な。それで、みな、どかーん! だ!」


 そう言うとクオは長髪を振り乱しながら、狂ったように嗤った。深夜の白い廊下にクオの声が反響する。


「みな、あの女が悪いのさ! 俺を拒みやがって! 最期の最期まで、俺に負けた分際で、愛情を明け渡すこともなくな! 畜生、お高くとまりやがって!」


 ジーンは思わず嬲られた傷の痛みも忘れ、逆上するクオの姿を見つめ直した。


「クオ、愛情とはそういうものじゃないだろう、相手を虐げて手に入れるものでは……」

「なんだ、優男さんよ。俺はこの世界では、愛情が欲しければ、そいつにまず屈するか、それが叶わないなら相手を屈してこそ、と教えられてきたんだよ。愛情とは、従い得るもの、もしくは、奪い取るものだと! 違うってのか!」

「違うだろう、クオ、それは……」


 しかし、そこで再び、クオはジーンの言葉を遮る。

 そして彼は、煮えたぎる感情のままに、こう、憤怒の雄叫びを上げずにいられなかった。


「それじゃあ、愛情ってのは、なんなんだよ! どうすれば、手に入れられるものだっていうんだよ! 俺には分からねえよ!」


 そのときだった。

 不意に、クオの背後から、冷たく、彼を問い質す声が聞こえた。


「クオ・ケセネス准佐。今、言ったことは、本当か」

「将軍……」


 後ろには、クオの上官である、セルジオ・タハ将軍が立っていた。

 怒気により赤く上気していたクオの顔色が、一瞬にして蒼白になる。そんな彼に、タハは冷静沈着に言葉を投げかけた。


「本当だとしたら、君は私に、虚偽の情報を流したことになるな。それは、いくら君といえども看過しえぬ行為だぞ。我が部下に私情で動く奴は不要だと、君には幼い頃から育成するにあたって、繰り返し言い聞かせていたと思うが」


 そしてタハは、沈痛な面持ちで、腰に下げた銃に手を差し伸べながら、ゆっくりとクオに宣告する。


「残念だよ、ケセネス准佐……いや、クオ。私は君を、本当の息子のように思っていた」


 タハは、身体を震わすクオに、独白するかの如く、一語一語、噛みしめるように語りかける。

 対して、クオは唇を噛みながら項垂れた。


「……将軍らしいですね。どこまでも、お優しく、そして厳しい……」


 長い髪がばさり、と彼の顔に垂れ下がり、その昏く燃える瞳を隠す。

 しかし、それも一瞬のことだった。


 あらん限りの声で、クオは頭を振り上げるや否や、絶叫した。


「将軍、あなたには、愛されていたと……俺は信じていたんですよ!」


 次の瞬間、クオは手にしていた銃をタハのこめかみに向けて構え直すと、銃弾を放とうとした。だが、それより寸分早くタハも、クオの胸に向けて引金を引いていた。

銃声が立て続けに鳴り響き、クオの胸に一発、二発、三発と、タハの銃弾が着弾する。


 噴水のようにクオの胸から血が噴き出すのを、タハはどこか哀しげな表情で見つめていた。


 しかし、しばしの静寂の後、その身体が床に不格好に崩れたのを見届けると、自らを納得させるようにひとつ、ゆっくりと、頷く。そして、二度とクオの死体に目を向けることをせず、その場を去ろうとした。


 だが、カナデの鋭い叫び声が、彼の足を止めた。


「セルジオ・タハ、もう止めなさい! こんな悲劇、誰も望んでいない!」

「……お前は」


 今度は、カナデと目を合わせたタハの顔色が変わる。

 彼はカナデの顔を凝視した。そして、数瞬の後、信じられぬ、と言うように低く呻いた。


「まさか……金色こんじきのカナデ……か?」

「そうよ、黒狼のセルジオ!」


 カナデはふらつく身体を必死に支えながら、クオの死体を跨ぐと、タハの前に屹立した。


「久しぶりね。三十年ぶりくらいかしら、あなたと顔を合わせるのは」

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