第21話 シュプレヒコールが木霊する

 ウラジオストク。


 シベリア東部の沿海部にあるこの街は、ユーラシア革命軍政府の掌握地の南端にあたることから、戦争難民の流入も激しい。よって、人口の増減が著しい都市でもある。


「あんたたちを送ってやれるのは、ここまでだぜ」


 大型トラックの後部座席に座り込んでいるジーンとカナデ、アイリーンに、ヴァンスが運転席から声を掛ける。


「ユジノサハリンスクを目指すなら、船が一番手っ取り早いな。あれに乗ればサハリンまで一気に行ける。港まで送ってやろう」

「すまないな、ヴァンス」

「兄ちゃん、あんたに礼を言われることじゃあねえ。俺は、同じ難民のよしみで、その姉ちゃんを助けてやりたいだけだ。あんたとその嬢ちゃんは、おまけに過ぎねえ」


 ヴァンスは口に人の悪い笑いを浮かべながら、頭を下げるジーンに言い放った。ついで、その隣のカナデにヴァンスは声をかける。


「なあ、姉ちゃん。仕事、ないんだろ?」


 ヴァンスは、カナデに対してだけ見せる親しさを、ここぞとばかりに露わにする。


「あんたさえよければ、俺の会社に雇ってやってもいいんだぜ。姉ちゃんは、ホバークラフトの不調の原因を一発で見抜くくらいだから 、いろいろ勘が良さげで、俺の仕事にも役立ってくれそうだし。なにしろ、俺の職場は色気が足りねえ。姉ちゃんみたいな若い美人さんが来てくれたら、それだけで皆の勤労意識が上がるってもんだ」

「お断りします」


 カナデの即答に、ヴァンスはハンドルを握りながら、眉を顰める。


「つれねえなあ、姉ちゃん」

「ええ、それに、私、見かけほど、若くありませんので」

「そうなのかぁ? ほんと、お前さんたちの正体は良く分からないなあ。まあ、知らない方が身のため、なんだろうけどな」


 その問答を打ち切ったのは、アイリーンの無邪気な声だった。


「おとーさん、見て! ひとが、いーっぱい、いるよ?」


 見れば、車は、街の中心部、中央広場に差掛かっていた。

 そして、レ・サリの大きな肖像画が掲げられた広場には、多くの人の姿が見えて、なにやら集会らしきものが行われている。

 それに目を留めて、ちっ、と、ヴァンスが舌打ちをして車を急停車させた。


「やっべえなあ、またデモ、やってやがる。ちょっとルート変えないとまずいかな」

「あれは、何のデモですか?」

「兄ちゃん、あんたには、関係ないこったよ」


 ジーンの問いかけを、ヴァンスは一旦そっけなく躱したものの、少し考える素振りをした後、こう言い直した。


「……いや、兄ちゃんが、もし、難民を装ってこの先の旅を続けるつもりなら、関係大ありだな。あれは、反難民デモだ」

「反難民デモ?」


 ヴァンスの言にジーンがデモの風景に目を向ければ、その隣で、カナデが、思わず身を固くさせる気配がする。


「市民によるデモですか?」

「ああ、この街では難民の流入が土地柄、昔っから多く、そのなかには、俺みたいに、ここで職を得て生活をしている者も多い。それが理由で仕事を奪われた市民も、いくらかいてなあ。そういうこともあって、近年、難民の受け入れに反対するデモも頻発しているんだよ。勿論、元難民の俺も他人事じゃねえ。俺だって奴らに襲われたこと、何度もあるんだよ」


 そうこうしているうちに、デモの人波がジーン達のほうにも流れてくる。


 ――なるほど。内地がこんなことになっていたとは、俺はまったく知らなかったな。


 そう、ジーンは心中で独り言つ。そして、改めて、押し寄せるデモ隊の群衆に視線を投げる。

 彼ら彼女らの手にしているプラカードには「難民の定住に反対する」「政府はこれ以上の難民受け入れに拒否を」といった文字が、派手な色のペンキにて躍っている。なかにはレ・サリの肖像画を空に高く掲げている者の姿も、数多く見られる。


「難民受け入れ反対!」

「我々に職を!」

「美しいユーラシアを護れ!」


 そんなシュプレヒコールも高らかに、デモ隊は車の両脇を行進していく。 

 そのときのことだった。


「ミハイル!」


 急に、鋭くカナデが叫んだ。そして、長い金髪を揺らしながら立ち上がる。

 その顔は驚愕に歪み、淡い琥珀色の眼には隠しきれぬ動揺の色が揺れていた。アイリーンが不思議そうにカナデを見上げる。


「カナデおねーちゃん?」

「カナデ、どうしました?」


 だが、ジーンの問いかけに応じることもなく、カナデはヴァンスに向かって叫んだ。


「ドアのロックを外して! ヴァンス!」

「おいおい、まさか、外に出るつもりなのか? 姉ちゃん、それは危険だよ!」

「お願い!」


 カナデはそう言いながらも、車の取っ手に手を掛け、力一杯引いた。すると、ドアは、ぎし、ぎし、と数度軋む。そして、数瞬の後、扉は、ばたーん、と大きな音を立てて車体から外れ、路上に転がった。


 その光景に唖然として声も出ないヴァンスたちをよそに、カナデは勢いよく、その身を車外に滑り出させた。


「まったく、姉ちゃん、なんちゅう怪力だよ。だが、ほんと、危ないって!」


 ヴァンスが呆れた声で、地表に転がったドアを見ながら、カナデの背に声をぶつける。なんとか、カナデを引き戻そうと、ジーンも車を飛び降りる。だが、それも気に留めず、カナデはデモ隊の中に身を躍らし、そのなかで人波をかき分けつつ、再び叫びながら、デモ隊のなかにいたひとりの金髪の若者に、手を伸ばした。


「ミハイル! ミハイル・ハーンでしょ!」


 カエデはもみくちゃになりながら、必死に若者に声を掛ける。

 しかし、若者はカナデを見ても、戸惑いの色をその顔に浮かべるばかりだ。


「……あ、あんた、誰だよ?」

「ミハイル! 私よ!」

「なんで、俺の名前を知っているんだよ?」

「私よ! 私! 母さんよ!」


 カナデは泣き叫ばんばかりに声を張り上げ、その若者の手を掴む。だが、その若者は強くカナデの手を振り払った。そして彼女を勢いよく突き飛ばした。


「なに、言っているんだ、そんなわけないだろ!」


 そして、路上に膝をついた彼女に言う。まるで、吐き捨てるように。


「狂人かよ、この女!」


 そう言い残し、カナデに良く似た顔の若者は、再びデモ隊に混じると、歩き去って行った。


 路上の砂塵が風に舞い、シュプレヒコールの残響が木霊する街角にて、顔を蒼白にし、呆然とするカナデを残して。

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