王子様? いいえ、ただの彼氏バカです

 >>依人視点


「先輩っ」


 放課後いつものように彼女である縁のクラスへ向かうと、縁は満面の笑みで依人の元へ駆け寄る。


 その時の縁に、ぶんぶん振る柴犬の尻尾の幻が見えてしまい、あまりの可愛さに頬が緩みそうになる。


 縁は彼氏の贔屓目抜きにしてもかなり可愛い。


 本人は地味な女子と評しているが、実際は十人中十人が認める美少女だ。


 毛先がふんわりした黒髪のボブに、雪のように白い肌、丸っこい大きな瞳、さくらんぼのように赤い小さな唇、小柄だが華奢でスラリとした体躯。


 非常に庇護欲がそそられる。


 あまりの愛らしさに、依人自身も含め何人の男子が犠牲になったことか。

 途中から数えるのを放棄した程だ。


「寄り道しながら帰ろうか」


 暗にデートしようと言う意味を含ませると、縁の大きな瞳はキラキラと輝き出した。


「嬉しい……今日はもっと先輩といられるんですねっ」


(縁……なんでこうサラリとドキドキさせることばっかり言うのかな)


 依人は仕返しと言わんばかりに縁の指を絡ませて手を繋いだ。


「……っ」


 雪のような肌が瞬く間に赤く染まった。


 お祭りデートの時、キスはご褒美だとか不意打ちで大胆な発言をする癖に、手を繋ぐだけですぐ赤くなる無垢な一面を見せる縁。


 こんなギャップを、自分以外の男が知っていたら嫉妬で気がおかしくなるのではないかと考えてしまう。


(本当に敵わないな……)


 依人は日に日に縁にのめり込んでいることを自覚した。


 学校を出て、いつもと違う道のりを歩く。


 その道はカフェやショップが建ち並んでおり、放課後になると学生で賑わっていた。


「縁は行きたいところはある?」

「本屋さんに行ってもいいですか? 好きな作家さんの代表作の新装版が出ているんです」


(そんなに畏まらなくてもいいのに……小動物っぽくて可愛いけどさ)


 おずおずと尋ねる縁に、依人は零れそうな笑いを噛み殺すと、「いいよ」と頭を撫でて応えた。


 二人はカフェが併設されている大きな書店へ赴いた。


「すぐ買ってきますねっ」


 縁は入口付近で平積みされていた鈍器としても使えそうな分厚い単行本を手にレジへ向かった。


 依人はレジから近い新刊のコーナーに場所を移し、縁を待つことにした。


(本当に本好きだよな……祭りで図書券をあげた時も凄く喜んでた)


 依人はその時の縁の喜んだ顔を思い出し、頬が緩みそうになるのを堪えていた。


 そうやって縁を待っている最中だった。


「きゃあっ、桜宮せんぱーい」

「こんにちはぁっ」


 語尾にハートマークが付いていそうな女子の甲高い声が依人に向けられた。


 声のする方へ顔を向けると、同じ学校の女子生徒が二人いた。


 彼女達は、一年の縁とは違う深緑のスカーフを身に付けていた。


 因みに女子は学年毎にスカーフの色が異なっていた。

 一年は臙脂、二年は深緑、三年は青と決まっている。


「こんにちは」


 関わりはなくとも後輩を無視するわけにはいかず、ひとまず笑みを浮かべながら挨拶をする。


「今、お一人なんですか?」

「良かったら、今からあたし達と遊びませんかぁ?」


 彼女達は上目遣いで依人を見つめながら猫なで声で誘いかけた。

 縁と付き合うようになってからはほぼなくなったが、以前はこうやって女子から声を掛けられることがあった。


 しかし、後にも先にもそのような誘いに乗る気は、依人の中には全くない。


 縁を裏切る真似は死んでもしたくないし、縁がいなくても自身の表面だけを見て騒ぐ女子と関わりを持つ気はない。


「悪いけど、彼女とデート中なんだ」


「邪魔するな」と言う本音を隠して角が立たぬようにやんわりと断ると、彼女達はあからさまに残念そうに眉を下げていた。


 しかし、彼女達はただでは転ばなかった。


「そうなんですかぁ。それなら暇な時があったら相手してくださいっ」

「あたし達、先輩の為ならいつでも予定空けときますから!」


 二人分のラインと電話番号が書かれたメモを握らされると、 彼女達は満面の笑みで依人に手を振って書店から去って行った。


(相手? する訳ないだろ)


 依人は洩れそうな溜息を押し殺し、貰ったメモをぐしゃりと握ると乱暴にズボンのポケットに突っ込んだ。


「先輩、」


 後で捨ててやろう、と考えていると、ふと、後ろから半袖のシャツの上に重ねていた紺色のベストの裾をちょこんと引っ張られた。


 振り向くと会計を終えた縁がいた。


「お待たせしました」


 身長差で自ずと上目遣いになるのか、大きな目で見つめられると、悪くなりかけた機嫌がすぐに良くなる。


 そんな現金な一面に内心突っ込みを入れながら、依人は愛想笑いではない心からの笑みを縁に向けた。


 次に向かったのは、この店内に併設されているカフェだった。


 依人はアイスコーヒー、縁はカフェラテ風味のフラッペ状のドリンクを注文した。


 店内は老若男女の客で賑わっているが、BGMで流れているジャズの音楽の効果で落ち着いた雰囲気を見せていた。

「んー、美味しいっ」


 縁はぎゅっと目を細めて幸せそうに、フラッペを堪能している。


(睫毛長いなぁ)


 依人は瞼を閉じているのをいいことに、アイスコーヒーを飲みながら縁を見つめていた。


「先輩、飲んでみます……?」


 縁は依人の視線に気付くと、小首を傾げたままフラッペを差し出した。

 どうやらフラッペを飲みたそうに見えたようだ。


(間接キスになること、気付いていないのかな)


 内心思ったが、敢えて何もそのことに触れようとはせず、「ありがとう」と素直にフラッペを受け取って一口飲んでみた。


「甘……」


 ブラックで飲んでいたせいで甘さを強く感じる。


 しかし、生クリームが乗っているにも関わらずコーヒーの風味のお陰で特有のくどさを感じることなく、美味しいと思える甘さだった。


「美味しいね」

「でしょう? いつもここに来ると頼むんですっ」


 依人の「美味しい」に縁は嬉しそうににこにこと笑顔を浮べる。


(本当、癒される)


 縁の笑顔を見て和んでいると、依人の頭の中で一つ考えが浮かんだ。


「今度は俺のも飲んでみる?」


 依人はそう言って縁の前に自分の飲み物を差出す。


「でも、ブラックは飲んだことがなくて」

「これはスッキリしているから大丈夫だよ」

「……な、何事も挑戦ですねっ」


 縁は少し躊躇いを見せたが、意気込むと思い切り一口を飲んだ。


「う、苦い、です……」


 縁は限界と言わんばかりに眉を寄せて、瞼をきつく閉じては苦さに悶えていた。


(ああ、可愛い……)


 縁は引っ込み思案で大人しい性格だが、少しずつ色んな表情を見せてくれるようになった気がする。


 そんな縁の些細な表情の変化を見つけるのが、依人の密かなブームだ。

 飽きる日は一生来ないだろう。


「口直し」


 零れそうな笑いを噛み殺しながらフラッペを縁に手渡すと、縁はそれを一気に飲み込んだ。


「うぅ、先輩よく飲めますね」

「いつの間にか飲めるようになっただけだよ」

「味覚が大人ですよ……あ」


 突然、縁はフリーズしたパソコンの画面のように固まりだした。

 白い肌が手を繋いだ時のように赤く染まっていく。


(今気付いたんだ……)


「くっ、ふふ」


 依人はついに堪えきれなくなり、声を抑えながら笑った。

「先輩っ、か、間接……気付いていたんですか……?」

「うん」


 依人が頷くと、縁の身体は小動物のようにぷるぷると小さく震えだす。

 相変わらず頬は赤いままだ。


「恥ずかしいです……」


 縁は手のひらで頬を覆い隠すと、顔を俯かせた。


(だめだ。これはニヤける)


 予想通りの愛らしくも初々しい反応を見せてくれた縁に、頬が緩みそうになるが、どうにか穏やかな笑みを維持させる。


「縁は恥ずかしがり屋さんだね。昼休みの時、これよりもすごいことしたのに」

「……っ!」


 少し身を乗り出して、数時間前の昼休みに間接ではないキスをしたことをそっと耳打ちすると、縁は金魚のように口をぱくぱくとさせたまま固まってしまった。


「縁、おーい、ゆかり」


 依人は名前を呼びながら手のひらを縁の目の前でひらひらと動かすが、依然として固まったままだ。


 指先でお餅のように柔らかそうな頬を指で軽く何度か突っつくと、ようやく我に返った。


 縁は頬をぷくっと膨らませて拗ねたような表情をさせた。


「先輩は、ずるいですっ」

「ずるい?」


 依人が鸚鵡(おうむ)返しをすると、縁は爆弾投下に値する発言をした。


「先輩は、あたしより大人だからいつも余裕だもん……ドキドキし過ぎて、心臓が壊れそうになりますっ」


 思わず目を見張った。


(何その可愛い発言……俺を殺す気か?)


 しかし、縁の反撃はまだ終わらない。


 真っ赤な頬をさせて潤んだ瞳を伏せた縁は、大人の色香を醸し出す女の顔に変わっていた。


 数時間前の昼休みに魅せられた、何度も唇を塞いだ後の表情と同じ。


 依人は、表向き貴公子を連想させる悠然たる笑みを携えていたが、心の中では滾る衝動を抑え込むことに骨を折っていた。


(余裕があるなんて、誤解だ)


 洩れそうな溜息を抑えると、手を伸ばして縁の柔らかい髪を梳いていく。

 一度も染めたことのないと言う黒髪からは、シャンプーの匂いが優しく香った。


「縁だって、いつも俺の心臓を壊すよ」

 縁は赤くなった顔を隠すように俯くと、スカートをぎゅっと握り締めた。


 どんな仕草も目を離すことが出来なくて、鼓動を忙しなく逸らせていく。


 ここまで心を揺さぶられる存在は、後にも先にも縁以外現れないと断言してしまえる程だ。


「日に日に縁への好きが大きくなっているくらいだ」

「これ以上、言わないで、ください……ドキドキし過ぎて死にます……」


 縁は限界を訴えかけるように、手のひらで赤い顔を覆い隠した。


(なんで縁は俺を喜ばせる反応を毎回するのかな。しかも、計算じゃない辺りがタチが悪い)


 依人は壊れ物を扱うように縁の髪を優しく撫でながら、内緒話をするように囁いた。


「俺がどれだけ縁を好きか言いたかったけど、また今度にするよ」

「……っ」


(まあ、言葉だけで表現するのは無理だけど。それは縁次第ということで)


 依人は心の中で本音を付け足すと、セルフサービスのお冷を入れに席を立った。



 カフェを後にして、いつものように手を繋いで縁を自宅まで送り届ける。


 縁は異性からどう思われているか無頓着だ。

 無防備で危なっかしいので、一人で帰す真似は依人にはとても出来なかった。


 祭りの日……縁から着いたと言う連絡が待ち合わせ時間の三十分以上前に来た時は肝が冷えた。

 この時依人は、一人にさせてたまるか、と速攻準備を終えて全速力で向かったことは縁は知る由もない。


「いつも、ありがとうございます」


 佐藤家に到着すると、縁は丁寧に頭を下げて依人にお礼を言う。


「彼氏として当然の務めだよ」


 名残惜しさを感じながら繋いだ手をゆっくり解いていく。


 明日も学校があるので会えるのだが、毎日顔を合わせても足りないと思ってしまう。


(前までは重いタイプじゃなかったのにな)


 束縛する気は毛頭ないが、独占欲が日々大きくなっている自覚が依人にはあった。


「先輩……」


 突然、縁は解きかけた手をぎゅっと握り締めた。


「ん、どうしたの――――」


 その時、目の前で起きた状況に依人は目を見張った。


 可愛らしいリップノイズが耳に届いた。

 縁の小さな唇が依人の手の甲に触れたのだ。


「ゆかり……」


 奥手な縁からは想像出来ない行動に、依人は動揺を隠せず呆然と縁を見つめるしか出来ない。


「本屋さんで、女の先輩が、先輩の手をぎゅってしたから、しょ、消毒です……っ」


 二年の女子生徒に連絡先のメモを握らされた場面を見ていたようだ。


 縁は真っ赤な顔をさせて吃りながら言うと、恥ずかしさに耐え切れなくなったのか、「さようならっ!」と脱兎のごとく駆け出して家の中に入っていった。


 縁がいなくなって、依人は思わず手で口元を押さえた。


「今の反則だろ……」


 初めて見る縁の嫉妬に、不安にさせて悪いという気持ちと、可愛いという気持ちがせめぎ合っていた。


(本当、勘弁して……好き過ぎておかしくなりそう)


 依人は自分の髪をぐしゃりと掴むと盛大に嘆息した。

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