ふたりきり、お勉強

 期末試験まであと数日となったある日。


 縁は日曜日に依人の自宅で試験勉強をすることとなった。


(うー、緊張して寝れなかった……)


 昨夜、縁は一通り勉強を終えて、当日に備えてベッドに横たわったが、酷く緊張してしまい、中々寝付けずそのまま朝を迎えてしまった。


 一度だけ依人が住むマンションまで行ったことがあったが、実際はエントランスで待っていただけで中へ上がったことはなかった。

 確か、依人が両親の出張土産のお菓子を縁に渡したいと言うことで連れて行って貰ったのだ。


 初めての彼氏のおうち訪問に、今日はドキドキし過ぎて勉強に集中出来ないのではないかと不安に駆られる。


 しかし、その一方で依人に会える嬉しさもあった。


(おかしいところはないよね?)


 白い襟のついたノースリーブの黒のワンピースを身に付けて、玄関にある姿見の前で何度も確認を繰り返す。


 私服で依人と会うのは初めてなので、いつもより緊張してしまっていた。


 時刻が午前九時に差し掛かった頃、インターホンが鳴り出し、縁はびっくりしてワンピースの裾を摘んだまま固まった。


 依人が自宅まで迎えに来てくれたのだ。


 前日、依人が迎えに行くと言った時、縁は一人でマンションまで行けると断ったが、「朝でも一人で歩かせるのは心配だ」と言って聞かなかった。


(あたし高校生なのに……)


 子ども扱いされたことに内心落ち込んだりしたが、依人に会える嬉しさに自然と笑顔になって玄関のドアを開けた。

 

 ドアを開けると、私服姿の依人が目の前にいた。


 Vネックの黒のTシャツに、少しだけダメージの入った青のジーンズとシンプルな装いだったが、制服姿と違って大人っぽく映る。


 襟元から覗く鎖骨は色気を醸し出していた。


「おはよう、ございます……」


(先輩、私服も格好いいとか反則ですよっ)


 縁は内心依人に突っ込みを入れながら、ぺこりと頭を下げた。


「おはよう、縁」


 依人は夏の太陽に負けないほど眩しい笑顔を浮かべた。


「あの、お迎えありがとうございましたっ」


 麗しい笑顔を直視出来なくて、縁はお礼を言いながらまた頭を下げた。


「いつもセーラー服だからなんか新鮮だね。そのワンピース似合ってて可愛い」

「そうですか?」


 正直、ファッションセンスに自信がないので、お世辞だとしても可愛いと言われてホッと安堵した。


「うん。やっぱり迎えに来て正解だよ」


 依人は小さく独りごちると、縁の指を絡ませて手を繋いだ。


(わわっ、)


 何度されても恋人繋ぎは慣れそうになく、鼓動が暴れ続ける。


「今日も暑いですね」

「そうだね。今日は猛暑日になるって天気予報で言ってた」

「溶けちゃいますよ」

「縁って色白だから見るからに暑さに弱いね」


 依人は気休め程度に空いた手を団扇代わりに縁に扇いでやった。

 

 依人の自宅であるマンションは縁の自宅と学校の中間にある。


 まるでホテルのようなおしゃれな外観のタワーマンションだ。ぼーっと見とれていると、「行こうか」と依人に手を引かれた。


 依人の住む部屋は十五階にあった。


「お邪魔します……」


 靴を揃えて中に上がるが、依人以外の住人はいなかった。


「ご両親は……」

「仕事で忙しいから、たまにしか帰って来ないよ。ほぼ一人暮らしみたいなもの」

「大変ですね」

「掃除と洗濯は通いのお手伝いさん任せだからそうでもないよ」


 依人はなんてことないよ、と笑った。


「奥のドアが俺の部屋だから適当に座ってて? お茶用意してくるよ」

「お手伝いしましょうか?」

「大丈夫。ゆっくりしてて」

「すみません」


 縁は言葉に甘えて先に依人の自室へ向かった。


「失礼します」


 そっとドアを開けると、広い空間が広がった。


 部屋は十畳以上はあり、セミダブルのベッドとガラスのローテーブル、本棚、クローゼットが配置されている。

 物が少ないせいで余計に広く見える。


 縁はどこに座ろうかきょろきょりと辺りを見渡し、ひとまずローテーブルの前に正座をした。


(男の人の部屋に入るの、初めてだよ……)


 縁はドキドキしながら、また辺りを見渡す。


 あらかじめエアコンを入れたのか室内は涼しかったが、頬はずっと熱いままだ。


(先輩は今までの彼女とここで過ごしたりしたのかな……?)


 ふと、依人の過去が気になってしまい、胸の中がモヤモヤした。

 

「おまたせ」


 しばらくして、依人は部屋に現れた。


 氷たっぷりのアイスティーがなみなみと入っているグラスを乗せた丸い盆を手にしていた。


「ありがとうございます」


 コトリと縁の前に置くと、さり気なくシロップとミルクを添えてくれた。


「シロップ足りる?」

「大丈夫です」


 依人の分にはシロップもミルクもついていなかった。


(無糖で飲めるなんて、先輩は大人だよね)


「早速勉強しようか」

「そうですね」


 縁はにこっと微笑みながら頷いた。



 しばらく、二人はそれぞれ自分の勉強に集中していた。


 交わす言葉はないが、それでも居心地がいいのは、相手が依人だからだろうか。


 ふと、ちらりと依人の顔を見ると、先程まではなかった眼鏡がいつの間にか掛けられていた。


 ノーフレームの眼鏡は、いつも以上に知的かつ大人っぽく魅せる。


(本当に、反則! 何処まで格好良くなれば気が済むの?)


 縁は熱くなった頬を冷ますように、冷たいアイスティーで喉を潤した。


「先輩、眼鏡を掛けるんですね」


 躊躇いながら声を掛けると、依人の目線は英語の長文から縁に向けられた。


「ちょっと近視だから、授業中とかたまにね」

「そうなんですね」


(女の先輩は、今の先輩を見たことがあるんだ……)


 縁の中で嫉妬が顔を出した。


 悔やんでもどうにもならないことは重々理解しているが、二年早く生まれたらよかったのに……と考えてしまう。


 たった二つの年の差が、大きく感じた。


「縁、どうしたの?」

「……いえ、なんでもありませんっ」


 依人の声で我に返った縁は、一瞬目を丸くすると、にこっと笑いながらかぶりを振った。

 

「お昼ご飯にしようか」


 しばらく勉強に集中していたが、正午に差し掛かった頃、依人の一言で中断した。


「何か店屋物でも頼む?」


(先輩って自炊はあまりしないのかな?)


 これまで何度か一緒に昼食を摂ってきたが、依人の食事は購買かコンビニで買ってきたパンやおにぎりばかりだった。


(そんな食生活だと体調崩すよ……!)


 キッチンを借りて何か作ってあげたくなったが、今から作れば食べるのが遅くなるし、初訪問で借りるのは図々しい気がして、結局一緒に店屋物のメニューを選んだ。


 縁はざるそば、依人は親子丼を注文した。


「先輩って店屋物をよく利用するんですか?」


 食事中、縁は思い切って依人に疑問をぶつけると、依人は気恥しそうに肩をすくめた。


「まあね。料理が下手でね、何作っても焦がしてしまうんだ」


(意外……)


 文武両道で生徒会の仕事を完璧にこなす依人だが、不器用な一面があった事実に、縁は目を丸くさせた。


「こんな俺、がっかりした?」

「それはないですっ」


 縁は即答した。


「正直びっくりしました……でも、嬉しい。先輩のことが知れて」


 真っ直ぐな視線を向けて自分の気持ちを言葉にすると、依人は一瞬目を見張ったが、頬が緩み、表情を綻ばせた。


「縁は俺を喜ばせるのが上手だよ」

「そうですか……?」

「これ以上……」


 依人は小さな声で独りごちたが、大半は縁の耳に届くことはなかった。

 

 昼食を食べた後、勉強を再開したのだが、縁は数学の問題につまずいてしまった。


(あれ? ちゃんと公式に当てはめたのに、解答が違うよ)


 何処が違うのか、目を皿にして探して見るが、分からずじまいだった。


「先輩……聞いてもいいですか?」


 拉致があかないと悟った縁は、依人にSOSを出した。


「いいよ? 分からないところある?」

「はい」


 縁は件(くだん)の問題を依人に見せて、正しい解答が出せないことを伝えた。


「あぁ、これ使う公式が間違ってる」

「そうなんですか?」

「この問題文が紛らわしいんだよ。こっちの公式に当てはめてみて?」


 言われるがままに依人の言う公式を使って解いてみると、本来の正しい解答を出すことが出来た。


「やだ、あたしったら勘違いしていたんですね」

「思い込みはケアレスミスの元だから、問題文は落ち着いて読むこと」

「肝に銘じておきます」


 縁は大きく頷いた。


(流石、学年首席……)


 依人は入学時からずっと学年首席だ。

 それは校内の生徒の間では既知の事実であった。


「気になるところが出てきたら遠慮なく聞いてね?」


 しかし、上から目線になることもなく、ひけらかす真似もしない謙虚な姿に、縁は尊敬の念を抱いた。

 

「今日はこの辺にしようか」


 夕方の五時を過ぎた頃、依人の一言で勉強会はお開きとなった。


 どうして依人と過ごす時間は瞬く間に過ぎていくのだろうか。


「そうですね」


 まだ帰りたくない、もう少し一緒にいたいのが本音だが、依人を困らせてはいけないと心の中で言い聞かせながら帰る支度を始めた。


「送るよ」

「一人でも帰れますよ?」


 縁は依人の時間を奪ってはいけないと断りを入れるが、依人は首を縦に振ることはなく、呆れ気味に嘆息した。


「俺がいない所で縁が危険な目に遭うのは嫌なんだよ。だから大人しく送られて?」

「はい……」


 真剣な眼差しを向けられて、縁は断り切れずに依人に送られることとなった。


(あたしがもう少し大人になれたら、こんなに心配かけられることはないのかな?)


 縁は依人に釣り合うような大人の女性になりたい……と強くと感じたのだった。



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