第55話 分岐点
私が、30になったときの事だ。ボストンのマサチューセッツ工科大学の大学院でコンピューター・サイエンスを勉強している藤本を、夏休みを利用して訪ねに行った。彼は、多忙で私は街を散策していたのだが、ボストン・プラネタリウム(Planetarium at the Museum of Science)に行った。ボストンは、白人の首都と言われており、プラネタリウムの列を並んでいるのは、白人ばかりであった。
私の列の後ろに、やはり白人の20代前半の可愛い女の子が並んでいた。アジア人である私が話しかけても問題は無いように思えた。おそらく他の都市から来ており、アジア人との接触が多かったのではないかと思う。三度ばかり、私は後ろを振り返ったが、私は声をかけられなかった。それは、白人しか並んでいなかった列で話しかけることに勇気がなかったからだ。この「勇気がない」、これがあとあと大問題になった。
もし、つたない英語だが、彼女に声をかけていれば、食事に誘われたのではないかと思うのである。藤本は、大学の寮に入っていたので、私は、ユースホステルに宿泊していた。その晩、ユースで、出会ったのが台湾人のジェニーであった。彼女は、私にアプローチをかけてきた。そして、翌日二人でデートすることになった。
私は、台湾人が日本人をゲットすることが一種のステイタスになる事を知らなかった。彼女は、サンフランシスコ州立大学でホスピタリティ・マネジメント(ホテル・レストラン・観光業)を学んでいた。彼女は、背が高く均整ののとれたプロポーションで、私は、なかなかいい女だなと思ったのだが、これが間違いだった。彼女はショッピング・クレイジーだったのだ。
私は、ボストンを後にして彼女と一緒にサンフランシスコに行ったのだが、クレジット・カードの借金が、50万が限界に来ていると言う。私は、少し融通したのだが、帰国しても、お金を無心するようになった。私は、断った。そうすると、付き合いは、できないと返答があった。なんのことはない、彼女は、私を金づるにしようとしていたのである。
あの日、列の後ろの白人の可愛い女の子に声をけけて、食事にでも誘っていれば、ジェニーのアプローチを受けることはなかったであろう。実に惜しいことをしたものだ。白人ばかりの環境であったも、勇気を振り絞って声をかける。これが大事なのである。後悔先に立たず。今は、国際化も進んで、男性の日本人と白人女性のカップルも増えてきたが、もし、声をかけていれば、ジェニーにも会わず、私の人生は大きく変わっていただろうと思う。
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