第52話 酩酊の世界

 マッチング・アプリで知り合いになった7才年下の会社員の女性と、会う約束なった。去年の晩秋の事だ。私は、40才になっていた。デートの場所は、渋谷のうまくて安いタイ・レストラン。


 廉価だが、内装は高級感がある。私たちは、トム・ヤンクン・スープとパッタイと呼ばれる米粉の麺を使った焼きそばを、それぞれオーダーした。飲み物は、私がウィスキーで、彼女はビール。


 お酒が、運ばれる前から、彼女は私の仕事を聞いてきた。それで私は、仕事に至る学生時代のころからを話し始めた。


 「俺ね、勉強大好きだったの。小・中学生の頃なんか、教科書配られると二、三週間くらいで、全教科読んじゃってさ、頭に入っているから学校の授業が退屈で退屈で」


 「えーっ‼本当に?」


 「うん。それで、学校行くのが馬鹿らしくなって、家で好きな19世紀のロシアの小説読んだり、ゲームしたり、音楽聞いたりしてゴロゴロしてたの。体育の授業がある日だけ行ってたんだけどね」


 「ええ、それで?」


 ウィスキーとビールが先に運ばれてきた。私は、ウィスキーをゴクリと飲んだ。


 「それで、中学の時に母親が、学校に呼び出されたんだけど、テストの点はバッチリ取っていたから、彼女が何が悪いんですか?って反論したら、先生が頭抱えてさ。俺、勉強嫌いな人の気持ちが分からないんだよね」


 「わー、すごい。私は、勉強苦手でした」


 料理も、運ばれてきた。彼女は、タイ料理が初めてで、トム・ヤンクン・スープ

もパッタイもすごくおいしいと言ってくれた。私は、ウィスキーを、もう一杯追加オーダーした。


 「ただ、さすがに家でゴロゴロしている俺を見かねた両親が、外に出そうとして、空手の道場に通う事になってね。結構頑張ったね」


 「文武両道ってやつですね」


 「まあ、そう言われればそうかな。ありがとう。それで、高校は、三年も通うのがかったるいので、予備校に行って大検を取ることにしたんだ。これも予習してたから、あまり行ってないんだけどね。でも、二年で大検に受かったから、飛び級になってね。大学は、首都東京大学の法学部に入ったんだ」


 「飛び級でストレートですか。みんな浪人するのに」


 「まあね。それで、大学時代もなんとなく勉強して有名なメーカーに就職して営業になったんだけど、ノルマがあって、これが大変だった。学生時代、勉強できても実社会で通用するとは限らないって言うじゃん。まさにそれ」


 「それでどうなったんですか?」


 「それで、ノイローゼみたいになっちゃてね。すぐに止めちゃった。ただ、公立高校で教師をしている叔父さんがいてね。そうだ、ノルマの無い公務員の仕事があるって閃いて、一年ほど予備校に通った」


 「また、得意の勉強を始めたんですね」


 「うん。そう。また、この公務員用の勉強が楽しくてさ。面接のときに、なぜ前の仕事をやめたのかとか、なぜ役所で働きたいのかとかのマニュアルも丸暗記して、東京都庁と横浜市役所に受かったんだ。結局、東京都庁ににしたんだけどね」


 「どんな仕事をしているんですか?」


 「福祉関係だよ。なんて嘘っそー」


 「え!?どこからが、嘘なんですか?」


 「全部」


 「ええーっ‼」


 「じゃあ、仕事は何をやっているんですか?」


 「ニート」


 「だましたのね‼さいあくー‼私、帰ります‼」


 彼女は、ものすごい形相でコートをつかんで帰って行った。やはり、仕事をしていない男は、女性に相手にされないなと思い、私はもう一杯運ばれてきたウィスキーを飲み干して、またもう一杯追加オーダーし、酩酊の世界に入って行くのだった。

 

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