第3話 さよならだけが人生だ

 私が、中学校の時に通っていた塾に蔵元くらもとというやつがいた。彼は、私の隣の中学校だったが、ラグビー部でハンサムでファッションもカッコよく喧嘩も強かった。高校は中程度の公立に進学したのだが、そこに佐賀から転校してきたのが、東村山というやつでバスケットをやっていた。そして、蔵元を通じて東村山と知り合うことになる訳だが、まあ、普通のやつだった。


 大学は、三人ともに現役に落ちて、三人とも駿台の京都校に通う事になった。そして、一浪して東村山は、同志社大学の経済学部に合格し、私は二浪し、蔵元はフリーターになった。結局、私は二浪後、東村山と同じ大学の経済学部に入り、蔵元はラジオ局に就職した。


 と、ここまでは、良い。問題は東村山だ。全然大学に来ないようになった。別に大学での人間関係や精神的に問題があったとかではなく、バイトもせずにニートを決め込んでしまったのである。私は、当時、真面目路線を歩んでおり、ちゃんと大学出て就職してと考えており、東村山に校内で会うたびに「お前、もっとちゃんと授業受けろよ」と言っていた。しかし、そのうち彼の事はどうでもよくなった。


 私は、大学の3回生の終わりにアメリカを旅して移住を考え、その第一弾として4回生を一年休学して、バイトをして資金を貯め、アトランタに語学留学をしたのだが、帰国して大学に行くと東村山が、まだ校内にいるではないか。結局、こいつは二年も留年していたのである。


 それで、捕まえて「お前、何やってんの?ゼミ決めたんか?」というと決めていないと言う。もう一留しようとしていたのである。それで、私が決めていたゼミに引っ張り込んだ。ただ、東村山は文学青年であり、私にアメリカの作家、ジョン・アーヴィングの自伝的小説ガープの世界を勧めるくらいで文章作成能力は長けており卒論を書くのは楽しんでいた。


 また、東村山は、一浪プラス二留の三年遅れは、さすがにマズイとも考え始めたのか、ガールフレンドにケツを蹴られたのか、就職活動はきっちり行い、時代がまだバブルの余波で人手不足という事もあり、半官半民のかっちりした会社に就職した。私は、当時フリーライターになりたかったから書くことを仕事にしている小さな古びたビルに入っているコンサルに就職した。


 で、今度は私が問題である。このコンサルで躁うつ病を発症してしまった。アトランタでの留学の総括は、アメリカの壁は分厚く高いであったが、躁の時に「アメリカ行ってツアーガイドになる‼ほんで、本書くんや‼」と盛り上がって、会社を辞めてアメリカ行きを実行に移した。そして、四年滞在後、私は躁が再発した上にアルコール漬けとなり帰国した。


 その後、親のすねをかじるフリーターになったのだが、心療内科で処方される薬を勝手に止めたり、大量飲酒が原因で躁とうつを繰り返していた。その間、東村山は、結婚して子供をもうけるという人生を歩んでおり、皮肉なことに私と東村山は、お互いが大学時代に考えていたことと真逆のコースを進むようになっていた。もっとも、私の場合病気という事もあるし、東村山は社会に出れば着実に働くと心に決めていたのかもしれないが…。


 今から5年前に三人の共通の友人で大阪でテレビの構成作家をやっている山村と、京都でスパゲッティーを食べた。その時に彼が世界一周をした話や、昔私が彼に売ったバイクが盗まれたなど昔話に花が咲いた。彼の世界一周の感想は、<どこも一緒>であり、それはいくら何でも違うやろうと思うのだが、まあ、本人がそう言っているのだから仕方がない。そして私の患っている躁うつの話をしていたら、山村が作家で私と同じ躁うつを患っていた故中島らもの番組の担当をしている時に、中島が左腕に包帯を巻いてきたと。


 それで「どーしたんすか⁉らもさん‼」と聞くと、夜ラーメン作ってた時に火傷したらしいねんけど、記憶にないねんねと言ったと。そして、私が、あーそれやったら俺も知らんうちにラーメン作って食ってることあるわとうつむいた。そのうち、東村山の話になり彼がFacebookをしていることを教えてもらった。ただ、山村と別れる際に、彼の顔に少し怯えが走ったように見えた。ラーメン→何やったかおぼえていません→心神喪失。コレである。


 帰宅して、久々に東村山にFacebookのメッセンジャーで連絡を取った。彼は食通でもあるのだが、会社の近くにあるうまい居酒屋があるのを私も知っていて、そこで会わないかと提案した。すると、なんだかごにょごにょ言葉を濁す。ええやないか、久しぶりに飲もうよと数回プッシュしたら連絡が途絶えた。そして、数日後彼のFacebookを見るとシンガポールのマーライオンの写真がアップされていた。


 それで、お前、シンガポールに赴任してんのか?と聞いてもなしのつぶてだったが、山村に聞くとそうだと言う。それで思ったのが、あいつ山村から話が行って、俺の病気のことが怖いんかなと。しかし、シンガポールに行くなら行くで、今忙しいと言えば良いではないか。私の大学時代の友人は皆去って行った。ただ、病気の友人はいるが。あと、クレイジーなアメリカのミュージシャン達と。さらば、健常者。

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