私
しがない
1
目が覚めると、隣にはもう一人私が居た。鏡でも見ているみたいに同じように驚いた顔をしていたのを今でも覚えている。きっと、彼女も同じ光景を見ていたのだろう。
驚きはした。けれど、思っていたよりも動転をしなかった自分への方がずっと驚いた。それは彼女も同じで、全く同じ顔の、背格好の、声の二人の話し合いは奇妙な状況に似合わず静かに始まった。
結論から言うと、私たちは全く同じ人間だった。
子供の頃に親に隠れて捨てた赤点の数学のテスト用紙の投棄場所を知っていたし、太腿に残っている火傷のあとだって寸分の狂いもなく全く同じものだった。初恋のまひろ君のことだって知ってたし、結局渡せなかったラブレターの内容だって二人して輪唱することが出来た。
私たちは全く同じようにもう一人の自分を受け入れる。そうするしかなかった。有り得ないことだとも思うが、現実問題として起こっているのだから受け入れるしかないのだ。
さて、ここで問題が生じる。
どちらが”本物”かということだ。
元々、私は一人だった。それは、二人ともの共通認識として存在している。
ということはどちらかは今朝増えた、ということは確かな事実であり、つまるところ増えた方は偽者、となるわけだ。
まあとは言っても全く狂いなく同じ人物なのだ。どちらが偽者でどちらが本物かなんてことは正直どうでも良くもある。
しかし、それをハッキリとしなければいけない問題もまた生じていたのだ。
それは、同じ人間が二人いることの不便さだった。
二人が一緒にいるところを見られてはいけないし、別々の場所に居たとしても電話なり、写真なりのせいで「同じ奴が二人いる!」と面倒が起こるかもしれない。
そうでなかったとしても食費も、服も、何もかもが二倍必要になる。それに、一人暮らし用のワンルームに二人で住むのは高校時代の制服を着たみたいに窮屈だ。
当然だけれども世界は同じ人間が二人いることを前提に作られていない。不便性に関して数え始めれば二十本の手の指があっても全く足りない。
よって、本物がここに残り、偽者がここから出て行くとせざるを得なかった。慣れ親しんだこの場所から去るのも嫌だったし、目の前にいる彼女もまた私である以上出て行かせるのも嫌ではあったが仕方がないことだった。
さて、どう本物を見極めるかということだが、私たち二人ではもう決めようがなかった。だって全く同じ二人なのだ。どうしようもない。
サイコロやルーレットで決めるという案も出たが、これからの人生を賭けてのギャンブルが出来るほど、私たちには度胸がなく、すぐに二つの声が却下した。
ではどうするかということで先輩に頼むことにした。
親に頼むには酷なことだし、親以外となると哀しいかな、信頼出来る人と言えば先輩くらいしかいなかったのだ。
二人がかりで部屋の掃除をする。入居日よりもピカピカの埃ひとつ落ちて居ない部屋を作ったところで電話をかける。折角先輩を初めて部屋に呼ぶというのに、なんでこんなことで呼ばなければいけないんだろう。一度拭いた机を念のためもう一度拭きながらひとつのため息が漏れる。
現れた先輩は写し鏡みたいな私たちを見ても顔色ひとつ変えずにいつも通りのままで部屋にあがる。私たちに驚けとは言わないけど、異性の部屋に入るのはもう少し躊躇ってみても可愛げがあるんじゃないだろうか。
三人分のお茶を入れて、かくかくしかじかと先輩に説明をする。先輩は黙ったまま私が淹れたそこそこ高い紅茶を啜り、もうひとりの私が用意したこれまたそこそこ高い茶菓子を頬張る。
話せるだけの事情を私たちが交互に話しきり、上品な咀嚼で皿に置かれていた茶菓子を全て嚥下し終えると、先輩は口を開いた。
「俺が決めていいの?」
私たちは頷く。
先輩は事も無げに指をさす。一切の躊躇がなかった。ことの重大さをまるで分かっていないような、近所のコンビニに買い物に行くような気さくさだった。
*****
以前から一人減った私の部屋で、私は再び先輩と一緒にお茶をしていた。
正直に言うと、どうしようもないくらいに嬉しかった。何を基準で選ばれたのかなんてことは知らないけど、これで先輩と一緒に居られる。今まで通りの生活が送れる。
上機嫌に鼻唄でも歌いたい気分だったけど、いつも通り本を読んでいる先輩の邪魔をしちゃいけない。なんで女の部屋にあがってまで本を読むのかは全くもって理解出来ないが、それもまあ先輩らしい。
ごつごつとした大きな手が頁を繰る。ごつごつと言っても逞しい感じというよりは骨が浮き出ていてどこか儚げで簡単に折れてしまいそうな危うさがある。けれど私はそんな手が好きだった。
今まで通りの日常。なんなら先輩を部屋に呼んで、前よりも充実した日常。
それで良かったはずだったはずなのに、少し欲が出た。
「ねえ、先輩」
「んー?」
先輩は本から顔をあげないまま眠たいみたいな声を出す。
「どうして先輩は私を選んでくれたんですか?」
それはほんの悪戯心。『なんとなく』という曖昧な答えでも私を幸せにしてくれる狡い質問。
けれど先輩は顔をあげないまま放るように言った。
「前選ばなかった方だったから」
想像だにしなかった回答に固まる。頭の”ま”から終わりの”ら”まで一文字たりとも理解が出来なかったからだった。
「前選ばなかった方だったから?」
一字一句違わないまま復唱するとようやく先輩は本から顔をあげる。その顔は少しうんざりとしたような、呆れた顔だった。
「三か月前だってこんなことがあったんだよ。その更に三か月前だって、そのまた前も、前もな」
ぐらりと視界が揺れる。だって、私にはそんな記憶はない。三か月前も半年前も九か月前もその前も、私は私で、分裂した記憶なんてない。
「いつも増えた方はそう言う。多分、増えること以外の記憶がある状態で生み出されるんだろうな」
国語の先生が『少年の日の思い出』を朗読するように、澱むことなく朗々と先輩は語る。何回、あるいは何十回彼はこれを繰り返したんだろう。
「何回もやってようやく最近どっちが新入りか分かるようになってきたんだ。お前マイスターだぜ、俺」
先輩は自嘲気味に言う。彼の精神的疲労は日の目を見るよりも明らかだった。
ああ、私はなんて残酷なことをしてしまったんだろう。そういう後悔と一緒に、少しばかりの愉悦を感じてしまう。だって、私がどうでも良いような人であれば、きっと先輩はここまで摩耗していないのだから。
しかし、新しく増えた私に記憶がないだけで、もう一人の私には増えた記憶はあったはずだ。彼女は、数日前に出て行った私はどうしてそのことを言わなかったのだろうか。
そう考えて、すぐに答えは出た。なんせ自分のことなのだ。大して考える必要はなかった。
先輩は、きっと前回も「前選ばなかった方だから」という理由でもう一人を追い出したのだ。であれば、あたかも新しく増えましたというような顔をすれば残れるかもしれないと、そう思ったのだ。
私だって三か月後は知らぬ存ぜぬを貫き通して生まれたてのフリをすることになるのだ。デジャヴのように未来が見えた。だってつい数日前に起こったことなのだ。
私は三か月後のことについて考えることをやめた。考えたって仕方のないことだった。先輩は再び本に目を落とす。
「先輩」
「なに?」
「私って、今もどこかで増え続けてるんでしょうか」
「さあね。でもそうなんじゃない?」
「じゃあいつか、もしかしたら私だけの国が出来るかもしれませんね。先輩に選ばれなかった私国家、とか言って」
自分と全く同じ顔が何億と並んで自分を選んでくれなかった先輩に対しての恨み言を口にしているところを想像して、思わず噴き出す。シュールだ。
「ウケるな」
先輩は全く面白くなさそうにそう呟く。いつもの先輩なら笑うと思ったので少し悔しい気持ちになるが、よく考えればそれも当然のことだった。
笑える冗談でも何十回も聞けば誰だって飽きる。
地球上のどこかにいる最初の私に少しだけ嫉妬をした。
私 しがない @Johnsmithee
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます