私の湧き水1 ネット依存
まえがき
中学1年生の時、インターネット依存について書いたものです。私がインターネットと本格的に関わり始めたのは、スマホを与えられた中学1年生の夏頃。いや、今思っても本当に本当に私ひどく依存していたんです。それしか頭に無くて。まぁ皆そういうもんなんでしょうけど、あまりに依存症状が酷いからと両親に「あなたとは一緒に暮らせない。施設に引き取ってもらおうと思う」とか本気で言われたこともあります。めっちゃ覚えてます。めっちゃ泣きましたから(笑)。
…いやまぁ、私の両親はことあるごとにすぐ「一緒に暮らせない」と言い出す人ではありますけど…それくらい酷かったんです。その当時の私が、なぜネットを手放せないのか書いたものですね~。
私は今、とてつもないネット依存者だ。自分でも良く分かっている。そう、自覚はしっかりある。それでもネットにすがりつく癖が抜けない。だから、依存してると言うんだ。
私にとってネットの世界は、威圧的な親からの最適な逃げ場だった。中学1年生の夏、スマホを与えられてから、私は大きく大きく変わってしまった。
それ以前の私は、とても活発で何でもやる、超!優等生だった。小学6年生の時は、学級委員長と生徒会を掛け持つなんてありえないことをするくらいに。今思えば、そんなに優等生でいられたのは、ただ親に褒められたかったから。面倒だなんて発想はどこにも無くて、偉いねってその一言だけを心待ちに、糧に、なんでもかんでも努力していた。褒められたくて。ただ、褒められたくて。
それが中学生にもなって色んなことを考えるようになると、やる意味あるんだろうか、だとか無駄なことを考えるようになって、ついでに少しづつ実力社会が見えて来て、それと同時に親が私を褒めることもグンと減った。そして、私への愚痴が格段に増えた。あくまでも私の視線での話ではあるけれど。
私が自室に戻る度、リビングから私の愚痴が聞こえてくるのは、もちろん良い気分がするものでは無かった。
誰かに褒められたくて、認められたくて、そうすることでしか自分の価値を見つけられなかった私。
ネットの広い世界には、自分の様に現実に不満を抱え、同じような気持ちで逃げ込んだ人もたくさんいた。現実に立ち向かう勇気が無い者同士、傷を舐め合っていたんだと思う。「君は大丈夫。わたしは君が好きだよ。」ずっと求めていた言葉を、ネットの世界で関わる人達はいとも簡単にくれた。ネットの世界なんてそんなものだ。悪口も簡単に言えるけれど、好意を言うことも同じく簡単だから。それからはもう、真っ逆さまに依存していった気がする。
今はネット環境を取り上げられている。こうして現実の世界に嫌でも目を向け、立ち向かわなければならなくなった。満たされない心を持ったまま、大人にならなくちゃいけない。私は今もまだ、あの逃げ場を求めてる。
(2019年12月31日)
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