私の湧き水4 自傷依存

まえがき

高菜めいが中学1年生当時の持論集、「私の湧き水」の4つめの文章です。

自傷1年生の私がなぜ自傷をやめられないのか、何が辛いのかを綴っています

※多少文章に修正を加えています。



やめられない。

リストカットがやめられない。


私が初めて自分の手首を切ったのは、1年ほど前のこと。

きっかけは確か、当時好きだったクラスメイトの男の子に近づけなくて悔しくなったことだった気がする。悔しい、悔しい、何年も前から好きなのにどうして、どうして何も出来ないんだろう。

興奮と悔しさで入り混じった気持ちを、やり場のない気持ちを、手首にぶつける。初めて切った時は裁ちバサミを使った。それから私は日常的なストレスを全て自分の手首にぶつけるようになって、小学生の時は休み時間になる度に切っていた。


なぜ、リストカットに行きついたのか。

私は行動より知識が先だった。小学4年生の時に出会った、世界で1番美しい女の子。

パソコンでネットサーフィンをしていて偶然見つけた、いわゆるネットアイドル。整形に金を注ぎ込んだ、この世のものではないような綺麗な顔、白い肌、抜群のスタイル。

ただ彼女は、生粋の、いわゆるメンヘラだった。男性との関係や妊娠、中絶など様々な噂があって、リストカットもその一つだった。そういうわけで私は自傷の存在を知っていた。その後、小学6年生で自分の顔面に強いコンプレックスを感じて、自分も彼女みたいに自傷をしたら、あんな外見に近づけるんじゃないかと、少なからず思っていたことも、要因のひとつとして確か。だから、きっかけの半分は好奇心だったのかもしれない。死にたかったのも事実だけれど。


親に見つかったのは、初めて自傷をしてから半年経った、中学1年生の春のことだった。当時は彫刻刀で足を傷つけるのが日課で、いつもふくらはぎが赤く腫れていた。春になって肌を出すことも増えて、気付かれて当然だった。

家でも学校でも尋問状態で、とてもとても苦しかった。何より苦痛だったのは、「なぜリスカをしてしまったの?」と聞かれることと、「痛かったね。苦しかったね。」と言われることだった。リスカを悪いことと決めつけて、やってしまったという表現をする周りと、適当に同情すれば良いと思っている大人が嫌いで嫌いでどうしようもなくて。痛かったら切らないし。私なんにも言ってないのに苦しかったねって、変じゃない?なんでしたの、って、聞く気も無いくせに。しかしそれを言う勇気さえ持たない私は、そのストレスさえ手首にぶつけた。

尋問される時、必ず大人は可哀想だと思っているような仮面を顔に貼り付けて問いただしてくる。その顔が気持ち悪くて気持ち悪くて、いつもいつも吐き気を感じた。



やめられない理由として、ストレス発散はもちろんのことだが、あの言い表すことの出来ない快感も大きな理由だと思っている。

カッターを握ると溢れる快感。止まらない手汗、自然と上がる口角、震える身体、興奮感、そして溢れ出す血液を目にし、刺激を感じた時、自分の身体からアドレナリンが湧き出るのを感じる。

あの依存性は半端じゃない。少し嫌なことがあると、もう自傷しなきゃやってられない。


(2019年12月31日)

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