第57話
「じゃあ、行こうか」
そう言って
「……行くって?」
どこに?
「言ったでしょ。『
ポカンと口を開けたまま固まる流の前で、ブルリと一度体を揺らした燈弥の頭の上に狐色の獣耳が現れる。背後ではふさふさもふもふの尻尾も揺れる。
「僕は、君をここから逃がして、キッコちゃんに謝りに行きたいんだけど、流くん……君はどうしたいんだい?」
キラリと瞳を輝かせる燈弥は、さっきまでとは別人みたいだった。
オレが……どうしたいかだって?そんなこと、決まってる。
「オレは、ここから出て家に……みんなのところに帰る」
翼のところに、帰らなきゃいけない。
最後に見た
あんな顔をさせちゃダメだ。
表情筋が死んでいる翼ではあるが、あの顔はダメだ。見ているこっちが辛くなる。
「体は大丈夫?薬の影響はなさそう?」
問われて流は頷く。
大丈夫。決して万全ではないけれど、目が覚めたばかりのときのような頭痛や眩暈、寒気は今はもうない。
フルリと体を震わせるて銀色の獣耳と尻尾を出すと、燈弥は流の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「僕を信じてくれる?」
燈弥とは出会いからして仕組まれたものだった。その後に寮に来たときも街中で襲われた流たちの元に来たときも、きっと命令だったのだろう。でも、今燈弥は自分の意思で流を逃がそうとしてくれている。
「信じる」
今の流には、信じることしかできない。
流の言葉に燈弥は安心したように少しだけ表情を崩して微笑んだ。
「ここは、学院のある街の外れにある廃ビルだよ。窓の外を見てもわかるように、街中とは離れた高台にある上に、周りは森に囲まれている」
窓の外を指す燈弥の動きに合わせて、流も外を見る。日の暮れた街の灯りがよく見える。街を挟んで反対側の山頂にあかりに照らされてぼんやりと浮んで見えるは、
「ビルの中には、狼族を襲ったテンとハクビシンの他にジャコウネコもいるけど、流くんの敵ではないと思う。でも、なるべく出会わないようにしたいところだよね」
流は頷く。テンやハクビシンであれば、狼族の敵にはならないけれど、油断はできない。数が多ければ、流にとって分が悪い。
「朔月さんが帰ってくるまでがリミットだよ。帰ってきたら、きっと逃げられない」
そうだ。朔月が出かけたからこそ、燈弥が流の元にやってきたのだ。朔月はもうすぐ鍵が来ると言っていた。その前にここを出なければならない。朔月が帰ってきたら、逃げられない。
ゾクリと流の背中を冷たい汗が流れる。
朔月に捕まった時、逃げようと身を捩ってみたけれどビクともしなかった。薬で力の入らない流を軽々と抱えていたことからも、単純な腕力は虎族には敵わないだろう。
逃げなきゃ。
流が大きく頷くと、燈弥は少しだけ声を大きくして言う。
「じゃあ、僕は君が使ったお皿を片付けてくるから、流くんは大人しくしていてね」
そう言って食器を手にして流に背を向けた燈弥の背後の尻尾が、ピコピコと動く。
ついて来いってことか……
そっとベッドから降りた流は、燈弥が出て行ったドアをそっと開けて後を追う。ゆっくりと廊下の角を曲がるときに、再びピコピコと燈弥の尻尾が動いた。
……大丈夫ってことかな?
足音を消して素早く燈弥の消えた角まで行って、そっと覗くと先を行く燈弥が非常階段のドアを開けるところだった。その尻尾は動いていない。
あれ……?
気配を消して近づくと、ドアはほんの少しだけ開いている。その隙間から覗くと、燈弥の後ろ姿が見えた。その向こうにはもう一人いるようだ。ほんのりと香ってくるのは、煙草の匂いだろうか。それに混じってほんのりと嗅いだことのある匂いがする。
「……さんは?」
「さっきもうすぐ戻るって連絡があった」
二人の話す声が、静かな非常階段に響いている。
「……そう。僕、少し出かけなくちゃいけないからこれの片付けお願いしてもいいかな?」
「え?オレが?これ、例のヤツのだろ?」
「うん。君がココで何してたのか、黙っててあげるから」
声音から何となく燈弥がにっこりと笑みを浮かべた気配を感じて、流は小さく身震いする。
燈弥くんの笑顔、ちょっと圧があるんだよな……
「わ、わかったよ……その代わり、マジで黙っててくれよ?」
「もちろん。約束は守るよ」
燈弥の言葉に納得したのか、カンカンカンカンと高い足音が響いた後に、少し遠くでドアが閉じる音がした。
「さて……」
呟いて燈弥は振り返る。
「もう大丈夫だよ」
そう言われて、流はそっとドアを開け燈弥の前へと出た。
「……あいつは……?」
あの匂い、覚えがある。
声を抑えて尋ねると、燈弥は肩を竦めて答える。
「君たちを襲ったテンの一人だよ。ここは彼らのアジトだからね」
……狼族を襲った奴らが、ここにいる……。
思わずブワッと流の毛が逆立つ。
「復讐する?」
流の気配を感じたのだろうか。問う燈弥に小さく首を振る。
「それよりも逃げるのが先だ」
ここから出て、早く家族の元に戻らないと……
連れられてきてどれくらいの時間が経っているのかはわからない。でも、きっとものすごく心配をかけている。みんなきっと必死で自分のことを探しているだろう。だから、何よりも先に無事に逃げなければならない。
「行こう」
燈弥に頷いて、流は彼のあとを追った。
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