第56話
「そうしてやってきた彼の五歳の誕生日。その日は家族で遊園地に行くことになっていました。でも、早朝に急に母の具合が悪くなり、父は母を連れて病院へと向かうことになりました。『すぐに帰ってくるから、いい子で待ってて』父は言いました。『帰ってきたら、みんなで遊園地に行こうね』母は言いました。少年は、本当は二人に病院に行ってほしくなかった。遊園地に行くと約束したんだから。誕生日の日に一人で留守番をしなければならないことも嫌だった……でも、全てを飲み込んで、両親に笑いかけて言ったんだ『行ってらっしゃい。早く帰ってきてね』って」
燈弥はそこで一度言葉を切る。俯いて、細く長く息を吐く。それを何度か繰り返すと、言葉を続ける。
「それが、彼が両親と交わした最後の言葉でした」
『燈弥くんが小さい頃に、伯父さんと伯母さんがいなくなっちゃって……子どもがいなかったウチの親が引き取って養子にしたんだって』
いつだったか、キッコがそう言っていた。その頃の話なのだろうか。
「待っても待っても父も母も帰ってこなくて、昼が過ぎて夜が来て……お腹が空いて冷蔵庫を開けると、ケーキの箱が入っていて……二人が帰ってきたら一緒に食べようと思って我慢してたんだけど、どうしても我慢できなくて、少しだけ……帰ってきたときに、一緒に食べられるようにって思いながら食べて、そのまま寝ちゃって朝がきて……それでも二人は帰ってきてなくって、また少しだけケーキを食べて……また夜がきて朝がきて……」
たった一人、残された家で、両親を待つのはどんな気持ちだっただろうか。不安な気持ちを抱えて、もしかしたら外に助けを求めに行くことだってできたかもしれない。でも、そうしている間に二人が帰ってきたら……?そう思うと、家から出ることはできなかったのかもしれない。
目線を下げて、膝の上でギュッと両手を握りしめて、燈弥は続ける。その姿は、何かに祈りを捧げるようにも、懺悔をしているようにも見えた。
「どれくらいの日数が経ったかわからないある日の早朝。家の駐車場に車が入る気配がして、少年は耳を澄ませませました。車のドアが閉まる音が、バタンバタンと2回して、少しするとカチャンカチャンって玄関の鍵が開けられる音が響いたんだ。ぼ……少年が、慌てて眠っていたソファから飛び起きて玄関の方に走っていくと……静かに玄関のドアが開きました。『おかえり!!』数日ぶりに出した声は掠れていて、思ったような声にはならなかったけれど、それでも、嬉しくて大きな声を出したんだ。でもね……そこに両親はいなかった」
燈弥の声がわずかに震える。白くなるほどに強く握った手の甲に、爪が少し食い込んでいる。
「立っていたのは、細く鋭い目をした男だった。彼は少年を見て笑顔を浮かべながら手を差し伸べてこう言った。『君の両親は、もうここには帰ってこない。だから、一緒に行こう』笑った顔が少しだけ父親に似ていて、少年は思わず彼の手を取ってしまった。……それが始まりになるとは知らずにね」
ふーっと息を吐いて、燈弥は顔を上げる。流はその瞳を真っ直ぐに受け止めて言った。
「どうしてオレに……?」
そう、どうしてこんな話を、燈弥は流に聞かせるのだろう。
「どうしてだろうね……君に聞いてほしかったんだ……」
「後悔……してる?」
「……後悔は……してないよ。ただ、キッコちゃんを傷つけちゃったな……とは思ってる」
ヘラっと笑う顔は、らしくなく情けない表情だ。眉を下げたその顔は、今にも泣き出しそうにも見える。
「両親の死は、事故だったって言われてるよ。病院に向かう途中に、大型トラックがスピードを出しすぎてカーブを曲がりきれなかったらしい。父は即死で、母は救助が来るまでは生きていたみたいなんだけど病院に運ばれる途中で亡くなったそうだよ。母のお腹にいた赤ん坊も一緒にね……妹だったんだ」
妹……燈弥にとってキッコは、その妹の代わりだったのだろう。引き取られた先で出会った、生まれてくるはずだった妹と同じ年頃の女の子。彼女は……キッコだけは、守りたいと思ったのかもしれない。
でも……
「キッコの話と少し違う……」
そう、少しだけ違う。キッコが以前、流に話してくれた内容と少しだけ、違う。
「燈弥くんが引き取られたのは、キッコが生まれる前だったって……」
「……僕が
「じゃあ、なんで……?」
流の小さな疑問に燈弥は自嘲めいた笑みを浮かべる。
「辻褄が合わなくなるからだろうね」
実際は、キッコ……鍵を守るための守護者を得るのが彼の目的だった。両親から離し、囲い込んで、二度と常木から……狐族から離れないように、縛りつけておくために、燈弥は引き取られたのだという。
「事故……だったんだろ……?」
喉が張り付いて、上手く声が出ない。けれど、絞り出すように流は言う。
「……事故だったと言われているよ」
言われている……燈弥の両親の死が本当に事故だったのかは、わからない。燈弥自身は、家にずっといて両親の死を知らなかった。知ったときには、二人の葬式も何もかも済んでいたのだという。
「あの子だけは、守りたかったんだけど……嫌われちゃったかな……」
あの子というのが、誰を指すのかを流はもう知っている。
「大丈夫だよ」
思わず流の口からそんな言葉が漏れる。
「へ?」
情けない表情にぴったりな、情けない声を出して、燈弥は流を見た。
大丈夫。確証があるわけでは決してないけれど、大丈夫。
「だって、キッコ、燈弥くんの心配してたもん」
そうだ。いつだってキッコは燈弥のことを心配していた。流を通して、燈弥の様子を聞こうとしたり、燈弥が流や翼にちょっかいをかけようとしていたときにも気付いて、止めようとしていた。燈弥が悲しい思いをしないように、燈弥がやりたくないことをやらずに済むように。キッコは、燈弥のことを思っていた。
「燈弥くんは、どうしたいんだ?」
流の問いに燈弥は顔を伏せて一度大きく息を吐く。そうして顔を上げた燈弥は、どこかスッキリした表情を浮かべていた。
「……キッコちゃん、許してくれるかな?」
「……誠心誠意謝れば」
きっと多分。
ああ見えて、キッコは情に厚い良いやつなのだ。
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