第55話

 カチャリと音がして、ドアの鍵が掛けられる。ドアの反対側にある窓は、はめ殺しで開けることはできない。窓からは、かなり遠くの方まで見ることができる。高台にある建物であることを差し引いても、思っているよりも高いところにいるのかもしれない。体の状態が万全ではない今、ガラスを割って出ていくことは無謀だろう。

 言われた通りにするのは癪だけど、大人しくしとくか……。

 そうと決まれば、まずは体を休めることに専念する。もしも、誰かが助けに来てくれたとして、今のままでは足手まとい以外の何者でもない。

 せめて、歩けるようにはならないと……

 そう思って目を閉じると、途端に眠気がやってくる。これも嗅がされた香りのせいだろうか。

 しまった。今が何日の何時なのか聞くの忘れたな……

 家族に……たすくに長い時間心配をかけてしまっているかもしれないことが、気がかりだ。

 コンコン

 響くノックの音でながれは目を覚ます。鍵が開けられドアが開く音が続き、流は体を起こしてそちらを見やった。

「やぁ、調子はどう?」

 濃い茶色の髪と瞳。笑みを浮かべてはいるけれど、どこか悲しい。

燈弥とうやくん……?」

 そうだよ笑って、燈弥は手に持っていたトレイを流の眠るベッドのサイドボードに置いた。トレイの上には、拳ほどの大きさのパンが二つと湯気の上るスープの入った器があった。

「食事だよ。お腹空いてるでしょ?」

 その言葉の直後に、流のお腹が盛大な音を立てる。クスクスと笑いながら差し出されたスプーンを受け取って、流はスープを口へと運んだ。小さく切られた野菜がたくさん入ったトマト味のスープ。じんわりと広がる温かさと優しい味にホッと息を吐き、流は思わずガツガツと食べてしまう。途中でパンにも手を伸ばし、ちぎって口へと放り込む。ご丁寧にパンも温められていて、外はカリッと中はふんわりしていて美味しい。最後一口分残したパンで、スープの器を綺麗に拭って、流はパンっと両手を合わせた。

「ごちそうさまでした」

「お粗末様でした」

 クスクスと笑う燈弥に、流がキョトンとした表情を返すと、笑いを噛み締めながら燈弥が言う。

「監禁されてるのに、ごちそうさまって……」

 確かに。

 言われてみればそうなのだけれど、食後にごちそうさまを言うのは流にとって染み付いた習慣だ。何なら、食べ始める前にいただきますを言わなかったのがちょっと気持ち悪いくらいだ。

「狼族は、ホント礼儀正しいよねぇ」

 その口調と表情はいつも通りの燈弥で、流は少しホッとする。

「どうして燈弥くんがここに?」

「ん?朔月さつきさんがちょっと出かけてるからね……代わってもらったんだ」

 燈弥は流の食べ終わった食器を邪魔にならないようにまとめて、壁際のキャビネットの上へと置く。流やキッコと同級生である朔月のことを燈弥が「さん」付けで呼ぶのは違和感がある。けれど、それが今の狐族と虎族の力関係を表しているようでもある。

 流の横たわるベッドの側に椅子を移動させて、燈弥はそこに腰をおろした。

「少し、昔話をしてもいいかな?」

 昔話?

 流は燈弥がどういうつもりなのか分からず内心首を傾げるが、小さく頷いた。それを見て、燈弥はぽつりぽつりと話し始める。

「昔々……と言っても、そんなに昔じゃないころ。あるところに男の子がいたんだ。その子は、両親と一緒に穏やかで楽しい毎日を過ごしていました」

 語り始めた燈弥の瞳は、どこか遠くのほうを見ていて、何だか今にも彼自身が消えてしまいそうな儚さがあった。

「彼が五歳の誕生日を迎える半年ほど前のこと。彼の父親が彼に言いました。『君はもうすぐお兄ちゃんになるんだよ』彼は飛び上がるほどに喜んで、きょうだいが生まれてくるのを今か今かと待っていました。彼がそんなに喜ぶのには理由がありました。彼の家族は、引っ越しを繰り返していて、彼には友達らしい友達がいなかったのです。きょうだいがいれば、毎日一緒に遊ぶことができます。これでもう寂しくないぞ!そう思って彼はきょうだいが生まれてくるのをとても楽しみにしていました。毎日毎日母親のお腹に向かって生まれてきたらどんなことをして遊びたいか、何を話したいかそんなことを語りかけていました」

 あぁ……これは燈弥くんの話なんだ……

 絞り出すようにゆっくりと、自分の中にあるものの輪郭をなぞるように語る燈弥の表情は穏やかで、燈弥にとって大切な思い出だということが痛いほど伝わってくる。けれど、思い出話をしたいわけではないはずだ。

 オレに何を伝えたいんだろう……

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