第50話

 ながれが顔を上げると、向かいに座って本を読んでいるたすくがいる。と、翼が何かに引かれる顔を上げ、その黒い瞳が流を映した。

「何だ?」

 言葉は簡潔で、表情は無愛想だけれど、本当は家族思いで面倒見が良いことを流は知っている。自分よりも年下の子どもたちの前では年上ぶっていたり、大人たちの前ではいい子ぶっていたりするけれど、流にだけ見せる甘ったれな面もある。物心ついたときには、翼はいつも流の後ろをついて歩いていた。二人で山中を駆け回って、探検をして、それと同じくらい喧嘩と仲直りもした。他の家族ももちろん大切だ。けれど、

 翼がいなくなるのは、きっと耐えられない

 鍵と守護者という関係だけでなく、自分の半身のようだとすら感じているのかもしれない。

「?」

 小さく首を傾げる翼に「何でもない」と小さく首を振り返して流は視線を本へと戻した。少しの間翼が流を見つめている気配がしたけれど、流は気付かないふりをしてそのままページを進めた。

 ……何か、今気付いちゃいけないことに気付いた気がする……

 それが気のせいであってほしいと思うけれど、きっと気のせいではないと心のどこかから声が聞こえた気がした。

 ガラリとドアが開けられた音がして、流と翼は視線を入り口の方へと向ける。

「「あ」」

 重なる声に大きな溜息を返したのは、研太けんただった。

「あ、じゃねーよ。探しただろ」

 その言葉に流と翼は目を合わせて首を傾げる。

「昼飯食って出発するぞ」

「え?もうそんな時間?」

 言われて流が壁にかけられた時計に目をやると、時刻は午前十一時を回ったところだった。何というか、絶妙にちょうどいい。そりゃあ、もう、色んな意味で。

 流は立ち上がると、本をカウンターにいるひとみへと返す。

「ありがとうございました」

「あら、もういいの?」

「うん。時間きたみたいだから」

 本を受け取りながら小さく首を傾げて聞くひとみに、流は返す。

「そう。まぁ、読みたいときにまたいらっしゃい」

「はい」

 そうして流と翼は、前を行く研太を追って寮へ続く森へと急いだ。

「で?知りたいことはわかったのか?」

 研太は小さく苦笑を浮かべながら追ってきた流に声をかける。

「まぁ、そこそこかな……」

 わかったこともあるけれど、謎が深まったところもある。

「狐族は、虎族とどういう関係があるんだ?」

 尋ねたのは翼だった。

「あー……それな。うん。まぁ……知っておいたほうが良いことではあるか……」

 どこか歯切れの悪い研太に、流と翼は顔を見合わせる。

「オレも人伝いだから、正確かどうかはわからないんだけど……」

 言って研太は歩調を緩めて話し始める。言葉を選びながらゆっくりと。

「二十年くらい前に、虎族の中で争いが起きたことは二人も知ってるよな」

 尋ねられた流と翼は、頷く。それを見て研太は続ける。

「最近、獣化できない一族が増えてきてるけど、虎族もその一つだったんだ。しかも、そのスピードが他の一族の比じゃなかった」

 獣化できない子どもが生まれるのは、特に大型の獣人たちの間で顕著だ。流たちの近くで言えば、象族や大熊猫族はすでに獣化できる者はほとんどいないという。人化ひとかが進んでいるとも言えるかもしれないが、それを良しとしない一族ももちろんあるのだ。虎族はそういう一族だったのだろう。

「最近の研究では、近親での婚姻が人化の原因の一つとも言われているんだけど……。まぁ……それは、置いておいて。虎族は、どうにか獣化できる子孫を増やそうとしていたんだ」

「増やそうと思って増やせるものなのか?」

 翼の問いに研太は、小さく苦笑いをしながら答える。

「さっき言っただろ?近親婚が人化を進めるって。だから、単純に逆にすれば獣化できるようになるんじゃないかって、虎族は考えたんだよ」

「つまり?」

「他の猫科の一族と交配したんだよ。交配種として選ばれたのは、獅子族や……山猫族だ」

 研太は言葉を切って小さく息を吐く。

 山猫族は、今や奈子と圭斗の二人しかいない。奈子は多くは語らない。けれど、彼女の抱えているものを、研太は知っているのだろう。そして、その一つが……

「……圭斗けいともそれで?」

 思わず自分の口から漏れた言葉に、流はしまった!という表情を浮かべ、隣の翼は少し呆れたように溜息を吐いた。それを見て、研太は小さく苦笑いを漏らした。

「やっぱり聞いてたんだな」

 どうやら流と翼があの夜こっそり聞いていたことに、研太は気付いていたようだ。きっと、泉や六花りっかも気付いていたのだろう。それでも、気付いていないように振る舞ったということは、それは二人が流と翼に聞かせたかったことなのかもしれない。

「圭斗は違うよ。確かに、虎族の血を引いてはいるけれど、その計画には関係ない。大体、歳が合わないだろ?」

 研太が今話しているのは、およそ二十年前のことだ。圭斗は今年七歳になるので、確かに計算が合わない。

「虎族のその案に乗った一族もあれば、そうじゃない一族もいた。……というか、ほとんどの一族は、無理矢理交配させられることを拒んだんだ」

「どうして?」

 獣化できない子どもが増えているのは、どの一族も同じだろうになぜ拒む必要があったのだろうか。

 流の問いに答えた研太の表情は硬い。

「やり方がよくない。虎族の男一人に対して、他の猫科の女性が複数……しかも、彼女たちが望むと望まないとに限らずだ」

 その言葉に流と翼は息を飲む。それは人を人と思わない、実験のようだったとのちの人は言った。

「それに狐族がどんな関係が?狐族は猫科じゃないだろ?」

「狐族は、虎族がこの国に来て以来代々虎族に仕えた一族だったんだ」

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