第47話

「というか、もしかしてながれ、アレ読んでないの?」

 夜が更けてしまったので、今日は家に帰らず寮に泊まろうということになった獣人会議終わり。最近よく通るようになってしまった、学院から真珠寮へと抜ける森を歩いているところで、たいらは流に尋ねた。

 アレというのは、つまり泉が書き直した狼族の文書のことで。夏休み前に、流が白夜びゃくやに学院の図書室に置いておくと言われたアレのことだろう。

「……」

「読むように言われてただろ?」

 答えない流に呆れたような目線を送って、水は小さく溜息を吐く。水のこういう目つきは、正直珍しい。

 決して忘れていたわけではないけれど、自分自身に関わることだから読むのに少し勇気がいることを理解してほしい。

「読んでないのか?」

 隣を歩くたすくが、流の顔を覗き込む。が、流はついと横を向いて目線を逸らす。

「「はぁ……」」

 水と翼は、揃って溜息を吐いた。

「まぁ、なくなるモンでもないし、時間があるときに読んでみたらいいんじゃないか?」

 研太けんたは苦笑いをしながら、隣を歩く流の頭を撫でる。

「……読んどく」

 流は研太の手の温もりを感じながら、渋々頷いた。

 一葉いちは圭斗けいとを狼族の里に送ったあと、研太は学院に戻りいつも通りの生活をしている。夏休みに入ったとはいえ、受験生である三年生は課外授業のために残っているし、実家に帰らない生徒もいるため寮監の仕事は休みがないのだと研太は嘆く。

「そう言えば、研兄はいつから犬族いぬぞくおさになったんだ?」

 尋ねたのは翼だった。それを聞いた研太は、眉間に皺を寄せて渋い顔をしている。今日の獣人会議に犬族の長として参加していたのは、研太だった。研太は、水のような「代理」という立場ではなく、正式な長だという。以前は研太の父が、長をしていたと流は記憶している。さらに流の記憶が確かなら、研太と一葉の両親も教師として学院で働いていたはずだが、高等部に入学して以来姿を見たことはない。歳の頃は泉や六花りっかより少し上だけれど、まだまだ現役世代のはずだ。歳がそう離れていないせいか、子どもの歳が近いせいか、犬族の長夫婦と泉たちは仲が良い。それもあって今の狼族と犬族は他の一族よりもずっと仲が良い。

「あれ?知らなかった?いっちゃんが中学入ると同時におじさんおさ辞めちゃったんだよ。仕事も早期退職しちゃったんだ」

 長ってやめれるんだ……。

 研太に代わって水が答え、それに付け加えるように研太は言う。

「本人は引退って言い張ってるけど、ぶっちゃけ面倒になってオレに押し付けただけだよ。最近は母さんと色んな国を渡り歩いてる」

 研太は溜息を吐きながら「今はどこほっつき歩いてんだか……」と呟いた。その表情が本当に疲れを感じさせるもので……

 なんと言うか……

「ゴシュウショウサマデス?」

「恐れ入ります」

 溜息まじりの気のない返事に、流は小さく笑った。

「お帰りなさーい」

 森を抜け、寮に戻ると奈子なこが笑顔で迎えてくれた。

「お疲れ様。お風呂まだお湯張ってるから、順番に入っちゃってね」

 いつもと変わらない奈子の様子に、流は胸の奥がほっこりと癒やされる。人の気配の少ない寮は、いつもよりも温度が低く感じる。研太と水は、寮監室へと向かい、流と翼も着替えを取りに自室へと向かうために階段を登り始めた。

「おかえりー」

 言いながら階段を降りてきたのは、光太郎こうたろうだった。先程の獣人会議に、同じように参加をしていた彼の顔にも疲労の色が見える。

「光太郎もお疲れ」

「いや、ホントそれな。いきなりあんなこと言われてもこっちが困るっての」

 はぁ……と大きく溜息を吐きながら光太郎が言うところの「あんなこと」とは、文書に書かれていたという内容のことだろうか。いつも冷静で、落ち着いている光太郎が、こんな風に弱っている姿は珍しい。よっぽどあの場が嫌だったのかもしれない。

「……というか、大変だったな。家の方」

「水も言ってたけど、被害はそんなにないから大丈夫だよ」

「でも、心配だろ?」

 つい先日襲われた家を離れるのは、心配じゃないかと光太郎は言う。けれど、家には父がいて、今は母もいる。ちょっとやそっとでは、結界を破壊して敷地の中に入ってくることはできないだろう。

「まぁ……それなりには」

 幼い子どもたちが、無理をしていないかは心配だ。泉から直接指導されることに大喜びだったけれど、しんどくなったり怪我をしていたりしないか少し気になっている。

馬族うまぞくは、今代の扉を開けることには興味はないから」

 「安心して」と光太郎は言う。

 その口ぶりは、未だ明らかにはしていないけれど、流が扉であることに勘づいている気配を感じさせる。

「大体、今の時代において自分の命を賭けてまで、世界を変えたいなんて思わないよ」

 これが、争いや災害などで命や一族滅亡の危機に瀕しているのなら別だと思うけど、と光太郎は笑った。けれど、すぐにその表情を鋭いものに変えて言う。

「ただ、父も言っていたんだけどね、何だか嫌な予感がするんだ……」

 その予感を上手く表現する言葉は、きっとこの場にいる誰もが知らない。

 流はただ、その予感が外れることを祈るばかりだった。

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