第44話

 院長室の隣にある大きな扉の前でたいらは大きく息を吐くと、後ろに立つながれたすくを振り返る。

「準備いいか?」

 その言葉に揃って二人は頷いた。

「じゃ、行くぞ」

 少し緊張の色のある二人を見て小さく苦笑いを浮かべながら、水は重い扉を押した。

 無理もない。通常なら決して二人が足を踏み入れることのない集まりだ。水ですら、泉の付き添いでまだ数えるほどしか参加したことがない会だ。

 どうしてこんなことになったんだか……

 思わず溜息が漏れてしまう水を流と翼は、憐れむような目で見つめていた。

 

 瞳をキラキラと輝かせたいずみは、六花りっかを始めその場にいたものを驚かせるような提案をした。

「水、僕の代わりに獣人会議に出てくれない?」

「は?」

 ニコニコといい笑顔で言われても、水には返す言葉がない。

「……何言ってんだか……」

 さすがの六花も、夫の思いつきの提案に簡単には乗ることができず、眉を顰めた。そんな様子を気にも止めずに泉は続ける。

「水は何度か僕と一緒に出たことがあるだろ?犬族はけんくんが出るし、練習だと思ってさ♪」

 そんな楽しそうな顔で言われても……

 確かに、いずれは獣人会議に出るのは水の役目になるだろう。けれど、それはまだまだずっと先のことだと水は思っている。泉はまだまだ健在で、巫女であるとおるを支えるには、水の力はまだ足りていない。水は思わず母に目を向ける。しかし、六花は肩を竦めて緩く首を振るばかりだった。

 こうなった泉は、誰も止められない。普段はのんびりおっとりしていて、どちらかと言うと他人の意見や意思を尊重し、それに従うような泉だ。けれど、彼が一度こうだと決めたことを覆すのは、なかなかに難しい。家族はそれを良く知っている。

「それに、僕が参加しないことで、他の一族にも在らぬことを想像させる余地ができると思うんだよね〜」

 在らぬこと……それは、今回の襲撃での被害状況や扉の存在かもしれない。

 今の水には、泉の考えを覆すような案はない。

「わかった……オレが行く」

 そうこなくっちゃ!とニッコリ笑った泉はさらに言葉を続ける。

「今回は、高校生以上の鍵と守護者も参加するようにって言われてるから、流と翼も行ってきてね」

 大丈夫、一人じゃないと言外に言われ、水は弟達に目を向けてさらに大きく溜息を吐いたのだった。

 

 ……さてさて。

 院長室の隣、重い扉を開くと部屋の中にいた人々の視線が一斉にこちらへと向く。部屋の形に沿う楕円形の会議机の席は、そのほとんどが埋まっていたが、正面一番奥の椅子にはまだ誰も座っていない。正面の右側の席には、眼鏡をかけた栗色の髪の男性が座っている。後ろに控えるように光太郎こうたろうが座っていることから、彼が馬族うまぞくであることがうかがえる。その隣にいるのは、グレイヘアの小柄な女性だ。くるりとした瞳と年齢を感じさせない顔立ちから、兎族うさぎぞくであることがうかがえる。

「おや……今日は狼族の長はいないのかい?」

 話しかけてきたのは、扉に近い席に座った男だった。狐族の長だ。一族特有のキュッと上がった瞳が、値踏みするように流と翼を見る。彼の後ろには、借りてきた猫のようにおとなしく座るキッコがいた。キッコは、流と目が合うと一瞬何か言いたそうに口を開くが、すぐに噤んで元のように顔を前へと戻す。キッコの隣では、燈弥とうやがニコニコと笑みを浮かべて小さく手を振っている。

「ご存知の通り、先日我が家が襲われまして。父は今そちらの対応にかかりきりなんです。なので、私が代わりに……」

 水は人受けの良い笑顔を浮かべて言うが、その目の奥は少しも笑っていない。この場にいるかもしれない裏切り者を警戒しているのだろうか。

 居心地悪い……

 二人の間に流れるピリピリとした空気も、周囲から浴びせられる刺さるような視線も、流にとっては心地よいものではない。守護者としてこの場に呼ばれた流だが、自分が扉であることをこの場にいる獣人族の族長たちが知っているかもしれないと思うと気が気ではなかった。

 まぁ……いきなり襲ってくるようなヤツはいないと思うけど。

 この場はあくまで獣人の一族の長が集まる会議……獣人会議だ。こんなところで騒ぎを起こすような一族はここにはいないだろう。

「ほう……被害は大きかったのかい?」

「そうですね。でも、母も戻ってきたので、ご心配には及びませんよ」

 探るような狐族族長の言葉を、笑顔でかわして水は言う。

「六花殿が戻ってこられたのかい?」

「えぇ。戻ってきました」

 どうやら彼も六花のことを知っているらしい。歳の頃から考えて、学生時代に知り合いだった可能性はある。また、彼女は色んな意味で獣人族の間では知られている存在らしいので、その流れで知っているのかもしれない。

「そうか……それは族長も心強いだろう」

「はい」

 ……何だろう……二人の間に、決して埋めることのできない深い谷があるようにすら感じる。

「水!」

 小さく呼ぶ声に、流たちも視線をそちらに向ける。声の主は研太だった。

「失礼します」

 水は狐族族長に小さく頭を下げると、こっちこっちと小さく手招きをする研太の方へと向かった。流と翼も、水に倣ってペコリと頭を下げると後を追う。どうやら、研太の左隣……馬族の族長の向かいにあたる席が狼族の席らしい。席順的に考えると、狼族は獣人の中でも結構な地位にあると言えそうだ。

「……喧嘩してんじゃねーよ」

「……売ってきたのは向こうだろ。……あの狐親父……」

 研太の隣に座った水は、吐き出すように呟く。小さなその呟きは、聴覚の優れた獣人族であっても至近距離でなければ聞こえないほどに小さい。

「あの親父はいつも通りだよ。それより……それどころじゃないだろ?今日のお前は、狼族の族長だ」

 諭すように言う研太の言葉に、水は「はぁーー」と大きく息を吐いて姿勢を正す。

「……わかってる」

 そう言った水は後ろに並んだ席に座った流と翼に振り返る。

「ざっと説明すると、向こう側が草食系の一族で、こっちが肉食系な。で、席順は一応貢献度順になってる」

「貢献度?」

 小さく呟いた翼の問いを拾ったのは、研太だった。

「たとえば、馬族と兎族は、この獣人会議のブレーンであり、院長の補佐の役目を担っている。その隣は象族ぞうぞく。彼らは外国との繋がりが強くて、そちらでの情報収集に貢献してるんだ。補佐や情報収集の他にも、人的貢献や金銭援助による貢献なんかもある。それぞれ一族ごとに得意なことが違うから、任されることも違うんだよ」

 なるほど。そう言うことなら、狼族がこの位置にいることは納得できる。神託の巫女を有する狼族は、その存在で貢献していると言えるだろう。

「……狐族は?」

 金銭的な援助なら、きっと彼らも十分に行っているはずだ。それなのに、あの位置にいるのはなぜだろう。

 流の問いに、水はスッと目を細めて声を低くして言う。

「彼らは、昔は上位の席に座っていたそうだけど、色々あって今は末席になってるんだ」

 色々……?

「そのことは、また後でな……」

 少し眉を顰めて研太が言うと同時に、扉が開き白夜びゃくやが部屋に入ってきた。

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