第42話

 ながれたすくが外に出ると裏庭のほうから光が漏れているようだった。あんなことがあった夜だ。まだ大人たちはまだ起きているのかもしれない。

「おじさんの部屋だな」

 そっと近付いてみると、明かりがついているのは、どうやらいずみの部屋のようだった。ボソボソと漏れ聞こえる声は、六花りっかのものだろうか。

 流と翼は、目を合わせると頷き、身を屈めてそっと泉の部屋の軒下へと進む。一度ブルリと体を震わせて半獣化すると、聞こえてくる声に耳を澄ます。

とおるは?」

「子どもたちを運んだあと、そのまま一緒に眠ってしまったようです。呼んできますか?」

 六花の問いに答えた声は、研太けんたのものだった。

「いや、いいよ。こんなことに対応するのは、初めてだろうからね。寝かせといてやりな」

「はい」

「それより、あの子のことだよ」

 続いた六花の言葉に、研太が少し身を固くする気配がした。

「あの子……えーと、名前はなんて言ったっけ?」

圭斗けいとくんだよ、六花さん」

「そうそう。圭斗、圭斗ね」

 泉のアシストにうんうんと頷いて、六花は続ける。

「あの子、とらだろ?」

 ……えっ!?

 六花の言葉に思わず声が出そうになった流の口を翼の大きな手が塞ぐ。流が目を丸くして翼を見ると、翼は空いた手の人差し指を口元に当てて、声を出すなと流に目で訴えた。それを見た流が、コクコクと頷くのを確認して、翼はようやく手を離した。

「しかも、鍵だ」

 六花は言葉を続ける。

 マジか……

 目を合わせた翼も同じように息を飲んでいたので、流と同じことを思ったに違いない。

一葉いちはを側に置いておくことで、誤魔化してるつもりかもしれないけど、そう長くは保たないだろうよ」

「…………わかってます」

 絞り出すように、けれどもはっきりと研太は言った。

「わかってます。でも……」

「圭斗くんは自分が虎だってことは、知らないんだね?」

 泉に言われて、研太が頷く気配がする。

「まさかとは思うけど、預言よげん神子みこじゃないだろうね?」

「違う!!圭斗は神子じゃない!」

 六花の言葉に、食い気味で研太は反論する。

 よげんのみこ……?

 聞いたことのない言葉に、流は翼を見やる。けれど、翼も聞いたことがないと肩を竦めるだけだった。耳慣れない言葉に二人が気を取られているうちに、話はさらに進んでいく。

「そうかい。あの子もあの子の親もあんたも扉を開けるつもりはないんだね?」

「もちろん」

 圭斗自身と圭斗の親……奈子なこのことを研太に尋ねるのは、違和感がある気もする。けれど、きっぱりと答える研太には、強い思いを感じる。

「それならいいんだ。夏の間は、あの子はうちで預かろう。学院以外では、ここが一番安全だからね」

「よろしくお願いします」

 見えているわけではないが、研太が深々と頭を下げた気配がした。

「「……」」

 流と翼は、目を合わせると、音を立てないように静かにその場を離れる。

 頭が、追いつかない……

 グルグルする思考をどうにかしようと部屋を出てきたのに、余計に頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったような気すらする。二人揃って口を噤んだまま家の裏手にある山へと足を踏み入れる。木々の間を少し進んだところで、流は後ろを振り返った。

「……どういうことだ?」

「どうもこうもないな。あの話を信じるなら、圭斗は虎の血を引いているってことになる」

 確かに、獣化した姿の圭斗は、黒い子猫のようだけれど、子猫にしては太くて逞しい足をしている。けれど、それはイエネコに比べて山猫の足がしっかりしているからだと思っていた。

 十数年前に絶えたと言われる獣人の一族、虎族。その原因は、後継者争いによる内輪揉めだと言われている。奈子もそれに関わっているということだろうか?

 ふと見ると翼は、その場で屈伸、伸脚、腕回しと軽く体を動かして走る準備をしていた。

「考えても仕方ない」

 ……確かに。

 知らないことをどんなに考えても、憶測でしかなくわかることは少ない。それだったら、最初の予定通り体を動かして、眠ってしまうほうがいいかもしれない。

 気を取り直した流は、翼に倣って準備運動をすると、そのまま闇の中へと走り出した。後からついてくる翼の気配を感じるけれど、構わずに木々の間を軽い足取りで駆け抜ける。

 頬に感じる風が、頭の中のモヤモヤを晴らしていく。グンっと一段ギアを上げてスピードを上げると、視界がクリアになって走ること、風を感じることだけしかできなくなる。山を巡る風と一体になったような気にすらなる。

 そうして、しばらく走り込んで汗だくになった流と翼は、戻って庭の水道で水を浴びた後にベッドに入るとそのまま泥に潜るように眠ったのだった。

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