第40話

「おばさ……ぃてっ!」

 たすくが言い終わる前に六花りっかが頭を軽くはたく。

「翼?いつも言ってるよね?」

 にっこりと浮かべられた笑顔の妙な迫力に、翼は小さく溜息を吐きながら言い直す。

「六花さん……どうしてここに?」

「どうしてもこうしてもないよ。我が家の危機とあれば駆けつけないわけはないでしょ」

 いや、そりゃあね、駆けつけてくれたことはありがたいんだけど……

「あ……」

 六花が顔を上げると同時に、キーンと高い音が響いて目の前……結界があるのであろう空間が一瞬青白く輝いて、消えた。

「……結界の強化ができたみたいだね。これでしばらくは破られる心配はない。さ、行くよ」

「え、ちょっと、母さん!?」

 言って六花は、ながれと翼の腕をグイと引っ張り大きくジャンプした。流と翼も腕を掴まれて引かれるままに大きく空へと飛び上がる。

 思わず叫びそうになるとことをグッと堪えた自分たちを褒めて欲しい。

 二人の足がどうにか地面に着いたところで、六花の手から開放された。

「「……」」

 流と翼は、目を合わせると揃って大きく息を吐いて肩を落とした。

 そうだ……こういう人だった……

 当の本人は、階段を降りるくらいの軽い足取りで着地すると、本殿へと上がる階段を登っていく。その背中を流と翼は慌てて追いかけた。

「おや、まあ。可愛い寝顔だねぇ」

 本殿に上がった六花は、しゃがみこんで何かを覗き込んでいる。後方から流が覗くと……

 黒い子猫と子犬のようにも見える銀色の子狼、それにゴールデンレトリバーのような長毛垂れ耳の若犬がクウクウと小さな寝息をたてて眠っていた。

 まなじりを下げて見つめる六花の瞳からは、愛おしさが溢れている。

「自分たちも戦うんだって聞かなくて……結局寝ちまったんだけど……」

 側に座っていた研太けんたも小さく笑いながら言い、それを聞いた流も思わず笑みが溢れる。

「戦おうって意思があるのは、獣人として悪いことじゃない。褒めてやらなきゃ」

 六花の言葉に研太は笑んだまま小さく頷き、一葉いちはから順に、しずく圭斗けいとと優しく頭を撫でてやる。と、板間を走るような音が本殿に響く。その後から、少し急ぎ足だけれど抑えたように歩く音も聞こえてくる。

「六花さん!?」

 走りながら飛び込んできたのは、いずみだった。

「「しー!!」」

 六花と研太に唇の前に人差し指をかざして言われ、泉は一度口をつぐむがすぐに声を抑えて話し始める。

「六花さん、いつ戻ってきたんだい?」

「ただいま、泉。今帰ってきたところだよ。今夜は出迎えてくれないのかい?」

 ふうわりと微笑んで言われて、泉は少し頬を赤くしながら腕を広げる。六花は、その広げられた腕の中に飛び込んでぎゅうっと泉を抱き締め、泉もそれに答えるように六花を抱きしめた。

「お帰り、六花さん」

 少し背の低い六花の髪に鼻を埋めた泉は、幸せそうなとろけた笑みを浮かべている。六花も六花で、ぐりぐりと泉の胸元に頭を擦り付けているところだった。

 年頃の子どもであれば、両親のイチャイチャするシーンを見せられると複雑な気分になるかもしれない。けれど、これが通常運転である夫妻の子どもと親戚一同は、小さく溜息を吐いただけだった。

 せめて二人きりのときにやってくれ。

「六花さん、どうして急に帰ってきたの?」

 写真家として世界中を縦横無尽に旅して回っている六花が、急に帰ってくるのはいつものことだ。けれど、これまでにこんな夜中に帰ってきたことはなかった。素直に疑問を口にしたとおるに、六花はほんの少しだけ泉から体を離して答える。

「神託があったんだよ。今日この時間にこの場所に来るようにって」

 代々狼族の女子に受け継がれてきた「神託の巫女」という役割。元々は泉の妹である竜と翼の母が、今代の巫女だった。しかし、彼女と彼女の夫……竜と翼の父は、子どもたちが幼い頃に不慮の事故で亡くなってしまったのだ。当時まだ中学生だった竜は、巫女の修行を始めたばかりで、力が安定しなかった。竜が修行を終えて正式な巫女となるまでの間、代理として巫女をしていたのが六花だった。そのせいか、六花は今でも稀に神託が降りることがあるという。

 それを聞いた竜がハッとした顔をして「ごめんなさい……」と呟き、俯いてしまう。

「竜が謝ることじゃないよ。どうやら天があたしとあんたに教えてくれることが違うらしいっていうのは、前々からだろ?今回だって、あんたは結界の修復をしなきゃならなかった。だから、手としてあたしに神託があったんだよ。竜、あんたが正統な神託の巫女だ」

 六花は優しく言いながら、子どもにするように竜の頭をそっと撫でる。両親が亡くなって以来、親代わりとして竜と翼を育ててきた六花にとって、竜は娘のようなものなのかもしれない。実際、流と翼も兄弟のように分け隔てなく育てられている。

「さて、結界も直ったし、攻撃してきていた奴らも倒した。今夜はもう遅いし、詳しくは明日にしよう!」

 何だか重くなりかけていた空気を変えるように泉が明るい声で言い、その言葉に場にいた全員が頷いた。

「じゃあ、子どもたちをお布団まで連れていってきますね」

「オレも手伝うよ」

 気を取り直したように言う竜に続いて研太は言い、獣化した一葉を抱える。一葉は、寝惚けているのか舌を出すとペロリと研太の頬を舐め、再び夢の中へと潜っていった。子猫と子狼を抱えた竜と子犬を抱えた研太は、そっと足音を立てないように本殿を出ていった。

「さて、あんたたちも。もう寝なきゃね」

 確かに。

 時計はないけれど、あれからすでにかなりの時間が経っている。

 とは言え。あんなことがあったのだ。神経が昂ってしまっていて、とてもじゃないけれど眠れそうにはない。

「眠れなくても、布団に入って横になっておくだけでも体は休まるからね」

 思考を読んだかのように言う泉に苦笑を返しながら、流は答える。

「わかった。とりあえず、寝るよ」

「そうしな。翼もね」

 六花に言われて翼もコクンと頷く。

「「おやすみなさい」」

 声を揃えて言って、流と翼は本殿を後にした。

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