第37話

 翌朝。

 朝食を済ませたながれたすくは、荷物の詰まったリュックを持って寮の玄関を出る。一葉いちは圭斗けいとの姿はすでに寮内にはなかったので、車の方に行っているのだろう。

「意外と荷物少ないんだなぁ」

「今回は長く家にいるんでしょ?そんな荷物で大丈夫?」

 頭上から降ってきた声に流は顔をあげると光太郎こうたろう総士そうしの上級生コンビが窓から顔を覗かせて手をひらひらと振っていた。最高学年である彼らは、夏休み中にも補習授業があるらしく、今年は実家には帰らないと言っていた。

「家にもあるから」

 持って帰る必要があるのは、少しの服や下着と大量に出された夏休みの課題くらいだ。課題に関しては、正直家に持って帰っても自分が手をつけている姿は想像できないのだけれど、必ず持って帰るようにというとおるの強い声があったので持って帰らざるを得ない。

 やりたくないけど、竜を怒らせるのは何よりも避けたい。

 答えた流に、なるほど……というふうに頷いた光太郎の横で、総士が「あ……」と小さく声を上げた。総士の視線の先を見やると……

「やぁ。朝早くから大きな荷物を持ってお出かけかい?」

 門扉を押して爽やかな笑顔とともにやってきたのは、燈弥とうやだった。午前中の太陽に照らされた濃い茶色の髪がキラキラと輝く。

「今日から家に帰るんだ」

「そうなんだ!良かったら送っていくけど?」

 燈弥が指差す先には、いつもの黒塗りの高級車が止まっている。翼は流を庇うように前に立つと、ニコニコと笑む燈弥に言葉を返した。

「いや、大丈夫だ」

「そうなの?遠慮しなくていいのに。ウチの車結構広いよ?それに……」

 燈弥がさらに言葉を続けようと口を開こうとした瞬間……

「燈弥くん!?何してるの!!」

 頭上から再び声が降ってきた。目をやると、キッコが今にも窓から落ちそうなほどに体を乗り出して、こちらを見ている。その横では兎実とみが、キッコが落ちないように必死で服を掴んでいるようだった。

「……あちゃー……見つかっちゃった……」

 小さく……本当に小さく呟いた燈弥の瞳が、一瞬暗い光を宿す。が、すぐに満面の笑みに変えると身を乗り出すキッコに向けた。その呟きはきっと翼と流にしか届いていないだろう。

「おはよう、キッコちゃん。そんなに身を乗り出すと危ないよ」

「ちょっと、そこから動かないで!!絶対よ!!」

 燈弥の声は、果たしてキッコに届いているのだろうか。言うが早いか、キッコは寮内へと引っ込んだ。きっと勢いそのままに、ここまで降りてくるのだろう。同じように想像したのだろうか。燈弥も小さく苦笑いを浮かべている。

流兄ながれにいー!翼兄たすくにいー!早くー!!」

 呼ばれて流は声の方を向く。声の先では、圭斗と一葉がぴょんぴょんとジャンプをしながら手を振っている。二人がいるのは寮の建物の横、普段は何も置かれていない場所だ。そこには今、大型のワゴン車が一台止まっていた。

「置いてくぞー」

 運転席から降りた研太けんたは、どこか面倒臭そうだ。

 なるほど。代わりというのは研太のことだったのか。まぁ、予想はしていたけれど。

 「はいはい」と返事をしながら流たちが車の方に移動し始めたところで、すごい勢いでキッコがやってきた。キッコは、燈弥の腕をぐいぐい引っ張って寮の中へと連れ込もうとする。それは、もう一瞬たりとも燈弥をこの場所に居させたくない……というような強い意志を感じる動きだった。

「キッコちゃんそんなに引っ張らないでよ。腕もげちゃうよ」

「燈弥くんはそんなにやわじゃないでしょ!」

 流はキッコのあまりの剣幕に、引きずられていく燈弥を呆然と見つめる。と、それに気付いた燈弥が小さくバイバイと手を振って唇の端をニィッと上げて笑む。その唇の隙間からほんの少しだけ牙がのぞく。

「気を付けてね」

 ゾクッ……

 その言葉と燈弥の瞳に宿る暗い光に流の背筋を何かが走る。

「……行くぞ」

 隣に立つ翼の声に、流はハッと我に返って返事をする。

「うん……」

 車の方では、一葉と圭斗が二人を急かすように「早く早く!」と声を上げている。流は翼のあとを追って、三人の待つ車へと乗り込んだ。

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