第36話

「どう言うことだ?」

 たすくは大きく息を吐くと静かに口を開いた。

「だってそうだろ?普段ならあの道を通ろうとするのはオレたちだけじゃないはずだ。でも、あの日、あの時はオレたちしかいなかった」

 そのことはながれもおかしいと思っていた。あの道は暗く細い裏道だけれど、自分たちと同じように抜け道として使っている人は少なくない。でも、あの日、あの時、あの瞬間のあの場所には、流と翼、それと相手の獣人たちしかいなかった。

「おかしいのはそれだけじゃない」

「?」

 流が首を傾げていると、翼は言葉を続ける。

「相手は、オレたちが狼族の鍵と守護者であることがわかっていた」

 獣人族に「鍵」と「守護者」がいることは、獣人たちの間では当たり前のことだ。けれど、誰が鍵で誰が守護者であるということは、一族の中でトップシークレットとされているはずだ。実際、流や翼も自分たちが守護者であり、鍵であることを自ら口にしたことはない。でも、そのことを薄々感じているだろう人たちはいる。

「……寮生の中に、裏切り者がいるってことか?」

 絞り出すように零れた自分の言葉に、流はギュッと胸を奥を掴まれたような気持ちになる。顔を上げるとぶつかる星のような黒い瞳。翼は、少しだけ瞳に心配の色を滲ませて流を見ていた。

「わからない。でも、その可能性も拭えない」

 流に対する翼の言葉には、いつだって嘘はない。そのことを知っている流は、思わずギュッと唇を噛む。が、小さく首を振って息を吐くと、翼の黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

「……帰ろう」

 一度家に帰って、父や兄たちに相談しよう。

 流のその言葉に、翼も大きく頷く。幸いなことに、学院は明日から本格的な夏休みに入る。家に帰って相談する時間は十分にあるだろう。

 そうと決まれば話は早い。

奈子なこさーん」

 流はすっくと立ち上がると、パタパタと足音をさせながら食堂の方へと向かう。

「はいはい。どうしたの?」

 調理室から顔を覗かせた奈子は「薬箱わからなかった?」と小さく首を傾げる。

「いや、薬箱はあった。ありがと」

「そう。良かったわ」

 にっこりと微笑む奈子に、被せるようにして流は言葉を続ける。

「オレと翼、明日からしばらく実家に帰ろうと思うんだ」

「あら、そうなの?帰るのもう少し後じゃなかった?」

 あらあら……と言いながら少し困ったように奈子は眉根を寄せている。

「申請してたのは八月からだったんだけど、ちょっと事情が変わっちゃって……」

「そうなの?じゃあどうしようかしら……」

 奈子の様子に流のあとをついてきた翼も訝しげに眉を顰めている。

「都合悪かった?」

 流の言葉に奈子は首を振る。

「寮的には大丈夫なんだけどね……」

 何だか煮え切らない奈子の口ぶりに、流と翼は顔を見合わせて首を傾げる。

「二人と一緒に、一葉いちはちゃんと圭斗けいと大上おおがみのおウチに遊びにいく予定だったのよ」

 聞いてない?と奈子に聞き返されて、流と翼は首を横に振った。

 聞いてない。二人に伝えていないのが誰なのかは、言わずもがなではあるが。

「一葉ちゃんも圭斗も明日から行くの良いと思うんだけどね、お迎えが大丈夫かしらと思って」

 なるほど。

 奈子の話を要約すると、流と翼の帰省に合わせて、一葉と圭斗も一緒に大上家に行く予定だったようだ。そして、自分たちを含めてまとめて迎えが来る算段になっていたのだろう。迎えが来るとなると、流たちが思い浮かぶのは一人しかいない。

「……聞いてみる」

 翼はポケットから携帯を取り出すと、素早く誰かにメッセージを送った。相手はたいらとおるか……

 水かな……

 すぐに翼の携帯がブルブルと揺れて誰かから着信が入る。翼は一瞬画面を確認して、電話に出る。

「もしもし……あぁ……うん……うん……わかった」

 簡単なやり取りですぐに電話を切った翼は、流と奈子に向かって言う。

「代わりを手配したから大丈夫だって」

 代わりというのは誰のことか……。まぁ……大上家と繋がりがあって、都合よく明日車を出せるような人物なんて一人しかいない。

「そう。じゃあ大丈夫ね。一葉ちゃんと圭斗に伝えておかなくっちゃ。二人も忘れ物ないようにするのよ?」

「「はーい」」

 にっこり笑って調理室へと戻っていく奈子の背に声を揃えて返事をした流と翼は、帰省のための荷造りのために自分の部屋へと上がっていった。

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