第34話

 ギーッと鈍い音を立てて扉が閉まると、ながれはフーッと大きく息を吐いた。

「お疲れ」

 たいらはポンッと流の肩を軽く叩くと、流の隣に腰をおろす。ちらりと目をやったその表情からは緊張が抜け、瞳にいつもの柔らかい光が揺れている。

「……疲れた……」

 昨日の夕方から思わぬ怒涛の展開で、頭がついていかない。

 流は、はぁ……と大きく息を吐くとその流れで大きく息を吸い込む。「溜息を吐くと幸せが逃げていく」とさっき奈子なこにも言われたばかりだ。奈子は、流のこと……流とたすくのことを心から心配しているようだった。圭斗けいとも流や翼だけではなく、水にもよく懐いている。一葉いちはも流の味方だと言ってくれた。

「……水は、どの一族が味方か知ってるのか?」

 自分の口から出た声が、思っていたよりもずっと弱々しくて、流は小さく苦笑いをする。

 同じ寮で暮らす仲間たちが、自分たちの敵になるとは思いたくない。けれど、そうなるかもしれないという覚悟をする必要があるのかもしれない。

「んー……そうだなぁ……。犬族いぬぞくとは親戚みたいなモンだし、山猫族やまねこぞくは奈子ちゃんたちだけだから……」

 つまりそれ以外の一族の状況は、水でもわからないと言うことか。

 再び漏れそうになった溜息を飲み込んで、流は顔をあげる。

 弱音を吐いていても、状況がよくなるわけじゃない。だったら、顔を上げてできることをするしかない。

「そう気負う必要はないよ。獣化できない一族はこっちの味方だと思うし、草食系の一族は今回の一件には絡んでなさそうだし」

 獣から進化した獣人族の能力の一つが獣化……つまり、獣に姿を変えることができることだ。けれど、現在では獣化できない子どもが産まれる一族も少なくない。特に大型獣の一族でその傾向が顕著で、寮生の一族で言うと象族ぞうぞく大熊猫族パンダぞくには、獣化できる者はほんの一握りしかいないという。

「草食系の一族は肉食系の一族よりも戦闘能力が劣るから、扉に関わるのを避ける傾向が強いんだよね」

 ただし、彼らは扉が開かれた直後の世界では、肉食系の一族よりも影響力が強いとも言われる。草食系の一族は、肉食系の一族よりも知識や頭脳の面で優れていることが多い。そのため、自分たちの一族にとってより良い世界を作ってくる一族に力を貸すという。

 「草食系の一族は知能面で優秀である」と聞いて、流の頭に最初に浮かぶのは兎実とみだ。兎族うさぎぞくの一員である彼女は、学年首席の座を入学以来一度も譲ったことがない。学院卒業後は、海外の大学へ留学するらしいとの噂もある。友だちがいないわけではないが、決して群れることはなくいつも冷静に周囲を観察し、その場に合わせた行動をとりながらも敵を作ることはない兎実こそ、草食系獣人の代表格と言えるだろう。ちなみに、獣化した兎実は白い野うさぎの姿になる。ぬいぐるみのようで可愛らしいと女子に大人気だけれど、撫でようと手を伸ばすと鋭いうさぎキックが飛んでくる。

「自分たちだけでどうにかしようと思わなくていいんだよ」

 水は流の頭を優しく撫でながら言う。

「父さんも院長たちも、いつ扉が現れてもいいように準備をしてきたんだ。だから、頼ることを躊躇わなくていいんだ」

 これまでに扉が現れたペースからすると、今回流が扉として覚醒したことは予定外だったかもしれない。けれどいずみは、翼が「鍵」として生まれ、流が「守護者」になったその時から、扉が現れた時のことを考えて過去の手記を読んだり、海外からも扉や鍵に関する資料を取り寄せて対策を練ってきたらしい。その思いは、扉を巡る獣人同士の争いを避けたい白夜びゃくやの願いと同じだった。

「オレやとおるだって、流たちを守りたいって思ってるんだから」

 竜……

 艶やかな黒髪で美しい横顔の従姉いとこは、口数は少ないけれど誰よりも優しい。流が悩んだり困ったりしていたら、いつも何も言わずにそっと寄り添って、立ち上がるまで見守ってくれた。それは姉というよりも、母に近いかもしれない。

「だから、抱え込みすぎるな。全部吐き出せ」

 全部……

 水の言葉に流は思い出す。

 月を背負ってしなやかに動く長い尻尾。鋭い爪と牙。傷付けられた翼と動けなかった自分。

 夢だというには、やけにリアルな感覚と感情。

「夢でみたことに近いことが、現実でも起きてる気がする……」

 謎の猫科の獣人は、扉が現れることを示していたし、翼は夢の中と同じように傷つけられた。そして、夢と同じように自分は何もできなかった。

 まるで、自分が夢で見たことが現実になってしまうような気がして……怖い。

「予知夢……?いや、どっちかっていうと、何かが流に干渉してる?」

 流の隣で、水は顎を撫でながら考え込むように呟く。

「でも、人の思考に干渉できるような能力……獣人に?……」

 思考に……夢に干渉ができるような能力。そんな能力を持つ獣人がいるのだろうか?いたとして、その獣人はなぜ流に接触してきたのだろうか?

 ……

 水につられて流が黙り込んでしまうと、その様子にハッとした水が小さく苦笑いを浮かべる。

「そんな顔しなくていいよ。大丈夫。こっちで調べてみるから」

 ポンポンと優しく流の頭を撫でる水は、もういつもの水の顔になっている。そのことに少しだけ安心をして流は頷いた。

「また変な夢みたら教えてくれる?」

「わかった」

 流の返事に水は大きく笑んで、くしゃくしゃになるまで流の頭を撫でた。

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