第31話

 ぐぅ〜……

 どこからか響いた重低音で、ながれはフッと目を覚ます。

 ……寝てた……

 ほんの少しだけ横になるつもりだったのに、思ったよりも深く眠ってしまっていたようだった。体を起こして窓の外を見ると、日はだいぶ傾いていた。

 ぐぅ〜

 再び響いた低音。音は流の腹部から聞こえてくる。

「腹減った……」

 思い返してみれば、今日の食事は退院前の病院で食べた朝食が最後だった。

 昼ご飯食べ損ねたな……

 お腹を擦りながら、タンタンと階下へ降りていく。ぐっすり眠って疲れはだいぶ取れたようだ。鉛のように重かった体が随分軽い。流は、何か食べるものはないかと食堂を覗いた。

「あら、なっくん。目が覚めたのね」

 夕飯の準備を始めていたのだろうか。奈子なこに見つかって声をかけられる。

「うん。奈子さん何か食べる物ない?腹減っちゃって……」

 流がお腹をさすりながら言うと、奈子はクスクス笑いながら冷蔵庫へ向かう。

「そう言うだろうと思って……」

 奈子が取り出したのは三角のおにぎりが二つ乗った皿だった。昼ご飯の時間になっても降りてこなかった流のために、残ったご飯で握ってくれたのだろう。

「やった!」

 思わず笑みと声の漏れた流に皿を手渡し、奈子はさらに続ける。

「お味噌汁もあるわよ」

「最高!」

 思った以上の成果を得ることができた流は、ホクホクしながら適当な椅子に腰を下ろしおにぎりを前に手を合わせる。

「いただきます」

「はい、どうぞ」

 言った流の前に湯気の立つお椀を置いて、奈子は流の斜向かいの椅子へと座った。

 おにぎりの具はシャケと明太子で、それはどちらも流が好きな具だった。流は咀嚼しながら、味噌汁にも口をつける。味噌汁というには多すぎる具材が入ったそれは、奈子の流に対する優しさだろうか。

「慌てなくていいから、ゆっくり食べて」

 ガツガツと食べる流に、奈子は苦笑を浮かべながら声をかける。モグモグと口を動かしながら流は頷き、少しペースを落として食べていく。

「ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした」

 パンッと手を合わせて言った流に、奈子は笑顔を返した。次の瞬間、奈子は一瞬陰った表情を隠すように立ち上がると、流の前の食器を手に取り流しへと下げにいく。

「ねぇ、なっくん?」

 その声はいつも通り明るいけれど、少し震えているようにも聞こえる。一瞬躊躇った流の返事を待たずに奈子は続ける。

「一人で、抱え込まなくていいんだからね?」

 その言葉に流は一瞬息を飲んで俯くと小さく返した。

「……うん」

 周りの大人たちは、皆示し合わせたようにそう言ってくれる。

 抱え込む必要はない。

 流とたすくは、二人きりではない。

 自分たちは味方だ、と。

 それは大人たちだけじゃない。事情を知っているのであろう寮生たちも同じだ。でも、だからこそ……

 迷惑はかけられない……

 自分たちのできる範囲は、自分たちでなんとかしたい、なんとかしなければ……と思ってしまう。

 そのためには、もっともっと情報がほしい。知らなければならないことがたくさんある。

「……奈子さん、たいらは?」

「今は出掛けてるわ。夕飯までには帰ってくるって言ってたけど……」

 奈子の手元からは、タンタンと小気味良い音が響く。

「何か急ぎの用事?」

「……いや、急ぎでは……ない」

 白夜びゃくやに話を聞かなければと思ったけれど、今日は忙しいようだと水が言っていたのを思い出す。だったら、もしかしたら水は自分よりも何か知っているかもしれない、知っていることを教えてほしいと思ったけれど、出掛けているのなら仕方ない。

 小さく溜息を吐くと流は椅子から立ち上がる。

「溜息吐くと幸せが逃げちゃうよ?」

 振り返って言う奈子はいつも通りの笑顔で、流も笑みを返す。

「今のは深呼吸」

「あら、そう?だったら良いわ」

 コロコロと鈴が鳴るように奈子は笑う。その笑顔が流は好きだ。同時に、その顔を曇らせてはいけないとも思う。

「オレもちょっと出掛けてくるね」

「はーい。でも、夕飯までには帰ってきてね。約束よ」

「はーい」

 返事をして食堂を出ると、流は自分の部屋へと向かう。

 獣人についての情報を探すとすればどこか?

 インターネットや普通の本の中には、獣人に関する情報はほとんどない。あったとしても、それは物語の中の設定であったり、空想上のことだったりとフィクションでしかない。

 獣人についての情報……それがあるとすると、獣人がいる場所……。普段は人の中に溶けて、目立たないように暮らしている獣人たち。けれど、集まっている場所が、流の知る限り一つだけある。

 青海学院おうみがくいん

 獣人の子どもたちが通うこの学院こそが、一番獣人に関する情報が多いはずだ。そして、そんな子どもたちの悩みを解決するための情報も、学院にはきっとあるだろう。

 ……悩んだときに行く場所……

 幼い頃から、両親に言われてきた言葉がある。

 わからないことがあれば、まず辞書を引きなさい。それでもわからなければ、それに関する本を探して読みなさい。

 図書室に行ってみるか……

 校舎の一番端にある青海学院高等部の図書室は、学校の図書室にしては本が多い。それは生徒たちの学習を助けるためでもあるが、およそそれには役に立つとは思えないような本もあることを流は知っている。

 ……なんか古い本もあったよな……

 以前面白い本はないかと本棚の間を彷徨っていたときに見かけた、古書と言っても差し支えないほどに背の文字が掠れてしまっていた本。あまり興味を惹かれず、見過ごしていたそれには獣人の文字が書かれていた気がする。

 ともかく、行ってみるか。

 今は、できることをやるしかない。

 流にできることは、それしかない。

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