第29話

 翌日。ながれが手続き関係は全て研太に任せて病院を出ると、待ち構えたように燈弥とうやに迎えられた。

「送るよ」

 その言葉を有り難く受け入れて、流は燈弥の後について車に乗り込んだ。

「……燈弥くんが運転するわけじゃないんだね……」

 乗った車は黒塗りの高級車で、運転手がドアの開け閉めをしてくれた。燈弥は慣れた様子で車内の小さな冷蔵庫から飲み物を取り出して流に渡す。

「ん?あ、そうだね。家の車だよ。僕らが外出するときには基本的には家の車を使うことになってるんだ」

 ニコニコと笑いながら言う燈弥から飲み物を受け取って、流は曖昧に微笑む。

 狐族すげー金持ち……

 残念ながら狼族はそれほど裕福ではない。……というか、金とか権力とかそういうものから距離を取りたがる節がある。

 まぁ……ウチは神様にお仕えしてる身だからなぁ……

 よそはよそ、うちはうち。わかっていてもその違いにクラクラしてしまうのは許してほしい。

「それで、昨日は先生たちと何を話したの?」

 自分も流と同じ飲み物を飲みながら、燈弥は流に問う。

 昨日の話……

 言われて流は白夜びゃくやとのやり取りを思い出す。たすくのこと、扉のこと、自分のこと……考えないようにしていたことがブワッと頭の中を駆け巡って流は一瞬答えるのを躊躇してしまう。そして白夜に言われた言葉を思い出す。

 君が扉であることは誰にも話してはいけないよ。それがたとえ君が知っている獣人であったとしてもーー

「翼の怪我のこととか、相手の獣人のこととか……」

「ふーん。院長先生は何て?」

「翼の手術は成功してるし、相手の獣人もすぐに調べがつくだろうって」

「そっか。良かったね」

 燈弥の言葉に流も頷く。

 確かに、翼のことや相手の獣人たちのことも話した。燈弥の求める本題が違っていることは、流自身も薄々わかっている。もしかしたら、燈弥もそれを感じているのかもしれない。けれど昨夜白夜は流に言った。「扉であることは誰にも話してはならない」と。「たとえ知っている獣人族であったとしても」と。

 流が口を噤むと燈弥は興味を失ったように視線を窓の外へと向ける。車内で会話はなく、流は心の中で首を傾げる。

 何だか今日は燈弥の様子が違う……

 最近出会ったばかりの燈弥だけれど、流の知る燈弥は穏やか明るく、親しみやすい青年だった。けれど、今日の燈弥は、流との間に壁を感じる。

 病院は学院からそう遠くないようで、十分ほどで寮へと着いた。その間、燈弥との間に会話はなく、流は移り変わる窓の外に目を向けていた。

 燈弥に礼を言って門の前で車を降りる。小さく音を立てる門扉を押して入ると、研太が連絡を入れてくれていたのだろうか、玄関の前で奈子なこと二人の上級生たちが待っていた。

「……ただいま」

 少し気まずくて、頬をかきながら言う流の言葉に、奈子は大きく目を見開いた。その瞳にみるみるうちに涙が溜まっていって……

「……夕飯の時間までに戻ってらっしゃいって言ったはずよ?」

「……ごめんなさい」

 涙声で言う奈子に、流は素直に謝る。事件と言っても過言ではないことに巻き込まれていたとは言え、規則を守れなかったのは事実だ。そして、連絡をすることもできなかった。

「寮則破ったんだから、しばらく外出禁止だな」

 柔らかい笑みを浮かべて言うのは、光太郎こうたろうだ。その隣に立つ総士そうしも少し困ったような顔で笑っている。彼らの表情を見るに、もしかするともうすでに感づいているのかもしれない。

「おかえり」

 そう言ったのは誰だろうか。

「ただいま」

 もう一度流が言うと、奈子が駆け寄ってきて強く抱きしめた。

「心配したんだから」

「ごめんなさい」

 流がもう一度謝ると、奈子は体を離して少し意地悪な表情を浮かべて笑う。

「罰として、食事当番一週間ね」

 その言葉に流も笑って頷いた。

「あ、たいちゃん」

 奈子の声に流が振り返ると、門扉を押して近付いくるたいらが銀色に輝く髪を揺らしていた。

「……なんで……?」

 寮の玄関までやってきた水に向かって思わず溢れた流の言葉に水は小さく苦笑する。

「未成年に何かあったら、保護者に連絡が来るんだよ」

 ……そう言えば、昨日研太が家に連絡をすると言っていたような気がする。

「院長は今日は忙しいらしいから、話は明日だって」

 先に白夜に会ってきたのだろうか。近寄ってきた水に頭を撫でられながら言われた言葉に流は頷く。

 話そうと言われても、何をどうすればいいのか流にはわからなかった。一晩眠れば少しは頭の中が整理できるかと思ったけれど、昨日の夜は思うように眠れず、考えもまとまっていない。

 ……ちょっとほっとした

 ぐるぐると絡まる思考の糸を解く時間が、一日でもできたことに小さく安堵する。

「髪、伸びちゃったな。切る?」

 水に言われて、流は大きく頷いた。

 どういう仕組みか、扉として覚醒したと同時に染めていた色が抜け長く伸びた流の髪。どうしようかと思っていたところだった。渡りに船……と思ったけれど、きっと昨夜研太に聞いていたのだろう。

 流が青海学院に入学するまで、流の髪の毛を切っていたのは水だ。その腕前は近所の理髪店店主のお墨付きだ。店主は水の腕に感心して、自分のお古の仕事道具を水に譲ってやるほどだった。

「じゃあ、庭でやるから着替えておいで」

 流は素直に頷くと、自分の部屋へと向かった。

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