第20話

 翌朝、ながれが目を覚ますと燈弥とうやが寝ていたベッドの布団はきっちりと畳まれており、すでに彼の姿はなかった。

 ……早いな……

 時計の針は九時を回ったところ。

 流は小さくあくびをしながら、部屋を出て食堂へと向かう。

「ちょっと流!休みだからって、遅くまで寝てんじゃないわよ!」

 食堂に入った瞬間に飛んできた声に目を向けると、頭の高い位置で髪を束ねたキッコと目が合う。昨夜は随分荒れていたが、一晩経って落ち着いたようだ。

「今朝の当番兎実とみじゃなかったか?」

 平日の食事は奈子なこと食事当番が作っているが、自立を寮訓とする真珠寮では休日の朝食は寮生たちの当番制になっている。兎実が朝食当番のときは、大量に準備されたご飯と味噌汁と卵料理を各自必要な分だけとって食べるビュッフェスタイルな上に、後片付けも各自でするよう兎実により指示されている。これがキッコの場合は気まぐれメニューのワンプレートになるし、流の場合は前日に大量のパンを買ってくることにしている。その他、寮生各自の個性あふれる朝食になるのが休日のお約束だ。ちなみに、一番人気は鈴音すずねの和定食だ。

「兎実ちゃん忙しいから代わったの。さっさと食べちゃってくれる?」

 流の前に朝食のプレートを置き、キッコは「片付かないじゃない」とプリプリしている。小さい声で「へいへい」と返事をしながら、流は朝食に手をつけた。その様子をキッコは流の向かいの席に座ってじっと見ている。

「……」

 ……食べづらい……

「ねぇ」

 流が何か言おうと口を開く前に、キッコのほうが先に口を開いた。

「燈弥くん、何か言ってた?」

 あぁ……それが聞きたくて代わったのか……

 流は、もぐもぐと口の中のウィンナーを飲み込んで口を開く。

「お礼言われただけだよ」

 ……そう言えば、あの『ごめんね』は何に対しての謝罪だったのだろうか。迷惑かけて『ごめんね』?でも、あの場に遭遇すれば誰だって燈弥を助けるだろう。

「良い兄ちゃんじゃん」

 流の言葉にキッコは首を横に振る。

 キッコのためにわざわざ寮まで足を運んでくれたり、気にかけてくれたりしている。だからといって、過剰にベタベタする様子もない。流としては、理想の兄のように思えるが、キッコには違うのだろうか。

「……違う。お兄ちゃんじゃない」

「え?」

「前にもちょっと言ったよね。燈弥くんは従兄いとこなの」

 ……そう言えば、そんな話を聞いたような聞いてないような……。あれは学院の食堂での話だったか……

「でも、本人兄って言ってたぞ?」

 昨日寮のメンバーの前で名乗っていたのは、「キッコの兄」だった。

「戸籍上はね。ホントは従兄なんだ。……燈弥くんは、きょうだいだって言い張るけど」

 そう言うキッコの表情は、ほんの少しだけ寂しそうにも見えた。

「燈弥くんのおウチは、一族と縁切ってたんだけどね……燈弥くんが小さい頃に、伯父さんと伯母さんがいなくなっちゃって……子どもがいなかったウチの親が引き取って養子にしたんだって」

 その後、両親の間にキッコが生まれ、鍵だということがわかり燈弥が守護者となったらしい。従兄妹いとこ同士で鍵と守護者。どこかで聞いたことのある関係だ。

「狐族も複雑なんだな」

 獣人の一族は、その存在の特殊さから歴史が複雑になりがちだ。獣人であることを隠して暮らしていくために、一族から離れることを選ぶ者も少なくない。流の母の実家は、そういう家だったという。燈弥の両親もそういう人たちだったのだろう。

「お。やっと起きたな」

 休日だというのに、ネクタイを締めた研太けんたが食堂に顔を出した。キッコは、何か言おうと口を開きかけたが、研太の姿を見て流の食べ終えたプレートを持って調理室へと去っていった。

「研兄どっか行くの?デート?」

 デートにスーツはないと思うが、一応聞いておく。

「ばぁか。仕事だよ。テスト前だからな。テスト問題作らにゃいかんのよ」

 そりゃ大変だ。「ふーん」と流が流しかけたところで、研太は手に持っていた茶封筒を流に差し出す。

「だから、それ村瀬むらせんチに持って行ってくんない?」

「は?由稀ゆきんチに?オレが?」

 流の言葉に研太はこくんと頷く。

「アイツ意外と秘密主義だから、家まで知ってるヤツ少ないんだよ。流は知ってるだろ?」

 研太は「だから行って♡」と笑顔で言う。

 いやいやいや……

「自分で行けよ」

「だから忙しいっ言ってんじゃん」

 その顔が「どうせ暇だろ?」言っているようでちょっと腹が立つ。

 まぁ、暇だけどな!!

「……アイス……」

「ん?」

「アイス。買ってくれるなら行く」

 暇ではあるが、タダで言われたとおりにするのは何だか癪だ。最近暑い日も続いているし、デザートのアイスをねだるくらい良いだろう。教師と生徒という関係によるやり取りではなく、昔なじみの兄貴分との取引扱いなので、贔屓とか特別扱いとかそういうのは別物だ。

 研太は一瞬面食らったように目を丸くするが、すぐにニヤリと笑みに変えて言う。

「りょーかいりょーかい。買ってやるから、頼む」

「……わかった。みんなの分な」

「げ……マジで?」

「もちろん」

「……わかった。買ってきてやるよ」

 研太は、仕方ないというふうに小さく息を吐いて、小さい子どもにするように流の頭をくしゃっと撫でる。

「……何かあったら、まず自分の……自分たちの身を守ることを考えろよ」

 神妙な顔をして流を真っ直ぐに見つめて研太は言う。それに頷いて茶封筒を受け取った流は、着替えのために自分の部屋へと戻った。

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