第14話
「お前、大丈夫か」
「え?」
ざわめく朝の教室に入り、机に着いたところで
「何が?」
「はぁ〜……」
流が首を傾げると由稀は大きな溜息を吐いた。
「いや……まぁ、大丈夫ならいいけど。ちゃんと寝てんのか?無理すんなよ?」
そう言うと由稀は流の頭を軽くポンポンと子どもにするように撫でる。
……無理……はしてない。
が、どうやら今日の流の状態は良くないらしい。寮で朝ご飯を食べているときには
でも、そんなにしんどくはない。
流は、ここ数日寝付きが悪い上に寝付いても眠りが浅い日が続いている。いつも布団に入って目を閉じたら次の瞬間には眠っているような流にとっては珍しいことだけれど、今のところ倒れるほどの状態ではないと思っている。
「でも、今日の一限はやめといたほうがいんじゃね?」
由稀が教室の前に張り出されている時間割を指して言う。
体育か……
確かに。
「先生には言っとくから、保健室行っとけ」
言われて流は大人しく頷いた。
教室を出てグラウンドに向かうクラスメイトたちと別れた流は、静かに廊下を進む。授業が始まった校内は静かで、ときどきどこかの教室の授業の声が響く。
……とは言え。保健室に行くのはな〜。
今の状態では、寮に強制送還される可能性がないとは言えない。そうなると、奈子にバレて芋づる式にちょっと
流は保健室とは反対の方向へと足を進めた。階段を登った先……最上階の一番端。そのドアを流はカラカラと静かに開ける。
「あら?サボり?」
ドアを開けると紙のにおいと共に明るい声が響いた。
「珍しいね」
片腕で本を数冊抱えて、本棚に本を戻しながら彼女は言った。
「ちょっとだけ寝かせてくれない?」
「あら?寝不足?それなら保健室のほうがいいんじゃない?」
「んー……保健室はちょっと……」
「そうなの?そこの机でよければどうぞ」
肩口で揃えられた髪を揺らして、この図書室の主であるひとみは軽く言う。流と同じようにここで仮眠する生徒も少なくないのかもしれない。流は小さく頷いて、言われた机に突っ伏して眠る体勢に入った。
遠くのほうでどこかの教室の授業の音がする。時折外から響いてくるのは、グラウンドで行われている流のクラスの授業の声だろうか。大きく開け放たれた窓から、初夏の風が吹き流の髪を揺らす。
気持ち良い……
ふわりとやってきた眠気に流は身を任せて目を閉じた。
闇の中でぼんやりと浮かぶ幻のような情景。
月の浮かぶ公園で、誰かが立っている。その立ち姿を流は知っている。艷やかな黒髪。星のような輝く黒曜石のような瞳。
大丈夫。まだ、そこに、流の近くに翼はいる。
コトンとわずかに揺れた振動と鼻をくすぐる香ばしい香りに、流は閉じていた目を開く。
「そろそろ時間よ」
穏やかなひとみの声に流は体を起こした。目の前にはコーヒーの注がれたカップとその横に小さな包み紙が置かれていた。
「それ食べて次の授業に行きなさない」
金色の包みを開くと茶色の小さな塊が出てくる。口に含むと甘い。
「チョコだ……」
「美味しいでしょ?とっておきよ」
小さくウインクを返してくるひとみは何だか子どものようで可愛らしい。
猫舌の流はカップを手にとり、ふーふーと息を吹きかけて冷ましながらコーヒーを飲む。
「あつっ……」
美味しい……
苦い。けれど、先に口に入れたチョコレートが甘かったおかげで口の中ではいい感じに味が整っている。
「君もそろそろ起きないと」
ひとみは流の後ろの机にも声をかけてコーヒーの入ったカップとチョコレートを置く。
カップのふちからふーふーと息を吹きかけながら流が振り返ると、太陽の光を反射して艷やかな黒髪が輝いた。
「げ……」
置かれたカップに手を伸ばして口をつけているのは、見慣れたイケメンだった。
「何でお前がいるんだよ……」
「たまたまだ」
しれっとした表情で見慣れたイケメン……翼もコーヒーを飲む。
「あら、二人は知り合い?学年違うわよね?」
制服につけている校章に入っているラインの色の違いを見てひとみは言う。
「……同じ寮……です」
翼とは学内では他人で通っている。絞り出すように言う流にひとみは軽く「そう」と返した。聞いてはみたものの、あまり興味はないのかもしれない。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
コーヒーを飲み干したらしい翼は、カップをひとみに返して小さく微笑む。
「おそまつさまでした。がんばっておいで」
カップを受け取ったひとみは、翼の頭をくしゃっと撫でて笑う。
……?
その笑顔を流はどこかで見たことがあるような気がした。
「君は?時間大丈夫?」
言われて時計を見た瞬間に、チャイムが鳴り始める。
「大丈夫じゃない!……ごちそうさまでした!」
「はいはい。いってらっしゃい」
慌ててコーヒーを飲み干すとカップをひとみに返して流は図書室をあとにした。
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