第11話

 由稀ゆきと並んで校門を出ると、十分ほど坂を下ったところにあるバス停からバスに乗る。そこから二十分ほどで、目的の繁華街に着いた。

「で。どこ行くんだ?」

「んー……とりあえず本屋かな」

 学院を降りてすぐのところにも書店はあるが、大型書店は繁華街まで来ないとない。気になる参考書があると由稀は言う。

「おぉ。さすが優等生」

「ざけんな。お前のほうが本好きじゃねーか」

 確かに。読書量は、由稀よりもながれのほうが多いかもしれない。

 流は本屋に来るとワクワクする。並んでいる本の一冊一冊に自分が知らないことや見たことのない世界や物語が広がっていると思うと堪らない。そういう意味では、図書館に通うのも好きだったりする。

 適当な書棚の前で立ち止まると、目についた本を手に取り中をパラパラとめくってみる。なるほどなるほど。なかなかどうして面白そうな内容の本ではある……が、裏表紙に書かれている値段を見て流はその本をそっと書棚に戻した。健全な高校生である流には、ひと月に本にかけることのできる金額には限界がある。

 ……月末に余裕があればぜひ買いたい。

 その後は、参考書を見るという由稀についていったり、CDショップに気になるアーティストの新譜を見に行ったり、小腹を満たすためにファストフード店にいって約束の通り由稀にハンバーガーをおごったり……。

「お。もうこんな時間か」

 最近連載がスタートしたマンガの話で盛り上がっていたところで、由稀が言う。

「ん?」

 言われて店内の柱にかけられた時計に目をやる。時計の針は六時半を回っていた。

「やべ……」

 寮の夕飯は、おおむね七時からと決まっている。そこに遅れると、奈子なこからの罰ゲームが待っている。そのことを知っている由稀も苦笑を浮かべながらトレイを持って立ち上がる。

「じゃ、そろそろ帰るか」

「おう」

 流も自分のトレイを持つと、由稀に続く。店の外に目をやると、夜の闇が少しずつ降りてきているようだった。最近は日が長くなってきたとは言え、この時間になるとさすがに暗くなってくる。

 早く帰らないと……

 夜の闇は得意じゃない。……正確に言うならば、街の夜の闇が苦手だ。明るさと喧騒けんそうの奥にある闇の中には、何かある、何かいる。そう感じてしまう。

「送るか?」

「女子かよ」

 由稀の軽口に、流も軽口を返す。

 大丈夫。学院までのバスは本数が多いし、バスに乗りさえすればすぐに着く。バス停までもここからそんなに遠くない。

「じゃ、気をつけて」

「由稀もな」

 店を出たところで流は手を振って由稀と別れる。由稀の家は、繁華街から少し行った先の住宅街にあるマンションだ。街の雑踏に消える由稀の背を見送って、流もバス停へと向かう。

 近道をしようと、人通りの少ない路地に入ったときだった。

 !!

 ゾクッ!と全身を稲妻が走ったかのように鳥肌が立つ。新芽が芽吹く匂いを含んだ生暖かい風が吹く。その風に乗ってやってきたわずかな臭いに、流は全身の毛が逆立つような感じがした。

 血の……臭い!!

 流は半ば反射的に臭いのする方とは反対の方向に走り出す。

 ダメだ……ここにいてはダメだ。早く……逃げなきゃ……!

 走ってバス停に着くとちょうど乗りたかったバスが着いたところで、流は息を弾ませながら乗り込む。流が空いている席に座るとすぐにドアが締まり、バスは発進した。

 そうして、次のバス停を通り過ぎたところで、流はやっと大きく息を吐いた。

「何……だよ……」

 溢れた声は思っていた以上に弱々しい。目線を下げると、少し震えた指先が見えてきゅっと手を握りしめる。

 何だったんだろう……

 『何』かはわからないけれど、すごく嫌な気配だった。ほんの一瞬。本当に一瞬の気配だったので、きっと流の他に気付いた者はいなかっただろう。誰に向けられていたのかわからない禍々しいほどの敵意は、殺意と言っても過言ではない。そのあとに届いた臭いは、酷いものだった。

 あんなの、人間じゃない……

 あれはきっと、獣人だ。

 鍵狩り……

 まさか、もうその存在がこんなにも近くにいると言うのだろうか?そんな……

 ぐるぐると頭の中で考えているうちに、学院の下にあるバス停に差し掛かった。流は慌てて降車ボタンを押して、バスを降りる。バスが闇の先に消えていくのを見送って、流は寮に向かって坂を登り始めた。

 薄暗い闇の中で灯りと言えるのは、ポツポツと立っている街灯だけだ。それも十メートルおきくらいなので、一つ先の灯りまでは少しある。その灯りも、学院の正門を過ぎるとグッと数が減ってしまう。正門の先に行くのは、真珠寮の寮生がほとんどなので夜目が効くとは言え物騒だ。

 今度研兄に言っておこう

 学院のある丘の上から見下ろすと、こんもりした木々の向こうに街の明かりが見える。東の空には、満月が昇っている。

 白昼夢でみたのも満月だった。大きな満月を背にした獣人は、これまでに出会ったことのない種だった。夢の中で翼を襲った獣人もそうだ。

 流は小さく首を振って脳裏に浮かぶ嫌なイメージを飛ばそうとする。

「……大丈夫」

「何が大丈夫なんだ?」

 後ろから突然声をかけられ、流は驚いて振り返った。

 闇に溶けるような黒髪と黒曜石を思わせる黒い瞳。一見すると不機嫌そうにも見える表情だが、流に向けられる表情としてはデフォルトだ。

「何が大丈夫なんだ?」

「なんでもない……」

 繰り返される問いに、流は振り返って首を振る。たすくは流を真っ直ぐに見つめる。何か言いたそうに一度口を開きかけるが、小さく息を吐いてやめた。

「ちなみに、門限は大丈夫じゃないぞ」

 そういうと翼は流を置いて、寮に向かって歩き始めた。

「うぇっ!?」

 言われてスマホを見ると、七時を少し回ったところだった。

 マジか……このままじゃ罰ゲーム決定じゃん。

 気を取り直して流は寮に向かって走り始める。少し先に翼の後ろ姿が見える。まずは翼を追い抜かすことにして、流は走るスピードを上げた。

 ……と、突然。翼も流れと同じくらいのスピードで走り始めた。

 あんにゃろ……

 明らかに走る流の気配を感じたのであろう翼に、流の中の競争心が煽られる。さらに流がスピードを上げると翼も同じくらいスピードを上げるので二人の間の距離はなかなか縮まらない。激しいデットヒートを繰り返しているうちに寮門が見え、流のすぐ目の前で翼が先に玄関を開けた。

「「ただいま!」」

 帰宅を告げる声はほぼ同時だった。

「おかえりー」

 返事を返してくれたのは、ちょうど食堂に向かうところなのだろう階段から降りてきた総士そうしだった。

「なんで二人してそんな汗だくなの?」

 少し驚いたような顔をする総士に、流と翼はちょっとバツの悪い顔をする。

「流が急に走って煽ってきたから……」

「オレは夕飯に遅れそうだったから走っただけだよ。お前が勝手に煽られただけだろ」

「いや、流が悪い」

「は?なんでだよ!」

 思わず声を荒らげそうになる流を、総士はニコニコ笑いながら「まあまあ」と宥める。

「どっちでも良いけど、早く行かないと夕飯なくなっちゃうよ?」

 食べざかりの青少年たちの暮らす寮だ。奈子が十分な量のおかずを用意してくれているとは言え、人気のおかずがなくなるのは早い。ちなみに今日のメニューはトンカツだ。

 流と翼は顔を見合わせると、慌てて荷物を置きに自室へと駆け上がった。

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