第10話
暗闇の少し先に
「翼!何やって……」
流の声に翼が振り返ろうとした瞬間。
ザシュッッ!!
闇の中から現れた獣の鋭い爪が、翼の胸を切り裂く。
「翼!!」
飛び散る鮮血。闇の中でもその赤さがわかった。
振り返る翼が、流に向かって腕を伸ばす。けれど、その手は流には届かない。流も翼に手を伸ばそうとするけれど、体が石のように固まって動かない。
翼!!
喉が張り付いて声が出ない。体が、闇の中にズブズブと沈んでいく。
翼!!
再び闇から現れた尖った牙が、翼の喉を掻き切った。
翼!!
流の声は、翼には届かない。
パチパチと瞬きをすると、見慣れた教室の風景が広がっていた。黒板の前で説明をする教師、板書を写すクラスメイトたち。午後の最後の授業のせいか、ウトウトしている姿も見える。
……夢?
流はもう一度ゆっくりと瞬きをする。
……夢か。
じっとりと汗の滲んだ手をグーパーグーパと握り、冷えた指先の感覚を取り戻す。細く、長く息を吐くと、自分の心臓が激しく鼓動しているのを感じた。
小さく頭を振ると気を取り直して、黒板に書かれた文字をノートに写す作業へとかかる。
夢?そう夢だ。少し前にみた白昼夢と同じ、夢だ。今朝だって翼はオレと一緒に寮から登校した。今も同じように教室で授業を受けているはずだ。そう……あれは夢だ。
そう念じるように思いながら黒板を写す作業を続けるが、内容は全く頭に入ってこない。
夢かもしれない。夢だけれど……
最初の白昼夢に出てきた獣人は、扉の出現を予言していた。それならば、今回の夢だってどうしてただの夢だと言えるだろうか。
……現実にならないようにすればいい。
具体的にどうすればいいかはわからない。けれど、守護者である自分なら、翼を守ることができるかもしれない。
夢では闇の中に体が沈んでしまって動けなくなったけど、現実で地面に体が沈んでしまうことはない。そうだ。大丈夫だ。
大丈夫、大丈夫……自分にそう言い聞かせている間に、どうやら授業が終わったようだった。
「またひどい顔してるな」
振り返った
「そうか?」
「おう。顔色真っ白だぞ。今の授業そんなに難しかったか?」
言いながら由稀は、額に貼り付いた流の前髪をそっと避けた。普段少し隠れている目元が顕になると、目に入ってくる光が眩しい。流は反射的に目を眇める。
「まぁ……わかんないとこあったなら、テスト前にでも教えてやるよ」
そういう由稀はこう見えて成績上位者だ。寮のシステムなどで個性的なところのある学院ではあるが、毎年国内最高峰と呼ばれる大学に進学する生徒が何人かいる程度に青海学院は進学校だ。その中で上位の成績を収めている由稀は、優秀な生徒と言っていいだろう。
「うん。頼む」
流自身の成績は中の上くらい。由稀の有り難い申し出は素直に受けておくことにする。
「で。今日の流くんのご予定は?今日こそ付き合ってもらいたいんだけど?」
唇を尖らせ少し拗ねたような顔をする由稀はちょっと珍しい。「最近構ってくれないから由稀くん寂しい」なんて言いながら泣き真似をしてみせる。
「悪かったとは思ってるよ」
流は苦笑をしながら返す。
「今日は大丈夫だから」
ついでに「何かおごってやるよ」と言うと、パッと顔をあげてニコニコしながら流の腕を引く。
「じゃあすぐ行こう。今行こう」
グイグイと由稀に腕を引かれながら、二人で昇降口に向かう。靴に履き替え、校門を出る前に流は手早く翼にメッセージを送っておく。先日実家で話を聞いた帰り道。これからのことを二人で話し合った。……まぁ、話し合いと言ってもほぼほぼ流の考えを翼は聞いていただけだけれど……。
鍵と守護者は二人でいても一人でいても狙われやすいという。でも、二人でいるほうが対処はしやすい。とは言え、学校や友達との付き合いもあるため、常に二人でいることは難しい。そこで、いくつかルールを決めた。
その一、なるべく一人きりにはならない
その二、学外に出るときは相手に連絡をする
その三、相手と連絡がつかなくなった場合は速やかに誰かに相談する
もし鍵狩りが出たとしても、一人きりでなければ襲われにくいだろうし、相手がどこにいるのかを把握していれば、何かあったときにも駆けつけることができるかもしれない。どうしようもなくなったら、誰かを頼ることも絶対だ。二人だけでどうにかしようとする必要は、きっとない。
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