第9話

 寮とは違った、賑やかな食事を済ませると、デザートのアイスクリームを食べながら他愛ない話をし、順々にお風呂に入る。ホカホカになって今にも眠りそうなのに、まだ寝たくない、もっとみんなと遊ぶんだ!と駄々をこねるしずくを宥めてとおるが共に寝室に向かったのをきっかけに他の者も自分の部屋へと戻る。しばらく使っていなかった部屋だけれど、竜が定期的に掃除をしてくれていたのだろう。埃っぽさもなく、ながれが使っていた当時のままだ。

 ベッドに腰を下ろすと、大きく息を吐いてそのままポスッと倒れ込む。スンッと鼻から息を吸い込むと、布団からは太陽の匂いがする。これもきっと竜が今日の帰省に合わせて干してくれたのだろう。家事に関しては戦力外通告をされているいずみに代わって、家のことを一手に引き受けてくれているのが竜だ。さらに竜は、一族のおさとしての仕事もしている。

 神社の管理をして一族を実質的に率いているのは父だが、狼族は代々女性が長を務める習わしとなっている。竜の前の長は、竜と翼の母…泉の妹だった。しかし、彼女は夫と街に買い物に出かけたときに不慮の事故で亡くなってしまっている。当時その跡を継ぐべき竜は、まだ幼くて長としての仕事をすることができなかった。竜が長として務めを果たすことのできる年齢になるまで、その代役を務めていたのが流たちの母だ。その間、狼族の隠れ里から出ることのなかった母は、その役割を降りた途端に流浪の写真家へと戻っていった。そして、出ていったっきり戻ってきていない。今から六年ほど前の話だ。それからは、竜が雫の母親代わりとなっている。

 かつて父に母のことをどう思っているのかと聞いたことがあった。父は笑って「もちろん愛してるよ」と答えた。家族を置いて家を出ていったのに?自分たちを……捨てたのに?思わずそう言葉を漏らした流に、父はさらに言葉を続けた。

『一族の都合で長い間縛り付けちゃったからね。彼女……六花りっかさんには旅がよく似合う。それに、僕は捨てられたなんて思ってないし、六花さんも君たちを捨てたつもりはないんじゃないかな?あの子の帰ってくるところはここだよ』

 優しく頭を撫でられながらそう言われると、流には返す言葉がなくなる。ただ、父と母の間には、自分たちにはわからない何かがあるのだけはわかった。

「ふぅー……」

 大きく息を吐いて流は目を閉じた。

 覚悟をして帰ってきたとはいえ、実際に話を聞くと事の重大さを改めて感じる。世界を変えてしまう可能性のある「扉」の存在もそうだけれど、その扉を開けるための「鍵」がいること。その「鍵」が翼で、「鍵狩り」によって命を奪われる可能性すらあること。そして、流自身が「鍵狩り」から翼を守るための守護者であること。

 頭ん中ぐるぐるする……

 今までどこか遠くのことのように感じていたことが、現実となって流に襲いかかる。

 怖くない、と言った嘘になる。怖い。怖くないはずがない。こちらがいくら「鍵」としての役割を放棄したとしても、他の一族から襲われることがあるなんて……。

 理不尽だ。

 流はベッドから起き上がると、そっと足音を立てないようにして部屋を抜け出した。薄暗い廊下を通り、カラカラと乾いた音がする玄関を静かに開けて外に出る。

 夜空に浮かぶ月は、流が普段見ているものよりも輪郭をくっきりとさせていた。

 これなら見えるな……

 子どもの頃から庭のように駆け回っていた神社の裏山は、遊び場であると同時に鍛錬の場でもあった。裏山のことは、隅から隅まで知っている。

 幸いなことに「鍵」を見分ける方法は、体のどこかに宿した一族を示す紋様だけだ。それさえ人前で見せなければ、滅多なことでは襲われないだろう。

 ひとまず、人前で着替えるのやめさせよう……

 流の言うことを翼が簡単に聞き入れるとは思えないけれど、こればっかりは言うことを聞いてもらおう。そんなふうに考えながら、流は軽く準備運動をする。少し体が温まってきたところで、流は山へ向かって暗闇の中を駆け出した。

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