第4話

「ふわぁ〜」

 ながれは大きく欠伸をしながら、ぐ〜っと体を伸ばす。

「犬みたいだなぁ」

「うるせー、犬じゃねぇ」

 呆れたように言う由稀ゆきに流は少し間延びした口調で返す。

「最近ずっと眠そうだよな」

「う〜ん……そうだな……」

 確かに、白昼夢を見て以来、夜も眠りが浅い日が続いている。寝付きも悪いが、寝付いたと思ったら、悪夢で飛び起きるという日も少なくない。だからと言って昼間の授業中にその分を取り返すこともできず、欠伸を噛み殺して授業を受けている。前の席に座る由稀は、流のそんな様子に気づいているのだろう。

「無理すんなよ?」

「ん。さんきゅ」

 流と由稀は並んで廊下を歩いて昇降口に向かう。

 青海学院おうみがくいんは、個人の特性により生活する寮は分かれているが、授業のクラスは五つの寮生と通学生が混在している。流のクラスも例外ではなく、およそ八割の生徒が五つの寮のどこかに所属しており、残りの二割が自宅からの通学生だ。クラスの通学生の代表とも言えるのが、この男。村瀬由稀むらせゆきだった。

「今日はどっか寄って帰るのか?」

「お!付き合う気になった?」

 流の問いに由稀はにこにこと笑顔を浮かべ、腕を流の肩に回してくる。

「そうだなぁ……」

 久しぶりに街に降りてみるのもいいかもしれない。

 流が「うん」と返事をしようとしたところで声がかけられた。

大上おおがみ〜」

 振り返るとクラス担任がちょいちょいと手を動かしてこっちに来いと言う仕草をしていた。

 ……何だ?

 そのちょっと渋い表情に一抹いちまつの不安を覚えつつ、流は肩に回った由稀の腕を解いて、担任の元に向かう。由稀もそのあとをひょこひょことついてきた。

「お前、たいらが近々こっちくるって話聞いてる?」

「は?」

 明るい栗色の髪とくるりとした黒目がちな瞳のせいで童顔に見られるが、流たちの担任である彼……和久井研太わくいけんたは今年で二十五になるはずだ。なぜ担任の年齢まで知っているのか?と言われると……

「……たいらって誰?」

 流の後をついてきていた由稀が二人に問う。

「……兄貴だよ」

「で、オレとはダチなの」

 研太はにっと笑って答える。唇の端から見える犬歯が可愛いと女生徒たちには人気だ。今も遠くのほうできゃぁーという声が聞こえる。

 そう研太と流の兄・たいらは同級生なのだ。二人はかつて、共にこの青海学院に通っていた。というか、何なら研太と流たちは遠い親戚でもある。子どもの頃は、翼も一緒によく遊んでもらっていたものだ。つまりは、研太も獣人だ。犬族は狼族とは遠いけれど親戚関係にある。ついでに言えば、研太は寮監りょうかんとして真珠寮しんじゅりょうで流たちと生活を共にしている。

「何で研兄けんにいのところに連絡きてんの?」

「和久井先生と呼べ。お前たちが無視するから、オレのとこに連絡くるんだよ」

 お前たち…という中には、翼も含まれている。

「……だって、水とメールすると長いんだもん」

「『もん』じゃねぇよ。ちゃんと連絡マメにしないから、長くなるんだろ?電話やメールが面倒なら、ハガキの一枚でも送っとけばあいつだって満足するんじゃねぇか?」

 思わず小さい子どものように口を尖らせた流の頭を、研太は髪の毛をくしゃくしゃにしながら撫でる。

「ともかく。オレは伝えたからな!あとは自分たちでどうにかしろよ?」

 どうにかしろよと言われても……

 去っていく研太の背を見送りながら、流は思わず溜息が漏れた。

「はぁ〜〜」

 気が重い……。

「何?お前の兄ちゃんそんなにめんどくさいの?」

「めんどくさいっていうか……」

 流と八つ歳の離れた兄・たいらについて一言で表現するとするなら「元気」だ。加えて性格を尋ねられると「明るい」と言うことになるだろう。少し歳の差のある兄弟ではあるが、可愛がってもらっている自覚はある。……あるが、その愛が少し重く感じることもあるのだ。

 流は由稀と並んで話しながら昇降口に向かい、上履きを履き替えると校門へと向かう。

「あと、目立つんだよなぁ……」

 そこにいるだけで目を惹くタイプの人間が世の中にはいる。例えばたすくもその類だろう。けれど、水のそれは少し違う。立っているだけで、その場が明るくなるような、自然と人が集まってくるようなそんな人なのだ。

「目立つ……あんな感じ?」

 由稀の指差す方には、何やら人だかりができているようだった。

「そうそう……あんな感じですぐ人が集まってくるん……」

 その人山ひとやまの奥にチラリと見えた銀髪に、流は見覚えがあった。サラリと揺れる癖のない髪質は、流のものとよく似ている。風に乗ってふわりと感じたにおいも流は知っている。

「げ……」

 もういるじゃん……

 思わず肩を落としてしまった流を責められる者はいないはずだ。

「あ!やっと出てきた♪」

 どこか歌うような声音を前に聞いたのは、年末年始の帰省のときだっただろうか。

「ごめんねーちょっと通してくれる?」

 その言葉に人だかりがサッと割れる。その様は、まるでモーセの海割のようだった。人並みをかき分けて人だかりの中心にいた男……たいらがニコニコと笑いながら流の前に立つ。

「遅かったじゃーん。兄ちゃんだいぶ待ったよ〜」

 兄ちゃんなんて、流は一度も呼んだことがない。

「近々って話じゃなかったのか?」

 思わず溜息混じりで言う流の言葉は、水にとっては柳に風なのかもしれない。

「あ。けんから聞いてた?でも、研に連絡したの一週間くらい前だけど……」

 ……あんにゃろ。

 大方水から連絡がきていたことを昨日か今日か思い出して、慌てて流に教えに来たのがさっきなのだろう。基本的にはしっかり者の良い兄貴分だけれど、研太はたまにそういうところがある。

 内心大きな溜息を吐きながら、流は由稀へと向き直る。

「悪い。今日も無理っぽい」

「だな」

 由稀は肩を竦めると「またな」と手を振って校門を出て、街の方へと向かっていく。流は「おう」と返事を返すと目の前に立つ兄に目を向けた。

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