第3話

「なんでついてくるんだよ……」

 部屋を出て階段を降りるながれの後をたすくはパタパタと足音を立てながらついてくる。

「……何となく?」

 何となくって……

 小首を傾げる仕草は、きっと学内での翼からは想像もできないだろう。子どもの頃は、自分の後をついてまわる翼が可愛くて、幼心に守ってやらなきゃ!と兄心を発揮していたけれど今ではもう……。正直、自分の身長よりも成長していまった翼を素直に可愛いとは思えない。

 ……部類で言ったらイケメンだしな……

 贔屓目ひいきめを引いて見ても、翼は紛うことなくイケメンだろう。身長の件も含めて、ちかしい遺伝子を持っているはずなのに流とはだいぶ違う。

 何度目かの溜息を吐いて、流は調理室へと入った。

「なっくん、おそーい!!」

 お玉を振り上げてプンプンと頬を膨らませているのは、ここ真珠寮しんじゅりょうの寮母である山根やまね奈子なこだ。奈子の頭の上には、怒りで黒い猫耳がぴょこんと飛び出している。

「ゴメンナサイ……」

 奈子が怒るのは無理もない。時計の針は約束の時間をとうに過ぎていた。食事当番はメインで調理をする奈子の手伝いが主な仕事だ。寮に在籍する生徒が少なくなったとは言え、食べざかりの生徒たちの腹を満たすために作る食事の量はそれなりに多い。奈子一人で作るには、手が足りないのだ。

「奈子さんごめんね。オレが流を引き止めてたんだ。手伝うから許して?」

 謝るくらいなら最初からするなよ

 と喉元まで出かかった言葉を流はゴクンと飲み込む。料理をするのは決して苦手ではないが、調理の手は多いほうがいい。

 翼の言葉に、それならと怒りと猫耳を収めた奈子は気を取り直して二人に指示を飛ばす。

「じゃあ、なっくんはお味噌汁とハンバーグ担当ね。たっくんは圭斗けいとの宿題見ててくれる?」

 ……そっちか!

 手が増えて自分の負担が軽くなると思っていた流は、まさかの方向に舵を切られて少々残念な気分になるが、気を取り直して仕事に取り掛かる。鍋に水を入れその中に出汁パックを放り込んでコンロにかける。大きめのフライパンを取り出すと、こちらは火にかけて油を薄くひく。

 翼は調理室と食堂の間にあるカウンターで宿題をしている圭斗の側に椅子を持っていき手元を覗き込んでいる。機嫌が良いのか、出しっぱなしの尻尾と耳がぴょこぴょこと揺れている。

「いいなぁ……ぼくも早く獣人型になれるようになりたいな」

 圭斗が翼の耳と尻尾を見ながら口を尖らせて言う。

「どうして?」

 圭斗の宿題に赤鉛筆で丸付けをしながら翼が聞き返した。

「だって、獣人型になれたら母さんを守れるでしょ?」

「今だって充分守ってくれてるわよ」

 圭斗の言葉に料理をしていた奈子が微笑みながら返す。

「でも、獣人型は人型より強いし、獣型より賢いから最強だよ!」

 カウンターから少し身を乗り出すようにして、声を上げる圭斗の頭を優しく撫でて翼も笑む。

「そうだな。でも、この宿題を終わらせると圭斗はもっと賢くなると思うぞ?」

「……そう?」

「そう」

「賢くなったら母さんを守れる?」

「そうだな。力だけじゃどうしようもないときは、やっぱり知恵が必要だから」

 翼の言葉に、圭斗はノートへと視線を移して眉を潜めてむむむっと考え込む。その姿を見て、奈子はクスクスと笑う。

「たっくんは圭斗を手懐けるのが上手ね」

「そうだね」

 ヨッと小さく声を上げながらハンバーグをひっくり返して流は言う。家では末っ子気質だけれど、外ではしっかり者で通っているのが翼だ。家の教えの中には、自分よりも年少の者は守護の対象であるというものもあるからだろうか。自分が家でやってもらっていたことを、圭斗にしているような気もする。

 ……守る……か。

 そう言えば、と流は奈子に尋ねる。

「猫科の獣人族って、山猫族の他にいるっけ?」

 脳裏には学校でみた白昼夢がよぎる。

 月を背にした獣人の尻尾は、流たち犬科の獣とは違う猫科のそれだった。

「猫科の獣人族?そうねぇ……日本で確認されてるのは、山猫族ウチ虎族とらぞくだったけど虎族は絶滅したって言うからねぇ……」

 そう。そうなのだ。山猫族以外の猫科の獣人族が、虎族のみとされているのは流も知っている。そして、虎族が二十年ほど前を境にその存在を確認できなくなっていることも知っている。けれど……

 今日の夢のヤツ、虎族っぽかったんだよなぁ……

 同じ猫科の獣人でも、山猫族の牙はあんなに太く鋭くない。尻尾の特徴も、山猫族というよりは虎族のほうが近いだろう。太くて、縞模様の入った尻尾。犬科である狼族の尻尾はあんなにくねくねと動かすことはできない。

「あとは、獅子族ししぞくかな?こっちでみたことはないけど、海外にはいるらしいわよ」

「獅子族……」

 獅子……つまりライオンだ。けれど、あの尻尾は獅子族ではないと思う。

「何かあったの?」

 問われて流は首を振る。

「いや……夢だから……」

「夢?」

「うん」

 そう、あれは夢なのだ。恐ろしくリアルで、現実のように感じてしまったけれど、あれは夢だ。

『……君は、大切なモノを守ることができるかな?』

 目を閉じて一度大きく息を吐く。深く深呼吸をすると、流は料理に集中するために視線を手元へと移した。

 できるかどうかじゃない。守るんだ。守ってみせる。そう決めているんだから。

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