モップは隅まで、きっちりと

「結論から言うと」

 翌日の夜、閉館間際の教会図書館。

 来る人の少ない生物学の棚の前で、私は奇人に話しかけた。

「犯人は、夕霧姫の近衛隊長だ」

「……本当に一日で調べてきてくださったんですか」

「あ?」

 穂積は、苦笑いで首を横に振った。

「いいえ。事件の日からずっと男子寮の二段ベッドで寝ている警察の皆さんが、ちょっと可哀想になっただけですよ。しかしそうですか、ヘイズ大隊長ですか」

 『微生物大全』という100年以上前の本を手にした彼は、『こどもたんけんしりーず きょうりゅうとあそぼう』の上にそれを重ねた。

 大隊長とは近衛達のいわばまとめ役。夕霧姫の近衛隊長であると同時に、穂積にとっては直属の上司に当たる。

「驚かないんだな」

「ええ、特には」

「なるほど。それほどまでに評判のよろしくないお方、ということか」

 穂積は眉をひそめた。

「元々貴族の出なのですが、あまり素行がいい方ではなかったそうです。窃盗や暴行、様々な犯罪を繰り返し、教会へは本家から追い出す形で入れられたと聞いています。しかし何かしら称号をやらねば家名に傷がつくと考えた父親が教会を買収して近衛の位を与え、後は年功序列で大隊長に昇格。こんな所ですね」

「ふむ」

 たった3年で門兵から成り上がってきた穂積とは、まるで雲泥の差だ。

「でも、一応これで夕霧姫の身の安全は保証されましたね」

「そうだな」

 メイドや小間使いも含め付き人は全員、聖姫が預言者になってからも繰り上がりで仕えることになっている。

 奴がこのような行為に及ぶとすれば考えられる動機はひとつ。預言者の近衛隊長となることだろう。

 代わりに上がったのは、暁姫と、そして真夜姫様に危害が及ぶ可能性だ。

 自分の出世の邪魔になる存在に対して、傷害事件を起こした過去のある男はどう考えるだろう。

 部屋に罠でも仕掛けて近衛やメイド達の信頼を失墜させる、くらいならばまだいい。

 もし、姫様ご本人がいなくなれば、などと画策していたら。


「夕霧姫以外の小間使いには以上のことを伝えてある。後は少々揺さぶれば、相手も動き出すだろう。目標は次の凶日だ」

 穂積は私に向かってふっと笑った。

「本当に頼りになる人だ」

 5冊ほどの本を抱えながら、彼は出窓に這い上る。

 司書もそわそわし始めるこの時間に、また読書を始めるらしい。

「……ひとつ聞いてもいいか、穂積」

「はい?」

 思えばこれは、初めてまともに話しかけたつい先日と同じ構図だ。

「どうしてここへ来た?」

「どうしてと言われましても。読書、好きなんですよ。読むのも割と速い方ですしね」

「違う。お前みたいな人間が、なぜわざわざ教会に入ったんだ?」

 誰一人として気付かなかった事件の本質を見事言い当てた上、自分で言うのも何だが小間使いを手のひらで操っている。

 15歳という年齢を鑑みると、有能、などという一言で収めていいのかすら迷うほどの実力者だ。

 薄い児童書を左手側に置きなおして、穂積は宙を仰いだ。

「なんです、面接みたいな質問ですね。隊長になる時も同じこと聞かれましたよ、礼拝堂長様に」

 『微生物大全』に目を落とす。

「色々とありましたから。真夜姫様が聖姫様になると聞いて、お守りするのが私の役目だと思ったんですよ」

 その分厚い本を左側へ。

 ぺらぺらめくっているようにしか見えない。本当に頭に入っているのだろうか。

「しかし、お前が本気を出せば穂積の家を乗っ取ることだってできるんじゃないか?次代当主も夢じゃ」

 聖姫様方の周辺の秘密について散々話してもまるで声をひそめようとしなかった彼が、人差し指を唇に当てた。

「じゃあ本音を言います」

 後光だとか保養だとか言われる白髪は、ここへ来て初めて、年相応に悪戯っぽく笑った。

「あのクソみてぇな家が死ぬほど嫌いだから、ですよ」

「なっ……」

「納得して頂けました?」

 頂けるも何も、そう言われては頷く他ない。

 丁度、図書館の閉館を知らせるアナウンスが響いた。

「おっと、今日はこれで終わりみたいですね」

 5冊目の本をぱたんと閉じた彼は、本を抱えたまま軽やかに出窓から飛び降りた。

「私はこれを戻してから行きます。朔夜さんはどうぞお先に」

 このまま相手の思い通りに動くのが悔しくて、私はひとつ咳払いをした。

「……分かった。詳しくは明日また知らせる」

「ええ。お疲れさまでした」

 すっかり元に戻ってしまった老人の笑顔に見送られて、私は寮へと歩いた。



*  *

「えっ?!」

 数日後の朝。化粧台の前で、真夜姫様は突然声を上げた。

「休み?!今日一日ってこと?!」

「そうは言っておりません、姫様」

 メイド長の百夜の目元には、うっすらと隈が浮いている。

 ただのメイドでさえ例の脅迫状のせいで右往左往しているのだ、メイド長ともなればどれほど心労が溜まるか。

 姫様ぁ、ちょっと失礼しますねぇ、と言いながら、私は真夜姫様の髪を櫛で撫でる。

「礼拝堂でのお祈りとご会食以外のご予定が全てキャンセルになるのです」

「それって、ひょっとして例の脅迫状で?」

 百夜はこっくりと頷く。

「はい。本日は凶日でございますので特に危険であるとの、預言者様のご判断です。お部屋内には朔夜が、外には穂積がつきますので、どうぞお勉強を」

 小間使いと近衛隊長。これが最強の布陣であることを知っているのはメイド長だけだ。

 ちらりと見ると鏡越しにも、姫様の目が輝いているのが分かった。

「姫様ぁ、お勉強頑張りましょうねぇ」

 櫛を置いて微笑みかけると、彼女はおもちゃを前にした子犬のように何度も首を振った。



*  *

 こうなるだろうと思ってはいたが、姫様の自学自習が続いたのはほんの2時間だけだった。

 後は満夜が隠しておいた――というか、最近は姫様のために置いておくのだが――インスタントティーとお菓子で二人きりのお茶会。

 熱心にアイドルの話をする姫様を見て、ああ、やはりこのお方にこの場所は似合わない、と感じた。


 事態が急変したのは、もうすぐ日も暮れようかという頃だった。

 姫様がご実家の近所のケーキ屋の話をし始めた時、突然2発の銃声が轟いた。

 撃ったのはおそらく穂積だ。

「ひっ?!」

 震える姫様に覆いかぶさって庇いながら、私は叫ぶ。

「穂積!どうした!」

「12時の方向、敵5、内2クリア!他に仲間がいる可能性があります、姫様、ご法を!」

「うっ、うん!」

 姫様が地面に手をやると、私達を覆い隠す薄青色のガラス状のドームが現れた。

 初めて見た。これが姫様の法、結界なのか。

 なおも震える真夜姫様の手を取って、私は努めて微笑んだ。

「大丈夫ですよぉ、姫様。すぐ、すぐ終わりますからねぇ」

 安心させようとする私を裏切って、扉の向こうの穂積が低い声を上げる。

「姫様、お許しをください!」

「れ、黎くん……?」

「暁姫様のお部屋の近衛とメイドが不在のようです!私に、お助けするためこの場を離れる許可を!」

 ただでさえ青かった姫様の顔が、死人のように色を失う。

「姫様……」

 私は、震える彼女を抱きしめた。

 彼女は、ごく普通の家庭で育ってきたごく普通の少女だ。私とは違う。

 ここで嫌だやめろと泣き叫ぼうと、誰も咎めはしないだろう。

 しかし。

 私の腕の中で数回深呼吸をした後、真夜姫様は立ち上がりながら、着ていた襲を床に落とした。

 美しい姫の鎧が脱ぎ捨てられ、一人の少女が現れる。

「――いいえ、穂積近衛兵。許可しません」

「姫様……?」

 扉に近付く、彼女のやろうとしていることに勘付いて、私は慌てて止めに入った。

「姫様!いけません!」

「黙りなさい、朔夜!」

 先ほどとはまるで別人のような目で、私を睨みつける。

「穂積近衛兵。朔夜。命令です。私は友人達を迎えに行きます。護り抜いて見せなさい」

 全く読めない男だ、この一言に穂積は、なんと扉越しにこう返事をした。

「仰せのままに」

 ――やれやれ。楽な職場だと思っていたのに。

 私は、髪結いのカートに吊り下げてある、鉄製のモップを手に取った。


 小屋の前まで来ると、例の隠し扉が開いているのが分かった。

「うそ……」

 呟く姫様から一旦離れて、穂積が扉を閉める。

「これで新しい輩は入ってこられません」

 彼が囲いを超えて戻ってきた瞬間、暁姫の部屋からがたん、という大きな音がした。

「あっ、暁さん!」

「姫様はここでお待ちください」

「でも!」

 穂積はまた、老人のように笑った。

「ご安心を。すぐに暁姫様をお連れします。朔夜さん、お任せします」

「ああ」

 真夜姫様を柱の影に隠し、私は前に立つ。

 ナイフと銃も持ってはいるが、姫様になるべく血は見せたくない。このモップだけで何とかしたいところだ。

 穂積の銃とは高さの違う銃声の後、すぐに彼がシーツの塊を横抱きに現れた。

「暁さん!」

「大丈夫、眠っていらっしゃるだけです。真夜姫様、ご法を」

 すぐに結界が現れて、私達を包み込む。

「作戦会議をしましょう。今、夕霧姫様のご宿坊には二人ほど、少々厄介な輩がいるようです。まず姫様、夕霧姫様をお助けするには、我々はこの場を出なくてはなりません。心細くお感じになるでしょうが、他に輩がいる可能性は一切ありませんので、お一人で」

「構いません」

 真夜姫様は、穂積の言葉を待とうともしなかった。

「恐れ入ります。それから朔夜さん」

 今度は、私を試すかのように口元を吊り上げる。

「大隊長と戦えますか?」

「望むところだ」

「では」

 穂積に続いて私が立ち上がると、身体はすうと結界の外に出た。

「姫様方。少々お待ちを」


*  *

 青いガラスに包まれた真夜姫様を背中に、私と穂積は回廊を歩いていく。

「驚きましたね、朔夜さん。私達、歴史の一ページになっちゃいますよ」

「ああ、本当だな」

 聖姫様方の宿坊が、内部の者しか知らない隠し扉を使って襲撃されて、しかも犯人は近衛大隊長だった。

 たとえ姫様方が全員無事だとしてももはや関係ない、150年前の暗殺をしのぐ大事件だ。

「いいえ、それだけではなく」

 穂積と同時に、私は扉横の壁に背をつける。

「今の内に驚いておいてください。黒幕は、先代です」

「は?」

 穂積が蹴破った扉、その中には、怯える夕霧姫とこちらを睨みつける大男、そして、ライオンのように髪を逆立てた、派手な格好の女が立っていた。

 おい、動くな、こいつがどうなっても、という大隊長の叫び声は、もはや雑音にしか聞こえなかった。

「あれは……先代の夜の姫なのか?」

 下品な格好に下品な化粧。げっそりと痩せているのは、調節の仕方を知らないからなのだろうか。

「美夜姫と言いましたか。東島で男性相手の仕事をしているとは聞いたんですがね」

 ということは、あのなりで法を持っているのか。

「頼んでいいんだな?」

「ええ、もちろん」

 瞬間穂積の喉元へ飛んできた弾丸は、私のモップの先にめり込んだ。

 彼は礼を言おうともせず、やはり微笑んだままだった。

「お任せください」


 駆けていった穂積を見送って、私はゆっくりとヘイズ大隊長に向き直る。

 元々この男は嫌いだった。

 人徳も実力もなく、ただあばただらけの赤い鼻を揺らして私達を嘗め回すように眺める男。

 さて、もし殺してしまったら私は罰せられるだろうか。

 ――まあ、穂積に何か言わせれば大丈夫か。

 結論が出た所で私は首をかしげ、真夜姫様に向ける時と同じ柔らかい声を意識する。

「夕霧姫様ぁ、お怪我ございませんかぁ?」

 ぽろぽろと涙を流す13歳の少女から、返事は返ってこない。

「だぁーいじょうぶですよぉ、すぐ終わりますからぁ」

 ヘイズが、姫様を掴む腕に力を込めた。

「いい子ですねぇ、がんばりましたねぇ。そろそろー、おやすみしましょっかぁ」

 ふざけたことを、とわめく薄汚い男を前に、私はエプロンを脱ぎ、両手でスカートのすそを破いて見せた。

「ひつじがいっぴーき」

 一瞬、男の目が私のガーターベルトにそそがれる。

「ひつじがにひーき」

 身をかがめて絨毯を蹴る。

 警戒した男は、慌てて私に姫を見せつける。

 おかげで筋肉に力が入り、身体を動かしにくくなった。

「ひつじがさんひーき」

 その背後に回り込み、エプロンで男の顔を覆う。

 ふぐぅ、という汚らしい悲鳴も、お陰で随分と音量を下げることができた。

「ひつじがよんひーき」

 エプロンを下に引いて首を反らせながら、姫を苦しめる上腕骨にモップの柄を突き立てる。

 こうして武器にも使えるようにと、硬度の高いモップを使っている。骨折に合わせて、狙った神経へも傷をつけられたはずだ。

 鈍い呻き声を上げながら、男は姫を取り落とした。

「ひつじが、ごひき」

 その細い腰をそっと抱きながら首に当て身。

 少女から、すうと力が抜けた。

「お休みなさいませ、姫様」

 それを見送って、私はモップをガーターベルトに仕込んでおいたサバイバルナイフに持ち替えた。

「さて、クズ野郎。どうして欲しい?鼻からこいつをぶっ刺してその歪んだ脳みそ元の形に戻すか?それとも、このお高い絨毯と心中するか?」

「は、はぁぁ?!」

 いつも猫を被っている私の口調が変わって驚いたのだろう、男はずりずりと後ずさる。

「どちらでもいいんだぞ、私は。さぁ、選――」

 その時。

 ベッドの方から、髪を激しく揺らす爆風とともに土煙が襲いかかってきた。

「っ?!」

 慌ててそちらを見やる。

 窓ガラスがことごとく割れて、石壁も崩れかかっていた。

 穂積は?無事なのか?


 恥ずかしくも目の前の敵から目をそらしてしまった私は、仲間の安否を確認する前に、乾いた音に叱りつけられた。

 感覚もなく、ただそうしないといけない気がして腰に手をやると、赤い液体がべっとりとついていた。

「……あ……」

 正面にいるのは、汚らしい男。

 そう、その手には、近衛隊支給の拳銃が。

 撃ち返さなければ。

 私は、スカートの中の銃に手を伸ばす。

 しかしどうしても上手くいかない。指が震えて動かない。

 このままでは。

 せめて睨みつけてやろうと犯人に顔を向けた私は、そこで驚くべきものを見た。

 ヘイズが、ぐったりと壁に寄りかかって、意識を無くしていたのだ。

 ――なぜだ?つい3秒前まで――。

 そこで私も、自分の身体の違和感に気付く。

 違う。これは出血性ショックではない。脱水症だ。

 出血により脱水症が起こるのは分かる。しかし、なぜここまで早く?

 どうしても耐えきれず、私は床に身を預けた。

 小間使いの意地、最後までなんとか情報を集めようと、必死で目をこじ開ける。

 埃まみれになった豪奢な部屋。

 ソファ横に寝かせたこの部屋の主。

 壁際の汚らしい男。

 ベランダに半身を突き出して倒れる派手な女。

 そして――それら全てを背景として部屋の中央にたたずむ、一人の少年。

「ほづ……み」

 声にできたかどうかも分からない私の呟きに、彼は老人のように笑って見せた。

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