最後の疑惑

 教会のある本島から南東に5キロほど行った所に、東島という島がある。

 広さは本島とほぼ同じ。

 30分に1回の連絡船で繋がるその島は、観光を兼ねた巡礼者を迎えるための、ひとつの街となっている。

 私が運び込まれたのは東島で一番長い坂の上に建つ、大きな総合病院だった。

 全く、あそこで油断してしまった自分が心底恨めしい。

 私を貫いた弾丸は臓器をかすめ、血管をいくつか傷つけて背中から抜けていった。当面は治療が必要らしい。

 そう、このスウィートルームのような病室で。

 姫様はさぞや私を心配してくださっているのだろう。私のようなメイド風情に一番いい病室を、とご命令なさる様子も想像できる。

 ただ、このキングサイズのベッドは、庶民には少々居心地が悪い。

 最初は新鮮に感じていた大型テレビも2時間ほどで飽きてしまったし、その後3時間で事件に関する報告書も仕上げてしまった。

「……暇だ……」

 呟いてから、まさか自分の口からそんな言葉が出るとはと驚いた。

 手元のタブレットPCに目を落とす。


 画面に映るのは、穂積の書いた事件に関する報告書だ。

 意識を無くした私が救急船でこの病院へ運ばれている間に、ヘイズと旧美夜姫は本島の医務室で簡単な治療を受け、目を覚ましたそうだ。

 穂積も席を並べての取り調べによると、そもそもの事件の発端は東島の飲み屋街。酒に酔ったヘイズが偶然声をかけたのが、あの女だったらしい。

 かつては高飛車でわがままだった主。その変わりように、ヘイズは最初『ついからかいたくなった』と供述したそうだ。

 女は女で、自分に次ぐ新しい夜の姫が12歳の『年増』だと知り、随分と頭にきたらしい。そんなことは許されない、姫たるもの幼き頃から全てを聖女教に捧げなければ、と、つけまつ毛をテーブルに落としながら熱弁したそうだ。

 身勝手な持論で突っ走る女と、それを観察する下卑た男。

 それが、この事件の真実だった。

 ではなぜ脅迫状のみに留まらず、宿坊まで襲撃するに至ったのか。

 この先はIDの入力が必要な、極秘資料となっている。

 PCのセキュリティーは万全だ。

 迷わずパスワードまで入力して、次のファイルを開く。

「――ほう」

 きっかけは笑い声だったと、女は供述している。

 例の隠し扉までには、真夜姫様の宿坊の真下を通るらしい。

 脅迫状が届いた翌日の朝。例の年増はさぞや怯えているだろうさぞや暴れているだろう、この私が確認してやろう、と、女は隠し通路までやって来た。

 しかし聞こえてきたのは、怒鳴り声でも叫び声でもなく、少女とメイド達の笑い声だった。

 なんとなく覚えている。確か姫様はその日、満夜の新しく調合した香が大層お気に召したようで、とても喜んでいらっしゃった。

 そんないつもと変わらない私達の日常が、あの女にはこの上ない衝撃を与えたのだろう。

 姫たるもの笑ってはならぬと、またしてもおかしな持論を振りかざした女は、金で雇った3人のならず者を引き連れて宿坊に乗り込んだ。

 まずは憎き真夜姫様とやらを、と思ったそうだが、うち2人は中庭の囲いを超えた瞬間穂積により撃破。

 慌てたもう一人は、位置的に近い暁姫の宿坊へ逃げ込む。

 一方女は、若く身体も小さいと聞いていた夕霧姫の宿坊へ。穂積が放った銃声に怯えて部屋に逃げ込んでいたヘイズと合流し――。


「うん?」

 ここで私は、ちょっとした違和感を覚えた。

 計算が合わないのだ。

 そうだ、穂積は確かあの時。

 腕を組んだ私の病室の扉から、軽いノック音がした。

「はい。どうぞ」

「しっつれーしまーっす!」

 入ってきたのはアーサー。私の5歳年上で真夜姫様付きの近衛隊員、そして、私と同じ小間使いだ。

「なんだ、お前か。何か持ってきたんだろうな?」

「なんすかその態度、ひっでぇ!ここまで来んのまじ大変だったんすからね?!」

 どかどかとベッドまでやって来たアーサーは、珍しいことに女性を連れていた。

 巡礼者がつけるローブ姿の彼女。線も細く長い髪も艶やかで、さぞや美人なのだろうと――。

「……ん?」

 いや、まさか。そんな訳はない。確かに髪質は似ているが、そんな。

 彼女はそっとローブを外す。

 現れたのは、教会から出てはならないはずの。

「真夜姫様……!」

「朔夜ちゃん!」

 姫様は目に涙をためて私に抱きついてきた。

「ごめんね、ごめんね、私があんなこと言ったから……!」

 そう言って、姫様はわぁわぁ泣き出した。

 ――あんなこと?

 しばらく頭を巡らせて、ああ、部屋を出ると言ったことか、と気がつく。

「何をおっしゃいます、姫様。あれは英断でございました。姫様のご法がなければ、お二人をお救いすることはできなかったのですよ」

「でも、でも……!」

 アーサーが、姫様の背後からサインを使ってくる。

 それを見て合点がいった私は、小さくうなずく。

 彼によるとあの後すぐに近衛隊の隊員達がやって来て、部屋を取り囲んだらしい。

 もう少し自室で待っていたら。そう思うのも当然だろう。

「タイミングが上手く合わなくても、です。恐れながら姫様」

 いつも真剣に梳かしている髪を、素手でそっと撫でる。

 今日は少しオイルが多すぎる。全く、復帰したらまたきちんと手入れして差し上げよう。

「暁姫様も夕霧姫様も、実は少々危ない状況でした。それをお救いしたのが他でもない、あなた様です。私はあなた様を誇りに思います。主として、そして」

 そっと彼女の両頬に触れる。

 ここへ来るために、化粧はほとんど落としてしまったようだ。

 しかしその自然な姿もまた美しい。

「一人の友人として」

「っ――!」

 不敬極まりないこの言葉に、真夜姫様はまた涙を流した。

「朔夜ちゃぁん!」

 またしても赤ん坊のように泣き出した真夜姫様の頭を撫でていると、またノックの音が聞こえてきた。

「朔夜さん、穂積です。お加減いかがですか?」

「はっ!」

 腕を組んで立っていたアーサーが、途端に慌て始める。

「姫様、姫様こっちへ!お手洗い入ってくださいっす!いいっすか、隊長帰るまで出ちゃダメっすからね!」

 予想はしていたが、誰にも言わず連れてきたらしい。

 手洗い場の鍵が閉まるのを確認してから、入れ、と声をかけた。

「失礼します。朔夜さん、これお見舞いです、近衛隊か、ら……」

 非番なのだろう、いつもより緩いシャツを着た穂積は、私とアーサーを見てなぜか顔をひきつらせた。

「どうした、ほづ――」

 そのまま乱暴にドアを閉めて出ていくと、突然叫び始めた。


「アブデラ!お前今すぐ帰れ!」

「えー?いきなりなんですレイ、教会のエリートメイドと奇跡の出会いはぁ?」

「そんなもんないってもう何十回も言ってるだろ!ゼリー置きに来ただけなんだから!いいから帰れ、2秒で帰れ!」

「でもステーキ奢るって」

「それも言ってない!僕多分今日店も行けないから!速く!」


「……隊長が」

 アーサーがぽつりと呟く。

「タメ口」

 真夜姫様も、ひょこっと顔を出した。

「僕?」

「まさか、あれが……素か?」

 いつも通りのしっかりとした所作で戻ってきたを見て、私達は同時に笑い出した。

「な、何ですか皆さん」

 今さら取り繕ったってもう遅い。

「いいや?何でもないさ。ただ」

「約束通り化けの皮は剥がしてやったぞ、穂積」


*  *

 30分後、小言とともに帰って行く穂積達を見送って、私はもう一度PCを広げた。

 計算が合わない。

 宿坊への侵入者は、女を入れて4人。これは確かだ。

 しかし、2人の侵入者を早々に片づけた穂積は、部屋の中の私達に向かってこう言った。

 ――12時の方向、敵5、内2クリア!

 まるで、あの時回廊にいた4人の他にももう一人、そう、ヘイズが連中のすぐ側にいたと、分かっていたかのようではないか。

 確かに場は混乱していた。

 いくら穂積部隊長といえど、数字の一つや二つ間違えた可能性はある。

 しかし実は、同じようなことが他にも起きていた。

 ――暁姫様のお部屋の近衛とメイドが不在のようです!

 あの男は、死角になっている暁姫の部屋の前について、正確に言い当てたのだ。

 ヘイズや先代姫との戦いでもおかしなことが起きた。

 突然意識を失った2人の犯人は、いずれも私と同じく脱水症による意識喪失だったという。

 たった一人何の症状もなく残った穂積は、液体を花びらに変えるという夕霧姫の法が暴走して何らかの影響を及ぼしたのでは、とこの報告書に書いている。

 私は一般人だ。法の仕組みも出現条件も、まるで分からない。ただ――そんな都合のいいことなど、本当に起こり得るものだろうか?

 穂積こそ真の黒幕なのではとも思った。

 しかしどうも動機に欠ける。

 たかが私怨ということはあるまい。彼ほどの実力があれば、ここまで大事にせずとも実力であの男を辱める方法などいくらでもあるのだから。

 大隊長の位が欲しいにしても、実務がほとんど伴わず勲章だけ渡されるあれは基本的に年功序列。最年少で隊長になった穂積には到底かなわない。

 ――彼は一体、何をやったんだ?

 いくら考えても答えは出ない。仕方なく傷を庇いながら、私はゆっくりとベッドに横になった。

 全く、化けの皮を剥がしてやったなどと笑っておきながら。


 私には、知らないことが多すぎる。

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