メイドのため息

 真っ先に気付いたのは、真夜姫付きのメイド長、百夜だった。

 彼女はまず穂積黎近衛隊長に電話をかけ、事態を説明。彼は隊員全員を引き連れ、珍しく整っていない髪のまま宿坊へ駆けつけた。

 その間に起こした真夜姫の最低限の身支度を整えた百夜は、部屋中の捜索を始める。

 ベッド、肌着入れの棚、風呂周りを確認したところで、部屋に入ることを許可された近衛達も身体をかがめて壁の間やコンセントの裏をくまなく調べる。

 この辺りから、他の姫達の部屋へ通じる回廊も騒がしくなり始めた。

 穂積隊長が部下に持って来させた化学分析キットと電波探知機まで使った入念な捜索の結果、とりあえずは問題なしと結論づけられた部屋で、真夜姫は倉庫に眠っていた古い着物とメイドの私物の化粧品を使い、いつもより少々地味な朝の準備を終えた。

 彼らにここまでさせたのは、たった一枚の紙切れだ。

 A4サイズのコピー用紙、ゴシック体で印刷されたほんの一言。

『麗しの姫様に天誅を』。


*  *

 真夜姫様には、知らないことが多すぎる。

 止まり木の小屋の件で、教会上層部から他の姫達を惑わす邪魔者扱いされ始めたこと。

 しかしその分職員の女子寮では、姫達の暴力から皆を救った天使と呼ばれていること。

 ここまで明るく楽しく姫様の世話をしているのは、彼女の宿坊だけであること。

 そして私、髪結い担当のメイド朔夜が、聖姫様のお役に立つべく幼い頃から訓練を重ねてきた偵察部隊、通称『小間使い』の一員であること。

 先月、正式な方法である命令書ではなくなんと部屋に直接呼び出された時はどうなることかと思いはしたが、姫様は私に気付きもしなかった――いや、顔は隠していたし口調もいつもと違ったし、当然といえば当然か。


「……当然、か」

 姫様が昼食を終えた13時30分、食堂のテーブルに故郷の料理であるフィッシュアンドチップスを置きながら、私は少し肩を落とした。

「どしたの、朔」

 同僚の満夜が向かいに座る。

 私はいつも通りにさっと顔の形を変えた。

「いえー、姫様ってかわいいなーって思っちゃいましてー」

「あーうん、かわいいねぇ」

 着付担当の満夜が満足げなのは、止まり木の小屋の件以前の問題だ。

「着付の時も、どうしたら私達がやりやすいか考えて身体を動かしてくれるしさ、こっちが会議で一生懸命選んだ着物も、『この色素敵ね』とか『どこで作ったものなの?』とか褒めてくれるしさ。その上毎日当然のように『ありがとう』って言ってくれたりなんてしてさ。もう先代とは大違いよ」

 全く、あの人にはよく殴られたわ、と、満夜はむしろ懐かしそうに言った。

 片手間に調べたことだが、先代の夜の姫は自分が預言者に選ばれなかったことに激昂し、その場の勢いで教会を飛び出して行ったらしい。

 5歳の頃から世間など知らずにこの教会で蝶よ花よと育てられた彼女は――いいや、やめておこう。思い出しても仕方のないことだ。

「あーあ、落選したらウチ来てくれないかな、なんてさ。あんな子ならもう孫生まれるまで面倒見ちゃうわ」

 ふっと、こちらまで笑みが零れる。

 実はメイド達もまた本人と同じように、彼女は預言者にはなれないと確信していた。

 その上で短いお姫様生活を満喫させてあげようという気楽さも、彼女がメイド達に慕われるちょっと残念な理由のひとつなのかもしれない。

「でもぉー、先約があるらしいですよぉー?ご実家のお酒屋さんで杜氏になりたいっておっしゃってましたぁ」

「へっ、杜氏?」

「ええ、杜氏ですぅ」

 満夜は目を丸くして何度も頷いた。

「そっかそっか、実家が分かってるとそんなこと言えちゃうわけね。修道院には入らないんだろうなと思ってたけど、じゃあ安心だわ」

 ――安心、ね。

 本来ならばこういったメイドの不敬を見張って上に報告するのも私の仕事なのだが、こう居心地のいい職場ではどうしても緩くなってしまう。

「さてと。そろそろ行くかね」

 トレイを空にした満夜が立ち上がる。

「じゃ、私お香の様子見てくるから。また夕方にね」

「お疲れさまですぅ」

 同僚の背中が消えた瞬間、私は力を入れていた顔の筋肉を元に戻した。


*  *

 メイドの仕事というのは、聖姫の修行と同じく実に忙しい。

 16時45分から始まる一般教養の講義のために、私は図書館へ来ていた。

 講義に使う心理学の資料を、リストに沿って集めていく。

 と、本棚の上に人影を見つけた。

「お疲れさまですぅ、穂積さぁん」

 穂積黎。真夜姫様に付く五人の近衛隊の隊長だ。ひと月前に起きたとある事件で身を挺して真夜姫様を守ったことから、上にもかなり気に入られている。

 図書館の一番奥、古い本棚の上にある大きな出窓。

 そこに身体を丸めて本を読んでいる人影があったら、まず間違いなく休憩中の彼だ。

「お疲れさまです、朔夜さん。テキスト探しですか?」

 15歳とはとても思えない、白髪交じりの黒髪に日の光が当たるその姿は、メイド達から後光だの眼の保養だのと言われて、正にアイドル扱いされている。

「はぁい、今日は心理学の講義でぇ」

「心理学、心理学ですか」

 彼はきょろきょろと辺りを見回す。どうやら、出窓に積んだ十冊ほどの本の中に混じっているらしい。

「アルベルト・マートン著『児童殺傷事件に見る段階的犯罪心理学』。リストに入っていますか?」

「入ってないですねぇ」

 ――そんなもの聖姫様の講義で使う訳ないでしょうに。

「じゃあ、同著の『全体主義的思考による社会的残忍行動』?」

「入らないですねぇ」

 ――だから何で入ると思っているんだ。

「後は……中村茂則著『行動分析学の基礎』でどうです?」

「はい、入ってますぅ!その本ください!」

 ――最初からそう言えよ!

「じゃ、落としますよ」

「え」

 言うが早いか、彼は2メートル半下にいる私に向かって分厚い本を放り投げてきた。

 本当は片手で受け止められるのだが、今の私は小間使いではなく非力なメイドだ。

 慌てて手を上に伸ばし、腕全体で何とか支え切った振りをした。

「ダメですよぉ、穂積さん!ご本をそんな風に!」

「すみません。でも、『あなたなら』大丈夫でしょう?」

 にっこりと微笑む彼に、私は一瞬、別の意味を見出しそうになってしまった。

 ――大丈夫だ。ただの兵隊にごときに、私の正体がばれるはずはない。

「もー!メイドはそんなに強くないですよ!女の子として扱ってください!」

「はは、これは失礼しました」

 その笑顔はまるで、数えきれないほど多くの知識と経験を積んだ老人が、何も知らない小さな孫に向けているのように見えた。

 ずっと気になっていた。

 ――この男は一体、何者なんだ?


 私は彼の真下の本棚に背中をつけた。

「穂積さぁん」

「はい、朔夜さん?」

 見上げると、彼は物理学の本を読んでいる。

「穂積さんってー、あの穂積財閥のご子息なんですよねぇ?」

 顔色を見ると、彼はくすっと笑った。

 ――なるほど。これを聞かれても笑えるのか。

「ええ」

「すっごいお家じゃないですかぁ。いいなぁ」

 穂積といえば、世界中にグループ企業を有する、知らぬ人のいない巨大財閥だ。

「まあ、私としてはあまり実感はないですけどね」

「そうなんですかぁ?」

 彼は猫のように大きく伸びをした。

「そうなんですよ。兄二人にそれぞれ子供がいますから跡継ぎには問題なし。他の諸々も併せて、私が穂積の家を気にする必要は一切ありません。ただの三男坊として、気楽に過ごさせて貰ってますよ」

 ――気楽に、ね。

 気楽に過ごした結果、教会本島で必死に這い上がって聖姫の近衛隊長になる人間などいなかろうに。

 ますます分からない人だが、この場で仕事の手を休める訳にはいかない。

 ――そろそろ切り時か。

 私は、はっと息をのんで口に手をあてた。

「ご、ごめんなさい私ったらぁ!なんてこと!」

「いえいえ、お気になさらず」

 彼は別の本を手に取る。

 ――まさか、この短時間に読み終わったのか?

「もう慣れてますから」

 それはそうだろう。彼の名を聞いてあのことを連想しない人間などいない。

 私は何度も頭をげた。

「本当にごめんなさい!失礼します!」

「はい、お疲れさまです」

 わざと速足で、私は彼の元を離れた。


*  *

 真夜姫様が待つ講義室へ向かう途中、本の間から何かが零れた。

「ん?」

 おそらく、穂積が投げ渡してきた『行動分析学の基礎』に挟まっていたものだ。

 どこにでもある横線つきのメモ帳の切れ端。

 私は何気なくそれを拾って、今度は演技などではなく目を見開いた。

「あいつ……」


*  *

 メモにはたった一文、18790309という数字が書かれていた。

 推理するまでもない。

 1879年3月9日。

 それは、我々小間使いにとって最大の屈辱であり、廊下を歩く姫らに近衛がつくきっかけとなった事件のあった日だからだ。

 150年近く前のこの日の早朝。

 いつも通り回廊を歩いていた姫の前に、一人の男が現れた。

 男は持っていたナイフで突然姫の胸を貫いた後、すぐ側にいた別の姫にもナイフを振り上げ、その格好のまま、弓で射られて絶命した。貫かれた姫は急いで手当に回されたが、助からなかったそうだ。

 そして事件の翌日、驚くべき事実が判明する。

 実行犯は小間使いの友人で、酒に酔ったそいつが食堂から宿坊までの隠し通路を吐いたことが、事件の発端だったらしい。

 小間使いの頭領は責任を取る形で自害。亡くなった姫に仕えていた二人の小間使いも後を追い、この件は我々の間での口伝を除いて一切口外禁止となった――はずだった。

 それをなぜ穂積が知っているのか、私にはまるで分からない。

 もう一人の真夜姫様付き小間使いである近衛隊のアーサーに連絡を取ると、隊長がこの事件について知っていたのに驚くと同時に、とりあえず彼の周辺の調査をしてくれることになった。

 しかしなぜだろう、私は、どう調べたところで彼の真実には辿り着けないような気がしてならなかった。



*  *

 その日の夜。

「それじゃ、姫様ぁ、わたくしこれで失礼させて頂きますぅ」

「うん、ありがとうございました、朔夜ちゃん。明日もよろしくね」

「はぁい、おやすみなさいませー」

 礼をして部屋から出ると、そこに穂積が立っていた。

 私はふんと鼻で笑って、彼を見上げる。

「どうだ、自分の思わせぶりな態度のせいで19時間連続勤務になった気分は?」

「最高ですね」

 返事は即座に返ってきた。

「ところで、ついに本性を現しましたね、小間使いさん」

「そっちの化けの皮もいずれ剥がして剥製にしてやる。楽しみにしておけよ」

「おや、怖い怖い」

 言いながらも、彼の口元はかすかに吊り上がっていた。


 扉の向こうで、いつになく砕けた真夜姫様と満夜の笑い声がする。

 部屋の中からはメイドが、外からは近衛兵が、24時間姫様をお守りする。

 焚きつけておいた通りの体制だ。姫から信用されるメイドと近衛を一人ずつ拘束できれば、今後の調査は多少しやすくなる。

「それで?」

 アーサーの調査では、彼は全くの白と出た。もしや悪戯ではと疑うほどだったという。

「何のためにあのメモを?」

「安心してください。朔夜さんをからかうために仕込んだ訳じゃありませんから。――ただ」

 穂積は、目の前の大きな額縁を睨みつける。

 六角形の額縁に月と星の紋章。代々夜を意味する名前を受け継いできた、姫達のための紋だ。

「あの脅迫状、どうも怪しいんです」

「怪しい?」

 中では何かボードゲームでも始めたらしい、静かになった彼女らに合わせて、穂積も声量をわずかに落とす。

「そもそも、なぜあの脅迫状を一番に見つけたのがメイド長だったのでしょう?」

「報告書に書いただろう。当日、見回り当番の暁姫の近衛の制服が一着消えていたんだ。恐らく犯人はこれを着て――」

「あなたを信頼して申し上げるのですが」

 強めの口調で穂積が私の言葉を遮る、それに少々驚いた。

「その近衛に詳しく話を聞いたところ、制服が消えていたというのは嘘だったそうです。一刻も速く事態を収拾させるためそう言うように近衛隊長から命令された、と」

 眉間にしわを寄せる、彼は少々怒っているのではないかと感じた。

「……だとすれば、犯人は一体?」


 穂積は真剣な顔で頷いてから、姫様の部屋の扉を叩いた。

「満夜さん、穂積です」

「はぁい?」

 穂積は微笑みながら続けた。

「申し訳ないのですが、数分だけ出てきます。鍵はマニュアル通りにお願いしますね」

 近衛がいない時は、鍵のかけ方を変えることになっている。

「はーい、ごゆっくり」

 無言で穂積が手を伸ばしたのは、礼拝堂側の回廊だ。

 仕方がない、素直に従って、私はカートのストッパーを留めた。

「ああ、それと」

 穂積が振り返る。

「今の話、聞かなかったことにしてくださいね。彼との約束なんです」

 暁姫の近衛隊長が、この大事件の情報を偽造したという事実。

 他に漏らせば彼の株は大いに上がるというのに――本当に、おかしな男だ。



*  *

 止まり木の小屋のある十字の回廊は、他三方も小さな中庭になっている。

 毎日宿坊中を駆け回っているが、その囲いを乗り越えるのは初めてだった。

「どうぞ」

 当然のように穂積が差し出してきた右手を叩いて、私は庭に降り立つ。

「足元を見てください、朔夜さん」

 一面に広がる苔は、確かいついつまでも枯れ果てることのない美しい田畑を表していたはずだ。

「何だ、あれは?」

 注意深く見なければ分からなかっただろう。

 その豊饒の大地がえぐれて、何か所かの小さな穴が開いていた。


「これは、足跡か?」

「ええ。でも問題は、あの先なんです」

「先?」

 えぐれが消えるのは木の向こう側、教典の一節が書かれた石碑の前だ。

「あれが何か――」

「行きましょう」

 豊穣の大地を遠慮なく踏みつけながら、穂積はさっさと石碑へ向かう。

「お、おい!」

 メイド服をまくり、穂積の足跡に合わせて向かう。

 先に着いた彼は、石碑に体重をかけて下にずらしてから何度か揺さぶり、よっ、と声を上げながら持ち上げた。

 どうやら、石碑は二層になっており、外側だけなら軽々と持ち上げられるらしい。

 いいや、私にとってはそんなことよりも――。

「一体何なんだ、これは……?」


 穂積が石碑を持ち上げた瞬間、それまできれいに並んでいた壁の煉瓦の一部が足元から腰のあたりまで剥がれて、まるで扉のように飛び出してきたのだ。

「隠し扉ですよ」

 穂積は煉瓦を元通りに閉じる。

「この扉の存在は、本来姫様方と近衛隊長以上の役職に就いている者しか知りえません。そしてご覧になったでしょう、苔に真新しい傷がついていた」

 犯人は隠し扉を使って早朝の宿坊に忍び込み、見回りの目をかいくぐって脅迫状を各ドアの前に置いた、ということになる。

 なるほど、ならば穂積があの紙を私に渡してきたのも頷ける。

「150年前の事件と同じく宿坊の人間が関わっている、と?」

「私は、その可能性が高いと思っています。朔夜さん」

 穂積は私の目を見て言った。

「こうなってはもう他の誰も信用できません。ですが男の私一人では、姫様方の宿坊を調べるには限界がある。協力して頂けませんか?」

「協力だと?生意気な」

 スカートをつまみ上げる。

 これ以上、庭師の努力を無下にはできまい。

「明日まで待て。犯人を特定しておいてやる」


*  *

 カートを引く小間使いを見送って、ようやく扉に寄りかかった。

 虚勢を張って最高などと言ってはみたが、このまま一晩中姫の部屋を見張るのは少々辛い。

 そんな弱音を頭の中だけで巡らせていると、すぐ隣から聞きなれた声がした。

「暁姫の近衛隊長は呑みに行きましたよ」

「あのクズと一緒にするな」

「夕霧姫の隊長は」

「もっと聞きたくない」

 あくびをしたら負けな気がするので、代わりに大きく腕を伸ばす。

「どこに何がいるか分からないからな。とりあえずは僕がしっかりしないと」

 彼はいつも通り、くすくすと笑った。

「馬鹿ですねえ、レイは」

「馬鹿で結構。それより頼んだぞ、アブデラ」

「はいはい、仰せのままに」

 消えていく気配を見送って、この広い廊下でたった一人、無意識にあくびを噛み殺した。

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