不平不満不幸の蔓延する国


 国に捨てられた元貴族と自らを称したウルドに対し、七夜は目を眇めて胡乱げな視線を差し向けた。


「この国じゃ、たかだか技能を持ってない程度の事で家から追放されるのか」


「だからそうだって言ってるんだよ。技能不保持、たかがその程度の事で、このブラッドルフじゃ貴族の権利を剥奪される。王国にとって〝才〟は何よりの財産だからな。無能だからって理由で、どうせ周りから散々嘲笑われてきたお前の事だ。それについては嫌ってほど理解できてるはずなんだけどなぁ?」


「……、」


 七夜は押し黙る。

 だが、すぐ傍らでシェリアが慮るような目を向けてきている事に気付き、余計な陰鬱を振り払うかのようにひとつ息を吐いた。


「家を追い出されて、そうして行き着いたのが徒党のボスか。何でわざわざ自分から落ちぶれる方の選択肢を取ったんだ」


「おいおい、ファミリーを率いるようになった事を俺は落ちぶれただなんて思っちゃいないぜ」


 そこだけウルドは、口許に不敵な笑みを浮かべて七夜を見上げた。


「落ちぶれるっつーなら、この国で貴族として居続けてる方がよっぽど堕ちるだろうさ。これに関しちゃ、そっちの女の方が理解してるか?」


「どうでしょうね」


 話を振られたが素っ気なく返したシェリアに肩を竦めつつ、男は七夜への言葉を続ける。


「話が逸れたな。まぁ何にせよ、この国の御貴族連中サマは自分の血筋に才さき者がいるのが許せねぇんだよ。あーいや、そういう風潮が蔓延してるって言った方が正しいか」


 うっすらと笑いながらも、その声には感情を唾棄するかのような棘があった。


「中にはいたんだぜ? 跡取りの子供がいつまで経っても技能を発現できなかったが、その家の奴らは愛ある親で大切な我が子を廃嫡子にするなんて事、無理だったんだろうな。だから隠そうとした。身体が弱いだの何だの適当な理由をつけて、対外的な社交の場にもそいつを出させないようにした。――結局、その家はどうなったと思う?」


 投げられた問いには七夜もシェリアも口を閉ざして答えなかった。

 ウルドもまた相手の答えなど望んでいたなかったかのように、ほとんど間を置かずに答えを明かした。


「王より厳罰を受けた。正確には、与えられていた爵位の降級処分を食らった。バカげた話だよなぁ? 大切な家族をかばった結果の降爵措置だ。でも、そんなクソみたにな話が横行してんのがこの王国だ。俺も、どうせそっちの女も、巡り巡ってはナナヤ=シバ、お前も……ここにいる三人は、国の間違った理想論から容赦なく排斥されたお仲間ってやつなんだよ」


「……理想論だと?」


 仲間と言われて露骨に嫌悪感を露わにしたが、特に言及はせず、引っかかった物言いについて七夜は訊ねた。

 ウルドは頷き、


「あぁそうさ。このブラッドルフ王国を今以上の強国にして、他国を一切寄せ付けない立場にまで押し上げる。今の王様はそんな風に謳ってんだよ。だから貴族……ようは民の〝上位層〟を全て技能持ちで埋めようとしてるってわけだ」


「……あの国王がねぇ」


 その呟きはウルドには届かず、しかしすぐ傍らに寄り添っていたシェリアの耳には入った。

 少女がチラリと視線を隣へと向けるが、特段感情の読めない横顔を見せる七夜の内心を窺う事は、シェリアにはできなかった。


 ―――七夜の脳裏には、三年前に王宮の広間で見た国王、ユーグロア・アルネス・ブラッドルフの顔が浮かんでいた。


 正直、あの王に関して覚えている事など些末なものだ。

 辛うじて残っている記憶についてもろくなものがないが、彼に関して思い出そうとすれば、連なるように、けれどより鮮明に浮かんでくる顔があった。


 ブラッドルフ王国第一王女、エルネリア・アルネス・ブラッドルフ。

 ユーグロアの娘であり、王国一の美姫と謳われる少女。


 ふと、彼女との記憶を呼び起こす。

 実のところ、七夜がエルネリアに対して抱いている感情も、全てが好ましいものであるとは言えない。


 何故ならば――三年前、七夜が犯したの罪に関して、それが濡れ衣であると証明してくれたのがエルネリアであり。


 そして、七夜が犯したの罪に関して、それが真実だと証明したのもまた、他でもない彼女であったからだ。


 とは言え、後者の一件については七夜の中で真偽を定かとしていない部分がある。

 だからこそ彼にとってエルネリア王女は、どちらかと言えば自分を救うべく尽力してくれた存在という認識の方が強い。


 ……そんな彼女を含めた王族の思想が、今の王国の〝技能至上〟とも言うべき主義を形成しているとウルドは言った。それが彼の怨恨じみたデタラメなどとは七夜も思わない。


 ただ、違和感はあった。


 少なくとも三年前において、ブラッドルフ王国にとって成すべき最優先事項は魔族との戦争に勝利する事であった。

 そのために国は異世界から七夜たちを召喚し、神の遣いレガリアとして国の戦力の筆頭とする『勇者軍』の編成を推し進めたのだから。


 それを思えば、確かに技能至上の主義思想は国の施策からすれば妥当だとは言える。だが反して、技能持ちの人間で貴族社会を統一する必要はどこにも無いはずだ。


 貴族であろうがなかろうが、才はそのまま国としての力となり。

 一方で選民思想や差別意識を生むような在り方は国の中にこそ敵と諍いをばら撒く種にしかならない。


 三年間、外界とまったく接触してこなかった七夜にすら、そう判断した自らの考えが間違いなく正しいと思うくらいには、今この王国には矛盾が蔓延している。


 ――とは言え。

 今の七夜に、この場でウルドと何らかの意見を交わすつもりなど毛頭ない。


 男の言葉に同調も反論もせず、男を見下ろす。


「……そんで結局のところ、あんたは何がしたかったんだ。家から追放されて貴族の権利を剥奪されて、挙句こんな街の片隅で徒党なんか率いて……最終的には貴族社会を裏から牛耳る大層な存在にでも成り上がるつもりか。自分を切り捨てた連中への意趣返しって理由でも掲げて」


「そんな大それた事なんか考えちゃいねぇよ。そもそも、俺にとっての復讐って意味なら、そりゃとっくの昔に果たしてるからな」


 そう言ってウルドは、自身の背後で未だ意識を失ったまま倒れ伏すファミリーの男たちを振り返った。


「この裏町に初めて足を踏み入れたとき、そこら中に溢れかえるゴロツキ連中だったコイツらに言ったんだよ。お前らに人並み程度の満足な暮らしを提供してやる。その代わりに俺の〝力〟となって、俺自身の復讐に手を貸せってな」


 復讐、と聞いて七夜は眉を顰めた。無意識に隣のシェリアへと視線を配りながら、


「……潰したのか、自分の家を」


「俺を不要と断じて簡単に切り捨ててきやがった連中だ。もう家族でもなんでもなかった奴らを潰そうが、何も感じなかったよ」


 そこから。

 少しばかりの沈黙があった。


 ウルドの目が僅かに伏せられる。翳を落とした目はただ地面を見下ろしているだけだが、いったい彼はそこに何を透かし見ているのか――

 特に興味もないん七夜はただ男の燻った顔を胡乱げに眺めるばかり。


 やがて、ウルドは絞るように声を洩らした。


「クソみてぇなとこだよ、この国は」


 何度目か分からない恨みの声が、夜の広場に響く。


「結局は堂々巡り、いたちごっこにしかならねぇ事を〝上〟のお歴々は分かっちゃいねぇんだ。才の有無で当人の権利を奪うような体制からは不平不満不幸しか生まない。そんで自分の存在意義を不当に扱われた奴は憎しみを心に抱いて、切り捨てた側の連中に報復を与える……かつての俺みたいにな。それがただ連綿と繰り返されるか、歯向かう力を持たねぇ奴らが路頭に迷う事になるか……迎える結末なんて二つに一つしかないだろうよ」


 滔々と言葉が連なる。


「そして、後者の連中が集まってできたのがこの裏町だ。ここと同じようなとこがほとんどの……いいや恐らくは全ての町や都市にある。栄華の中心であるあの王都にだってきっとな。それをこの国の王は分かってて見過ごしてんだ。とんだ愚王だよな、あのジジイは」


 言いたい事を言って胸の内がスッキリしたのか、ウルドは脱力したように大きく息を吐いた。


 過去に、技能を持っていないために生まれた家から切り捨てられ、そうして今となっては徒党の頭目として多くを率いる立場となった男は、どこか芒洋とした目で七夜をシェリアを見上げた。


「……


 ポツリと、そんな否定が零れた。


「お前らは〝持ってる側〟だもんなぁ。過去がどうあろうが、今その〝場所〟に立ててんなら俺らとは違うわな。ハハッ……クソが。偉そうに見下してんじゃねぇよ、気分悪ぃ」


 肩を揺らして笑いながら、ウルドはそう吐き捨てる。そうして地に座り込んだ体勢から、ゆっくりと後ろへ上体を倒し、どさりとその場へ仰向けに転がった。


 男の顔色から急速に血の気が失われてゆく光景を七夜たちは無感情に見下ろす。

 虚ろになりかけている目を夜空へと向けるウルドは、もう一度だけ大きく息を吐いた後に、


「あークソ、星が全部ぼやけて見えやがる。いよいよ限界か………なぁ、おい。ナナヤ=シバ」


「……何だよ」


 七夜の冷めた双眸と、ウルドの力ない双眸がぶつかる。


 それでも男はどうしてか、少年に対して愉快そうな笑みを向けて言った。


「―――、いつまで胎の底に抱え込んでるつもりだよ。隠してるつもりだったんだろうが、見るからにバレバレなんだよ、バーカ」


 その言葉に。


 七夜の瞳の奥で、黒く昏く、揺れる何かがあった。


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